台風一過、
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
関東圏では少し前まで
風がゴーゴー吹いていましたが
今は穏やかになって来ました。
さて、僕は
松岡正剛のisis編集学校の
プログラム守・破を修了していて
実はいま最難関プログラムの
「離」を受講中です。
(なので、メルマガ配信が減ってます)
とはいえ会社員しながら
メンタルヘルスの講師をして、
僕のメインプログラムも
受講いただいてと
お陰様で超充実しております。
そしてその「離」のプログラムは、
平均2000字のテキストが
一日数回届き、そこに埋め込まれた
調査や深い考察が必要なお題が複数。
始まって一週間で、
古代中国の思想家達をお互いも
ほとんど知らないグループ同士で
三日で調べあげて膨大なレポートを
作成するという
脳から出血しそうな
プログラムなのです。
さて、先週は一週間
お休みだったので
(「お休み」と書いて溜まったお題を
片づける「追い上げ」と読むのですが)
中国思想家の
代表と言うか事始め、
「孔子」について
お話ししようかと思います。
孔子と言えば「儒教」の創始者。
皆さま儒教というとどんな
イメージをお持ちでしょうか。
孔子が生まれたのは
西暦前551年。
中国を統一していた「周」という
王朝が斜陽にあって
春秋戦国という
動乱の時代に移り変わっていく頃です。
儒教というと礼や孝のイメージを
お持ちの方も多いと思いますが、
孔子の言う礼とは
この「周」で定められた規定を
守る意味合いが強かったのです。
日本に孔子の教えが入って来たのは
西暦5世紀過ぎですから、
1000年近く経っています。
この頃には論語を含む四書五経の
形に整理されて伝わりました。
儒教の元となる論語は
孔子の語ったことを後の弟子たちが
まとめたものですから、
孔子は違うものから教えを説きました。
それは、「詩経」でした。
彼は自然を見ること、歌う方法
自然の類別や理をきちんと言葉で
表現することが
正しい政治、礼につながっていくと
考えていたのです。
僕は、論語、儒教というと
徳川政権のイメージを持っていましたが
聖徳太子の前から入っていて
日本を形作ってきた思想の
一つだったのです。
さてでは、論語で一番好きな
言葉を引いて終わりにします。
「君子は和して同ぜず、
小人は同じて和せず」
広い知見を愛しながら
自分を持っていられる。
そんなようであれますように。
今日も最後まで読んでいただいて
ありがとうございました^^