誕生日を迎えたらしいです。年齢は知ってる人は知ってますが特に公言してもいないので、見た目年齢を宣言していく方針でもいいのかなと最近は思ってます。24歳になりました。「大学生?」と聞かれることも(ありがたいことに?)未だにあるのでこの年齢ですが、反論が多ければ変わるかもしれません。ただ、年齢なんて飾りです、たぶん。年齢確認はここ数年でやっとされなくなりました。ラスト年確は金沢のセブンイレブンか蒲田のドンキホーテのどっちかでした。

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念のため先に書いておくと、今回、他人から読みやすい文章にしようなんて意識は一切持ってません。あと、長いです。どのくらい長いか一度闇雲にスクロールしてから帰ってきてみてください。

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自分のはさておき、誰かの誕生日は祝いたくなるんですよね。この文脈では、その人の親じゃなくて当人となります。最近は昔と比べて関わり方が変わったのであまり把握していないですが、昔はよく絡む人たちの誕生日は記憶していて、ライブの日程が近かったら祝ったりもしていましたね。懐かしい。ケーキ持ち込んだの京都だったっけ、後で色々と邪魔になったっけ、覚えてないや。ただ、自分の誕生日は365日分の1日に過ぎないので特に波風が起こる物でもなく、自分が祝われなくても気にしてはいけないよ自意識過剰だという感覚で生きてます。誰とも会わない夏休み終盤、ただ笑っていいとも!を見て誕生日を終える生活をしていた弊害ですかね。いいとも見てると間接的に誕生日を祝われた気持ちになれるんですよ。総集編行きされることもありましたが。いいとも総集編が日曜の昼前に流れてたの懐かしいですよね。実際、誰かに祝ってもらった記憶なんて片手で数える程度です(幼き頃の家族との思い出を除く)。そしていつからか、誕生日をいい思い出として終えるという事もなくなった気がします。気の持ちようだとも思うので、たぶんいい風にはイメージしていないんでしょうね。最近は仕事をしてるから、過去にも増して本当に何も起こらない1日です。会社で日付の変わり目を迎えた年もありました。確かバナナマンの設楽さんがラジオで言ってたようなぼんやりとした記憶の話から拝借するんですが、誕生日をいつまでも祝ってもらえるかなんてわからないものです。人は関わりという理の中で生きているんでしょうね、関わりが消えると次第に祝われなくもなってくる。それを寂しく思うか、はたまた何とも思わないのか。寂しいって感情もいつまで持ち続けられるんですかね。慣れって恐ろしい。


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要するに許された引きこもり、いや、奨励された引きこもりですね。ただ、ネット注文や宅配サービスに寄せきれてないわたしはまだプロの引きこもりとは言えません。アマチュアです。アマチュアの引きこもりです。きっと引きこもり世界大会のメダリストたちは次元の違う引きこもり活動をしているでしょう。彼らは世界大会だからって家から出てくるはずがありません。そう、リモート開催。今ではリモート向きのツールも多数あります。Zoomでバトルかもしれません。Zoom飲み会というのも話題になりましたね。3回くらいしかやったことありません。向いてないのかもしれません。元々深夜に電話とかするタイプの人たちが、その延長戦で開催するとハマるんですかね。深夜に電話とかはしてこなかったですからね。深夜にするのはTwitterにポエム投稿です。何がポエムだよ。ポエムではないにせよタイムラインで会話していた記憶がありますね。呼吸するようにエアリプをし合うあの頃が懐かしい。


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ここまでの文章を、確信を突かない抽象化とでも言っておきます。的を得ない文章ですね。的なんだから得るよりも射るじゃないかとも思います。時代が進むにつれて使い方が変わる言葉ってありますね、全然ありますよね。


価値観といえば、好きな物って変わる物もあれば変わらぬ物もありますね。何に対して価値を見出すか、環境が変われば重きを置く物も変わって当然なのでしょう。

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さてさて。ここまでもし全てを読んだ人がいたとしたら、その人はトランプタワーを立てた方が有意義な時間だったと感じるかもしれません。ヒソカならきっとトランプタワーを立てているでしょう。しかしヒソカがトランプタワーを立てている、そんな描写をわたしたちは古いカットでしか楽しめません。連載再開が待たれますね。1000日が経ったらしいてすね、詳しくは知らんけど。いや、待ってください。再開されても楽しめないかもしれません。私たちが目にするのは王族の後継者争いのはずです。途中で止まったせいで内容がイマイチ記憶に残っていませんが。

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文章を作るという事は難しいと思うことが多々あります。文章を成果物として提供する仕事じゃないとしても、言葉から離れて仕事を完結できる人は稀有だと思います。人と関わる以上、人と人との間は言葉がつなぎます。100%を技術に込めて商品を生み出す職人を除けば、いや、そんな職人だってお金をもらう相手がいる以上、言葉が必要になる場面もあると思います。自分の綴る言葉は誰かしらに受け止められる事が大半でしょう。独り言だって、周りに誰かがいれば拾われるかもしれません。拾われたからどうしたって思いますけど。今回こんな支離滅裂な独り言のような文章になっていますが、ひとつだけ意識している事があります。例え読みづらくても、誰かに見られても大丈夫な文章かどうかです。昔と比べて自分の発した言葉が届く影響範囲が広がったように感じます。SNSを筆頭に、技術が進歩する事で情報が一層広まるようになったと思います。今まで身の回りのコミュニティだけで発していた発言も、気付いたら情報の海の中を漂い見知らぬ大地にたどり着いてしまいます。つまり言葉の漂着です。拡散されなくても、検索されれば赤の他人の目に付いてしまいます。推しメンかわいいって言っただけで知らない人からいいねが付く世界ですよ、こわいですね。閉鎖されていない社会の中ではどんな人が見ているかわかりません。当たり屋みたいな人もネット上のリプ欄などで散見するようになりました。ゆえに、自分の発する言葉がどう取られるかは常に意識しないといけないなと感じています。誰かが好きだと感じる発言は、別の誰かにとって刃に変わるかもしれない。昔はエアリプでしょうもない会話をしていましたが、そんなエアリプ会話にすら、互いの関係性など知った事じゃない第三者の目が突き刺さるようになりました。生きづらい世の中ですね。自由に発言するためには、コミュニティに制約を付けないといけない状況の到来です。自由には制約が付き物と聞いたことがある気がしますが、こんな制約は本当なら付けたくありません。制約と誓約、律する小指の鎖です。ただ、仕方がないのでやはり制約は付けるようになりました。人間は人間の行いのせいで自らの行動に枷をつけてしまう生き物なんですかね。正直者が馬鹿を見ているだけな気もします。話を戻そう。やっぱりちょっとこの口調に時代を感じますね。めっちゃ古いネタよりもちょっと古いネタの方が使いづらくなる現象って名前でもあるんですかね。

さておき、誰かに見られ得る言葉をつむぐというのは労力を使います。この文章だって、気付いてみればこの長さ、どれだけの労力が払われているのかわかりませんね。つまり、読んでる人にとって無駄な時間となるこの文章、書いてる人にとっても無駄な労力になっているという事です。人はどうして走り出したんだろう。残業削減が謳われるこのご時世、日々の暮らしをスマートに生きたいですね。最近ほしいものはスマート家電です。でももっとほしい物は新しいiPadです。でもさらにほしい物は5000兆円です。そんなツイネタありましたね。他人に何かをもらう事なんてほとんどないので、もらえる物ならなんでも嬉しいんですよね、本当のところは。ま、もらえなくても気にすることはありません。だってわたしの誕生日なんて、所詮は365日分の1日なのだから。長文駄文、お粗末様でした。