今日は昔の職場に行って、「そこにあるもの」をどういう形で活かすことが出来るのか。

そう考えながら過ごしていた。

 

一緒に行ってくれたのは、昔からの付き合いのあるお兄さん的存在。

その方の才能がとても素敵過ぎて、そこにあるのもを大変身させてくれると思っていたからだ。

 

思い通り、そこにあるものを輝かせてくれる意見をもらい、昔お世話になっていたそこにあるものをまた輝く物へと変わるワクワク感があった。

たのしい一日だった。

 

以前から自分の事を知っている兄貴。

色々考えすぎる自分に色んな事を伝えてくれた。

 

「人は好き勝手言うから、いちいち反応しなくていい、結果楽しんで笑えればそれでいい」

その言葉に救われた。生きているってそういう事だよねって。

 

私が生まれてすぐに施設に預けられた。その後養子縁組をしてとても愛情深く育てられてきた。

(昔は養母に私がどう思われるか考えなさい!とメンツばかり気にしている時期もあったが。。。)

今では、お互いに愛し合っていると思う。

環境の中でも、自分がどういう関係性になりたいのか、強く母親に伝えてきた。愛し合える関係になりたいと。

今では、こんな自分を恥ずかしく思う事もなく、私自身を認めてくれている。とても大切な人。

 

一方で、生母からは養母に対しての怒りや憎しみを聞かされている。私が養母をかばうと余計に暴言は増す。

そんな母親のそばで、養子に取られて悲しい思いをしている生母を支えてきたのが姉だった。

その姉は7年前に他界した。

その時に生母から言われたのがある言葉だった。

 

「あなたは○○(姉)が欲しいと言わなかったら産まなかった」

 

そっか、私は姉が望んだから生まれてきたんだと思うようになった。

私が生まれたルーツ。いつも気にかけてくれていた姉。

何かしら自分の居場所がふらふらしている中でも、姉がいる事で自分が成り立っていた。

そんな姉が亡くなって、私は一気に孤独に襲われた。とうとう一人になってしまったと。。。

(今はいつも一緒にいてくれる存在としてずっと心の中に居るのでそんな風に思う事も少なくなってきたけど。。。)

 

話は戻って、姉が亡くなったと連絡を受けてやっと会えたのはすでに自宅に帰ってきた時だった。

もちろん養父母は付き添いに来れず、その時一緒にいたパートナーが付き添ってくれた。

泣きじゃくり、嫌だ嫌だってなく自分を見て冷静に言った言葉が

 

「○○らしい反応だね」っていう言葉だった。

 

芝居してるように見えてるんだ。。。。。。

 

何もかもが真っ暗になり、辛かった。

ダメな事なんだって思った。

冷静なふりをして内側でパニック状態をうまく隠した。

口の中が切れて痛かった。

 

辛かった、わかってもらえなかった、嘘だと思われた

 

そんな思いがさらに自分を追い込んだ。

 

でも、今日兄貴の言う言葉にちょっと自分を癒すことができた。

「人は好き勝手言うから、いちいち反応しなくていい、結果楽しんで笑えればそれでいい」

 

自分は、姉が望んで生まれ、愛し合いたい人たちに愛されている。心配ばかりかけているけど、それでもそんな自分を尊重してくれている。

 

辛かった→同じ経験をした人の支えになれる

わかってもらえなかった→わかって欲しかった、わからない人もいる事を知った

嘘だと思われた→そう思う人がいる

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

それを悲しいと思う事も辛いと思う事も人それぞれ。

人の意見に左右されがちな自分だから。。。

 

結果、生きているから感情は動くものだと知っているから、

 

生きている事を楽しもうと思えるようにしていくしかない。

 

人との関係性でしかそんな感情は芽生えないのではなく、物質的なもの全体でもそうなる。

変かな。変だよね。わかってる。

 

ただ、楽しんだらそれだけ、自分をいたわることになるんだなぁ~って。

 

続きはまだあるけど、今日はここでおしまい。

久しぶりに太陽に当たり、人と会った。

ぐったりした一日に麦茶片手にありがたい言葉を思い出して、おやすみなさい。