9ヶ月ぶりにジャカルタに戻った私たち母子ですが、ジャカルタ到着前にすでに機内で、日本で新しく購入したiPhoneに以前ジャカルタで使っていたsimを入れ替えて、空港に迎えに来てくれているはずの夫に、まず連絡しようとしたところ、駐機場についても携帯が電波をキャッチしてくれず、圏外表示になってしまうため、おかしいなと思っていました。空港内はとりあえずwifiが使えるため、それで連絡はとれたのですが、、、
後日わかった事ですが、インドネシアでは、2020年の9月15日午後10時に、非正規で売られる端末一掃と税収増を狙って、海外購入した携帯、電子機器などを一斉にブロックし、使用できないようにしたようです。
私の新しく購入した携帯も、当然まんまとブロックされていたため、simは有っても使用できずでした。しかし、9/15以前にジャカルタで使用した形跡のある携帯は、ブロックされずにいるようで、古い携帯に同じsimを入れ直してみたら、使うことが出来ました。
で、海外で購入した携帯は工業省のサイトからimeiの登録をしないと使う事が出来ないようになっていて、登録後最寄りの税関に出向き手続きし、支払う税金額を言い渡されます。
ハンドキャリーでの持ち込みは、金額が500ドル以上の場合、税金(付加価値税10%と個人所得税7.5%、計17.5%)がかかると、聞いていたのですが、なんと私の場合、関税10%、付加価値税10%、所得税20%の合計40%も徴収されました。聞いていた2倍です。何故に?何故に?どう言う事なのかちんぷんかんぷんです。一緒に同行してくれた、夫の会社の同僚の方も高いねーと、ひと言うなづいてくれただけで、仕方ないね的に説明を受け入れてました。
どういうことなんでしょうね?いやー未だわからない事だらけのインドネシア。きっと、また違う人が行ったり、対応してくれる税関職員が変われば支払うべき税率も違ったりするんでしょうね、と疑わずにいられません。
あーインドネシアあるある、また一つ伝説が増えました。


インドネシアのカフェに、普通にあるアボカドジュースです。甘いです。



先日アパート敷地内にある某日系スーパーに行った時のこと。
レジにて会計を済ませ、さぁ帰ろうと思っていた矢先に、そのおばはんがレジにやってきた。手にはビニールの手袋をしている。
そのビニール手袋に、レジに設置している消毒液をどばどばっと3.4プッシュ出し、次から次へとパック詰めされた商品に液体を馴染ませるためか、両手で一つずつ擦り付けていき、終いにはレジ代に商品を次から次へと投げつけていく。
気持ちは察するが、見ていて気持ちが良いものではない。食べ物の扱い方がなっとらん。しかも、まだ支払い済んでいないんだから、あなたの物じゃないでしょーがーとも言いたくなった。そのおばはん、どうやら店員にもやたら英語で文句を言うてるらしい。店員英語わからんやろ?と気の毒に感じる。日本人ではない。
まぁ、どこの世界にも厄介な人はおると思うが、人の振り見て我が振り直せとは、よく言うたものだ。歳を重ねてやや傲慢になっていないか?と日々自問自答している私なのであります。










まだまだ混乱の時代は終息の気配さえ見せてくれないまま、2021年がスタートしました。
ここまで長引くとは誰も予想できなかったのかな?
備忘録として、私たち家族の昨年の動きを記しておこうと思います。

2020 3.11 
小学校修了式
日本の感染者が増えていく中、帰国難民となることを恐れてか、徐々に回りが日本へ帰国を始める。ただ、平常時も春休みは1ヶ月以上毎年休みとなるため、この時期一時帰国する家族も実際かなりの数いる。

2020.4.7
今年は一時帰国を取りやめようと覚悟を決めていたが、やはり脳裏を横切るのは、失業者など一気に増えて暴動が起きたら、帰国するにも帰れないと言う状況。急に不安になり、緊急事態宣言下でも、普段とほぼ変わりない仕事をしている夫を置き去りに、母子だけで一時帰国することを決めた。
ジャカルタ夜便発、バリ経由関西空港行きガルーダインドネシア航空にて。同じアパートに住む3家族と共に、同じ便にて。

4.8
関西空港早朝到着後、空港内にてPCR検査を受ける。空港内はコンビニが営業していた以外は、国内航空会社カウンターなども全てクローズ。
レンタカー会社の開店時間まで、空港内にて待つ。一緒に帰国した一家族と、同じ民泊の階層違いの部屋を2週間待機用に予約していたので、同乗させてもらい大阪市北区大淀中にて、隔離生活開始。
2日後全員陰性結果の連絡あり。

4.21
2週間待機後、一緒に待機生活した家族と別れ、西宮市のマンスリーマンションにて新生活開始。移動はまたしても、神戸に住む友達のお力をお借りした。

5.31
マンション階下の部屋住人より3度目のクレームがあり、引っ越しを決断。歩いて5分ほどの同じくマンスリーマンションに、移動。後日階下住人はクレーマーと判明。日本も怖いです。移動はまたまた西宮市に在住する友達にお力をお借りした。

6.1
西宮市某小学校へ登校開始

12.10
小学校最終登校日
ビザ切れ直近のため、とりあえず一旦ジャカルタに戻る事にしたため、マンスリーマンションを解約、伊丹市の義実家へ身を寄せる。多くの友達に度重なる援助をうけていたのが、なによりも心苦しく、15年ぶりに運転復帰しようとこの期間にペーパードライバー教習を受けたお陰で、運転の楽しさが甦り、自力で引越しを遂行できた。

12.14
自費にてPCR検査受診。翌日陰性判明。

12.17
関西空港発ジャカルタ行き、ガルーダインドネシア航空にて。
空港到着後、関所を3つほど通過し、無事アパートに到着。