一緒に旅をしてる。
家族、友人、同僚なんかは割といつも一緒にいて、一緒に旅をしてる実感がある。

で、日本という国で考えると、乗ってるかどうか分からないくらいのバカでかい図体のバスに皆で乗っている感じ。たぶん、行き先は「幸せの国」と書かれている。運転手は総理大臣、車掌係や整備係やその運行に関する役割を与えられている人たちは、政治家やら官僚やら公務員やら会社の社長やら、なにかと責任を問われることの多い人たち。バスがどこに向かっていくのか窓の外をしっかり眺めている人、乗ってることに満足して歌っている人、ガタガタ揺れるなかで吊革をつかんで踏ん張っている人、座席でぐっすり寝ている人、乗客にはいろんな人がいる。

ところが、迷走したりノロノロ運転したりして行き先に向かっているかどうか分からなくなると、乗客のなかに「時間に間に合わなくなるんじゃないか?」「この道だと遠回りじゃないか?」「反対方向に向かってないか?」と思う人たちがだんだんと増えてくる。

その人たちは、「もっと速く運転できないのか」「道を間違えているだろう」「俺と替われ」と、運転手に言おうとする。でも、なかなかその言葉に運転手もバスも反応しないとなると、「降ろしてくれ」と言う。降りた人はバスを引っ張ったり押したりしようとする。それでもバスがあまりに大きすぎて思い通りに進まないとなると、あきらめて自分の力で「幸せの国」を目指すしかないと思うのだろう。

自分で行った方が早いに違いないと歩きだす。ただ、そこにはまだキレイな道がない。もちろん、電灯もない。バスを離れた人たちはそれぞれに歩きだす。地図も灯りもない旅はたいへんだ。「地図を持ってる奴はいないか?」「灯りを持っている奴はいないか?」と近くにいる誰かに声をかける。「地図を持ってるぞ」「俺は灯りを持ってるぞ」

そうやって旅の仲間ができてくる。そんな感じで1人、また1人と仲間が増えていく。そこそこ仲間が集まって「やっぱり旅は1人よりも仲間がいた方がいい。さて目的地を目指そう」と、仲間とともに旅を始める。

でも、やっぱり「幸せの国」への旅は楽じゃない。そうすると「おい、もっと速く歩こう」「そっちの道よりこっちの方がいいだろう」「俺の地図の方が正しいだろう」という声が出始める。

すると・・・。「俺はこういう旅の方が好きだから」と我が道を行く者。「やっぱりバスに戻ろうかな」と道を引き返そうとする者。「俺はどうすりゃいいんだ、リーダーはお前だろ、なんとかしろよ」と怒りだす者。「まぁまぁ、怒らずにとにかく歩きましょうよ」となだめる者。あれ?なんかバスの中みたいだ。

なかなか思い通りに進まないバスに乗っていようが、冒険者のように旅をしようが、「幸せの国」という存在することすら分からない行き先を目指す旅はなかなかうまくはいかないもの。旅をしている本人が幸せかどうかだけは、それぞれ違うにしても。

そしてそして、皆、結局、どこかで聞いた「宇宙船地球号」の中にいるわけだ。う~ん、何をどうすりゃいいんだか・・・。
アクセス数は平均してせいぜい20~30という僕のブログ。


それでも、アクセス解析というのを時々は見るんだけど、


先日、どういう検索ワードで見られることがあるんだろうとチェックしてみたら


「虚血性大腸炎の人  ブログ・・・・・3件」


しかもトップで、これには相当ヘコんだ。




そして今日。


「妻  泣かす・・・・・1件」のみ。


危うくATフィールドを破られるとこだった。





アクセス数の低さは全然気にしないけど、


検索ワードの結果は「俺って一体・・・・・」という


人格への攻撃が潜んでいることがあるので


皆さん(というほど大勢ではないけど)ご注意を。
フェイスブックの友人のウォールで見つけた、このグラフ。

$PUKUのブログ


近年で世界人口は爆発的に増えていることが分かる。



一昔前は「人生50年」と言われていたが、いまや先進国のほとんどは

平均寿命が70歳を超えている。



寿命(生きている時間)が延びているということ。



平和と健康は良いことだ。

そう思っていたけど、本当にそうかなと疑問が生まれた。



人間は地球上の自然界ではモンスターになっていて

自らの医学や科学で寿命を延ばし、他の自然界の生き物や地球そのものから

たくさんのものを奪い取って生きている。

特に先進国の人々は、貧しい国に行きわたらない食糧などを、捨てるほどに掻き集め

消費しながら生きている。





命が長くなった。

その分、食べるものも、費やす資源も増える。

食糧を確保するために遺伝子組み換えしたり、

エネルギーを確保するために原子力を利用したり、

必要とするものが増えるたびに一線を越えていってるんじゃないかな。




生きている時間にも余裕ができる。

適度な余裕ならいいけど、持てあますほどの人生だったら、

お金も必要だし、生きる意義を見つけなきゃいけない。

生き甲斐に悩む時間までが増える。



いろんな社会問題が、実は平和と健康によって延びた人生をどう使うかが

根にあるようで、それはなんとも皮肉だなと思う。