Eテレで、

 

去年見に行った

ナウシカ歌舞伎の

舞台裏をやっていた。

 

世界観が

大きければ大きいほど

歌舞伎という器で表現できる。

 

尾上菊之助はそう言った。

 

 

 

衣装でも鬘でも

今までの伝統の役を

当てはめて表現を考え

 

 

 

 

セットを考え

 

 

 

 

宮崎駿が

本当はピンクを乗せたかったという

腐海のイメージを

舞台美術で表現してみせ。

 

 

 

この台詞は説明的すぎると

尾上菊之助が言っているのを見て

 

娘は、

「説明的すぎなんてあるー?」

と笑う。

 

僕はちょっと考えて

「現実を考えてごらん。

説明は一個もないでしょう?」

と返す。

 

 

とても大きなもの、

小さなもの

 

王蟲の子や

巨神兵や

シュワの墓所を

 

「〇〇の精」として表現して

心映えは踊りで交わす。

 

王蟲の子と別れる

映画最後のシーン

 

王蟲の子の精が

まるで初めての踊りを

ナウシカに教えるかのように

舞い

 

シュワ墓所の精と

巨神兵の精は群舞。

 

戦うように、競うように、

刺し合うように舞う。

 

 

悲しみを舞いで表現するように

考えられてきた10分近い

渾身の振り付けを

 

これでは逆に心情が出ない

 

 

例えば

「藤娘」で悲しみを表現するとき

楽しい思い出を踊るように表現する。

 

 

そんな風に

理想への想いを

表現したいと言ったり。

 

 

 

物語はいつでも

裂け目を描く。

 

 

全体と個、

理想と願い、

 

今の幸せと

未来の幸福との間には

いつも裂け目があって

 

それが物語には描かれる。

 

いや、物語は

それを話したいのだ。

 

 

新しい酒を

古い革袋に入れてはならない。

 

新しい発酵に勢いのある酒を

古い革袋に入れると

袋が裂けてしまうという

言い回しだが

 

日本が工夫して

伝えてきた古い革袋は

本当に素敵だったよ。