では、僕の分析に入りましょう。
↓↓スピーチ内容の書き起こしはこちら
http://ameblo.jp/whiteprizm/entry-12177074171.html
まず、彼の議論は基本的に
政教一致した見解であると捉えます。
信者が信者に語っている面が大きい。
だから、
創価学会は政治と癒着があると述べる証拠はどこ?
とか、
国家の自衛はどのようにあるべきか言ってないよね?
ということはひとまず置きます。
彼が言うように、
牧内常三郎が宗教弾圧によって獄死=
権力を批判しない宗教は、宗教じゃない
とするならば、
そもそも公明党の存在が間違っている
ということになると思いますが、
それもおきます。。
彼は今も創価学会男子部の一員だと言っていて、
4世代続いた学会員の初代ひいおばあちゃんも
尊重した発言をしています。
その上で彼は、
“自分の信仰を、
自分の人生を自分の幸せを、
組織の意志に任せるだけにするのは
終わりにしましょう。”
と言っている。
つまり、「自分の信仰の在り方」
(と幸せと人生の在り方)について
話しているのです。
さて、ここで問題となるのは
“組織の意志と正しい信仰の違いを
どのように見分けるのか”
ということです。
「安保を批判すると地獄に落ちる」という
幹部の方の発言はインパクトがあります。
ただその発言が
「信仰をダシに」政治判断を制限しているのか、
「信仰を元に」政治判断を推奨しているのか、
どのように見分けるのだろう、と
思うわけです。
実は、宗教の本質的な矛盾が同じところに
現れます。
宗教では信仰が必要です。
でも、それを自分の意志で信じることが
求められることがほとんどです。
(時々違う教義もありますが)
そしてその、
“自分の意志で自分の考えでないものを「信じる」”
ということに矛盾があるのです。
それに加えて、信仰と意志、宗教と政治、など
対立構造で物事を説明しようとすると、
どちらに何を入れるか恣意的な説明が出来て
しまったりします。
僕は、神vs悪魔の対立構造の話をよくします。
一つの宗教内に神と悪魔が存在するという教義を
信じることができれば、
世界の嫌なことは悪魔のせいに、好ましいことは
神のおかげにすることが可能です。
そして、グレー部分を好きなように調整できます。
この学生さんの主張には、本当に無意識だと
思うのですが、宗教vs権力という対立構造が
見られます。
権力を批判しない宗教は、宗教じゃない!
の発言にはそういう構造があるわけです。
・宗教に含むもの
池田大作、牧内常三郎、ひいおばあちゃん、
全国の学会員さん個々の信仰、自分の判断
学問、言論の自由、安保の反対
・権力に含むもの
安倍政権、公明党、学会幹部、思想統制
癒着、政治判断の制限、組織、功徳、安保
となっていて、結構恣意的ですよね。
この構造は、宗教の持つ説得力の基礎の一つで、
学会幹部が脅しに使う功徳vs地獄に関しても
同構造です。
だから、この学生さんは
その学会幹部の発言と同じ構造を持つ
宗教の二項対立のロジックをそのまま使って、
内容を自分好みに入れ替えただけなんですね。
だから不思議な事に、
創価学会を分裂させる意図はないと言いながら
幹部の人と違う主張ができる。
それは多くの宗教でも同じことで、
自分が本道だと主張する分派がたくさん出来るのは
そういう訳なのです。
だから、多分みんな思ったと思うのです。
本当に必要なのは、どういうことか。
池田大作の思い描いた組織の形とか
ひいおばあちゃんの望んだ世界とか、
そういうものではなく。
結局のところ、自分がどうありたいか、
どうあったら良いと思うのか。
考えて調べて実験するしかない。
確かにそうなれば、ユナイト(団結)は
できないかも知れないし、創価学会が
分裂しないでもいられないかも知れない。
でも、それを許す度量と勇気が無いのなら、
それは弾圧だし、思想統制です。
そして、思想統制を推進するエンジンが
宗教の構造には含まれているのです。
↓↓スピーチ内容の書き起こしはこちら
http://ameblo.jp/whiteprizm/entry-12177074171.html
まず、彼の議論は基本的に
政教一致した見解であると捉えます。
信者が信者に語っている面が大きい。
だから、
創価学会は政治と癒着があると述べる証拠はどこ?
とか、
国家の自衛はどのようにあるべきか言ってないよね?
ということはひとまず置きます。
彼が言うように、
牧内常三郎が宗教弾圧によって獄死=
権力を批判しない宗教は、宗教じゃない
とするならば、
そもそも公明党の存在が間違っている
ということになると思いますが、
それもおきます。。
彼は今も創価学会男子部の一員だと言っていて、
4世代続いた学会員の初代ひいおばあちゃんも
尊重した発言をしています。
その上で彼は、
“自分の信仰を、
自分の人生を自分の幸せを、
組織の意志に任せるだけにするのは
終わりにしましょう。”
と言っている。
つまり、「自分の信仰の在り方」
(と幸せと人生の在り方)について
話しているのです。
さて、ここで問題となるのは
“組織の意志と正しい信仰の違いを
どのように見分けるのか”
ということです。
「安保を批判すると地獄に落ちる」という
幹部の方の発言はインパクトがあります。
ただその発言が
「信仰をダシに」政治判断を制限しているのか、
「信仰を元に」政治判断を推奨しているのか、
どのように見分けるのだろう、と
思うわけです。
実は、宗教の本質的な矛盾が同じところに
現れます。
宗教では信仰が必要です。
でも、それを自分の意志で信じることが
求められることがほとんどです。
(時々違う教義もありますが)
そしてその、
“自分の意志で自分の考えでないものを「信じる」”
ということに矛盾があるのです。
それに加えて、信仰と意志、宗教と政治、など
対立構造で物事を説明しようとすると、
どちらに何を入れるか恣意的な説明が出来て
しまったりします。
僕は、神vs悪魔の対立構造の話をよくします。
一つの宗教内に神と悪魔が存在するという教義を
信じることができれば、
世界の嫌なことは悪魔のせいに、好ましいことは
神のおかげにすることが可能です。
そして、グレー部分を好きなように調整できます。
この学生さんの主張には、本当に無意識だと
思うのですが、宗教vs権力という対立構造が
見られます。
権力を批判しない宗教は、宗教じゃない!
の発言にはそういう構造があるわけです。
・宗教に含むもの
池田大作、牧内常三郎、ひいおばあちゃん、
全国の学会員さん個々の信仰、自分の判断
学問、言論の自由、安保の反対
・権力に含むもの
安倍政権、公明党、学会幹部、思想統制
癒着、政治判断の制限、組織、功徳、安保
となっていて、結構恣意的ですよね。
この構造は、宗教の持つ説得力の基礎の一つで、
学会幹部が脅しに使う功徳vs地獄に関しても
同構造です。
だから、この学生さんは
その学会幹部の発言と同じ構造を持つ
宗教の二項対立のロジックをそのまま使って、
内容を自分好みに入れ替えただけなんですね。
だから不思議な事に、
創価学会を分裂させる意図はないと言いながら
幹部の人と違う主張ができる。
それは多くの宗教でも同じことで、
自分が本道だと主張する分派がたくさん出来るのは
そういう訳なのです。
だから、多分みんな思ったと思うのです。
本当に必要なのは、どういうことか。
池田大作の思い描いた組織の形とか
ひいおばあちゃんの望んだ世界とか、
そういうものではなく。
結局のところ、自分がどうありたいか、
どうあったら良いと思うのか。
考えて調べて実験するしかない。
確かにそうなれば、ユナイト(団結)は
できないかも知れないし、創価学会が
分裂しないでもいられないかも知れない。
でも、それを許す度量と勇気が無いのなら、
それは弾圧だし、思想統制です。
そして、思想統制を推進するエンジンが
宗教の構造には含まれているのです。