山崎正和(大阪大学名誉教授・劇作家)は
観世寿夫と対談して、
世阿弥と
メルロ・ポンティ(フランスの哲学者)を
比較している。
メルロ・ポンティは
人間のからだについて精巧な考察をした。
からだは我々自身であって、
それ以外の何物でもない。
だが、からだは我々の道具で、
対象でもあるから
我々自身ということとの間に
二重性を持っている。
例えば初めて自転車に乗る時は、
自然には乗れない。
そういう時は、
道具としてのからだを
強く意識するけど、
上手に乗れるようになると
意識しなくなる。
世阿弥は
「初心忘るべからず」と書いた。
からだが思い通りにならかった
初心を忘れてはいけないという意味で、
(初心に帰るわけじゃない)
これはそもそも
からだと我々の間の二重性を
思考しているわけなのだ。
僕はカウンセラーなので、
からだは我々自身だという視点から
メルロ・ポンティとは逆に
我々が自分自身と思っている思考を
道具として対象となるものとして
扱うことがある。
(先日中学校でもそんな話をしたw)
つまり、それだけ世阿弥は本質的なのだ。
何故なのか、は分からない。
禅の思想によるものか
「阿弥」の称号が示すように、
専修念仏の時宗のせいなのか。
一つ言えるのは、山崎正和も言うように、
日本で世阿弥ほど整然とした理論を残している
芸術家はほかのジャンルにも一人もいない、
ということなのだ。
というわけで、
こんなマニアックな本にまで
手を出してしまった長ーい言い訳w
世阿弥の全著作を訳して評した研究書だ。
にしても。
amazonで上下で1195円だった。
安すぎる。。
「名著共読会」は毎月第二金曜日
・風姿花伝(世阿弥)14時~
・武士道(新渡戸稲造)19時~
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