娘の音楽発表会があって、
小学校に行った。
そのまま引き取り訓練
(避難訓練的なもの)をやるというので、
校庭で待つ。
併設された小学校のプールでは
カモが一羽悠々と泳いでいて、
オナガが木々の天辺から天辺を
横切って飛んでいく。
(学校のプールって塩素キツクないのかな? 笑)
校庭の端には
フェンスの小屋があって
うさぎが二羽飼われている。
僕は、犬派?猫派?と
聞かれたら
うさぎ派だと答える人なので、
フェンス越しに
あのふわふわした毛並みを
触れないけれど、
ずっとうさぎを眺めていた。
さて、そこに
多分まだ幼稚園くらいの
男の子が近づいてきた。
多分そんな子が多いのだろう。
フェンスの前には、
「餌をあげない、
大きな声を出さない、
モノを投げない」
と注意書きが貼ってある。
その男の子は、
「おい!うさぎ!」とか
言いながら近づいてきて、
うさぎに石ころを
投げ始めた。
こちらに背を向けている
うさぎのお尻がビクッと震えて
怯えているようだ。
僕は、カッチーンと来たが
(娘だったら無言で後ろから
頭をはたくところからスタートだ)
ふと頭が巡る。
男の子の目には、
うさぎが怯えてることなんか
見えていない、入っていない。
この子に怒ってもしょうがない。
僕はだから、
男の子の坊主頭に
ポンと手を置いて
「石を投げるのは、やめな。
こわがってる」
と、言った。
男の子は無言で駆けていき、
後ろの方にいたお父さんにつかまって
すげー怒られてた。
いやいや、
見てたんなら止めろよと思ったし、
できればお父さんには、
なあ、何て言われたの?って
聞いてみて欲しかったけど。
僕がその時
気づいたのは、
怯えるうさぎへの共感と
怒りや腹立ちは、
男の子のせいなのではなくて
僕の中にあるものだということ。
僕は確かに、
腹が立って感情が動いた。
だけど、その男の子は
まったく悪気が無くって、
というか何も考えていないようで
そう、それは
無邪気というものだった。
それに気付いたなら僕は、
自分の中に感じた感情とは別に
“それをどのように表現するのか”
を選ぶことができる。
だって僕の腹立ちは、
その無邪気な子とは関係ないものね。
人は意外に、自分のことを
分かっていない。
無意識でオートマチックに
判断し、思考し、反応している。
自分をコントロールする、
自律できる人になる前に、
まず、自分と出会うことが
大切なのである。