メルマガで書いた記事、
とても反響をもらったので
こっちにも書きます。
良かったら読んでね^^
“先日は参院選でしたね。
投票率が過去最低だけれど、
事前投票は過去最高。
つまり、意志を持って
投票に行きたいと思う人が増えたのだ
そんな気がします。
(九州の豪雨と重なったせいもあるかも
知れませんけれど)
さて、僕はというと
理論上投票を放棄する、無関心こそ
既成権力を利するというのは理解するのだが
どうしても投票に関心が持てず
足が向かなかった。
だが、今回はちょっと違いました。
れいわ新選組という政党で
ALS患者の舩後靖彦氏、
脊椎損傷の木村英子氏が出馬し
見事当選しました。
政治学者はこの動きを
「左派ポピュリズム」と呼ぶそう。
ポピュリズムというのは
エリート主義に対する反発のことで
左派とは平等を重視することで
右派とは伝統を重視すること。
(相当ざっくりw)
個人的には、
そういう解説記事を読むと
相当違和感があります。
そのような願いがあって政党を
応援した訳ではないですし。
消費税なんかも関心がなくて、
全体にとって何が最適かなんて
分からないからね、
と思ってしまいます。
(ただ、消費税が累進課税の
穴埋めに使われていたと聞けば
義憤が沸きますが)
ただ、首から下が動かない
障害がある人が議員として国会に行く。
そのことがすごいと思ったのです。
そのことを論点とする場合
「誰かの命を選別する社会は
いつかあなたの命も選別する」
このことはれいわ新選組の論点だし
逆に、ヒトラーとナチスは
民主主義からドイツ国民の支持を得て
生まれた怪物なのだから
どのような主張の元に生まれた権力も
同じ弾圧を起こす可能性はいつも
秘めていると思って見ています。
でも、普通の人にとって
彼らの活躍が勇気をくれるかどうかは
微妙なところだと思います。逆に。
普通に生きてて
自分に何も無いって思っていたら
むしろ心がざわついたり
自分を責めたりすることも
あるんじゃないか。
れいわ新選組公認第二位の
木村英子さんは
生後八ヶ月の時に落ちて首を損傷して
それから障がい者となった。
彼女は
「生きていても障害があったら迷惑をかけるし、
私の存在価値を自分で認められなかった。
ただ普通に生きたいなと思っても・・」
そうできなかったと語っている。
逆に僕は思うのは、
普通に生きている人が
普通に自分の存在価値を認めるのは
簡単じゃないだろう、ということです。
それが自然に出来ないから
他との差異を必要としたり
他と同じであることを必要とする。
それが行き着くのが
やまゆり園の加害者です。
どちらにしても同じです。
障害があっても、なくても
自分を認めることが出来るためには
別の方法が必要になる。
条件自体をつけないで
自分の存在価値を把握しないといけない。
僕は滅多に「いけない」と言いませんけど
これはいけない、です。
条件をつけないで
自分を認めるのに必要なことは
たった一つです。
なんだと思いますか?
それはね、
正しいことじゃなくて
自分のフェチ(=好き)を
大事にすることです。
それは、限界があること
完璧じゃないものを
ただ愛するってことなんです。
れいわの舩後さん、木村さんは
その力が強いだろうと思います。
僕たちが本当に学べる、役立つのは
多分その部分なのですが、
それを学ぶためには
ちょっとTVで活動を見るような
情報の入手の仕方では難しいでしょう。
それに、僕たちの常識にも
それを邪魔するものがたくさんあるしね。
・・は間違ってる
・・じゃなきゃダメだ
・・が普通だ
・・はおかしい
少しでも誰かが苦しくなるような
間違った「当たり前」が
少なくなることを願って。”
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