【マイメロ論と心理学】
TBSの宇垣美里アナウンサーの
「マイメロ論」が面白い。
ストレスを緩和するための対処法のことを
“ストレス・コーピング”というが、
少しこの心理学のセオリーと
違うところがあって興味深い
のである。
宇垣美里アナはとあるコラムで
「ふりかかってくる災難や、どうしようもない
理不尽を、一つひとつ自主的に受け止めるには、
人生は長すぎる」
と書き、
「そんなときは、
『私はマイメロだよ~☆
難しいことはよくわかんないし
イチゴ食べたいでーす』
って思えば、
たいていのことはどうでもよくなる」
と綴った。
実は、ストレス・コーピングには
大きく
1、問題焦点型
2、情動焦点型
の二種類がある。
1、問題焦点型コーピングは、
原因となる問題に働きかける方法。
例えば騒音が気になるなら、
ヘッドフォンをするとか
場所を移動するといった
直接対処するやり方だ。
2、情動焦点型コーピングは、
考え方や捉え方を変える方法だ。
物事のプラスの側面を探すことや、
そもそも気にしている自分を
認めてあげるだけで
気持ちが楽になったりする。
「マイメロ論」は、系統的には後者だ。
悩みというのは、
一度 自分の中に入り込むと
ぐるぐる脳裏を巡る。
それを、スコーンと断ち切るのが、
「マイメロ論」の効果だ。
イチゴが出てくるのもよい。
悩みで堂々巡りをするのは
思考だから、
悩んでいる時には五感や身体感覚が
意識から遠くなっている。
おいしい食べ物は、そんな悩みを
断ち切るパワーがあるのだ。
さて、ここからは
完全に余計なお節介である。
ちょっとだけ心理学的な
深読みをしてみる。
「情動焦点型コーピング」と比べて
「マイメロ論」が変わっているのは、
ストレス対象を変換するのではなくて、
自己イメージを変換しているところだ。
通常のコーピングでは
ストレスの“対象”に働きかける。
問題焦点型もそうだし、
情動焦点型でも、簡単に言ってしまえば
対象のイメージを変える。
だけど、「マイメロ論」では
自分のイメージを変える。
「マイメロ論」と検索すると
補助キーワードに「心理学」と出てくる。
合わせて検索する人が多いのは
気になるからだろう。
自分のイメージを他のものに置き換える時、
今の自分は横に除けて、
否定(または凍結とか何か)しているのである。
あらかじめ自分の評価を自分で下げておくことを
心理学で「ディスカウント」という。
自分を無力なものとして扱うことで、
失敗のダメージを抑えられる。
それは反面、
失敗する自分を許せていないわけで、
今を超えた挑戦しないことにも繋がって
臆病だとも言える。
人にはそもそも色んな面があるもので、
僕はどちらかというとそれを伸ばす
手法を選ぶことが多い。
だから、どちらかというと
マイメロな私、を引き出すイメージが
良いように思う。
マイメロに変身してしまうと、
そうでない自分が取り残されていて
残った自分と「理不尽な問題」が
くっつきっ放しになる。
そうすると、自分と世界の関係が
解決しないままになってしまう。
このマイメロ論が書かれた文脈も、
それを示唆していて気になる。
降りかかってくる災難を
本当に理不尽だと思っているなら
そんなの気にしなければ
いいことでしょう、と僕なら思う。
普通悩む時は、
災難が理不尽だと思えなくて
悩むものだ。
理不尽な世界と自分の関係は、
その人の人生観と強くつながってくる。
人は誰しも小さい時に
“人生とはこういうもの”という
イメージを作りあげる。
宇垣美里アナは、
「ふりかかってくる災難や、
どうしようもない理不尽を、
一つひとつ自主的に受け止める
には、人生は長すぎる」
と書いていた。
最後、“人生は長すぎる”となっている。
普通、というのもおかしいが
慣用句的には
どうしようもない理不尽を受け止めるには
“人生は短い”って書かないだろうか。
これは、「理不尽な災難」が起こるのが
例外的な出来事ではなくて、
人生のスタンダードだと感じていることを
示唆しているのだ。
さて。
「マイメロ論」は同年代の若い女性に
共感の声が多いそうだ。
分かるなぁと思われた方、
【人生観】の方もチェックしてみることを
おススメします。
新しい自分が見つかるかも知れませんね^^