楠木健さんの本を読んでいて、
「特殊読書」という表現が出てきた。

楠木さんは多読で、もちろん
面白い本は読みたいし、
つまらない本は読みたくない。

だけど、他にもう一種類、
「読むとイヤな気分になる本」
というのがあって、そういう本を
読むのはけっこう好きなのだそう。

たとえば、石原慎太郎の
『わが人生の時の人々』
俺様系自慢話のオンパレードで
実にいい感じでイヤな気分になれるw
石原慎太郎の小説は好きなのに。

それで、こんな事言っている。

“この捻じ曲がったヘンな感情は
どういうことなのかな、と自分でも
時々不思議になるのですが、
ある人から「イヤになるというのは、
どこかにひっかかりがあるからだよ。
自分の興味関心の奥底に触れる何かが
あるから、読んでいて面白いんじゃないの」
と言われたことがあります。

なるほど、と思いました。
イヤな気分になるということは、
どこかで自分に深く関わっている。
まったく何も関心がなく、自分と考え方が
違うだけなら、イヤになる以前に、
ただの「つまらないもの」として
スルーされるという成り行きです。”


いや、面白い視点ですよね。

この話を読んで、小学生の頃のことを
思い出した。

その頃、反抗期だったのかよく分からない
けれど、何か気に食わないことがあると
よく屋根裏に閉じこもっていた。
(父親が天井を引っぺがしてロフトを
作って子供の寝台にしていたのだ)

その時に、怒っているのだけれど
心の片隅では少しニヤけている自分が
いた。
正しいと確信できることを盾に
強い態度に出られるのが
少しだけ快感だったのだと思う。

いつかふと、そんな自分に気がつく。
「怒っている相手に、何らかの期待を
していて、だから怒る」という矛盾に
気づいたのだ。
それからは、いじけて部屋に引きこもる
という幼稚な方法は改めるようになった。


怒りは第二感情だと言われる。
単体で生じるのではなく、その前に期待が
あって、裏切られるから生じる。

憎しみは愛情の裏返しだと言う。
愛情の本当の反対は無関心なのだ。


怒りや憎しみは、それを感じること自体を
認めるのが嫌だという人がけっこう多くて、
素直に直視したり感じたりできない人がいる。

本当は、感情と実際の行動は別。
感情自体に善悪はない。


色々なマイナスの感情、
味わってみると自分の大切な価値観だったり
思いだったりすることが見るかる事がある。

そのためにも、ちょっと素直に
自分の気持ちを感じてあげるといい。

そこで感情を押さえて蓋しようとすると、
その底にある自分自身に気づくことが
出来なくなってしまうから。