個人でビジネスをする場合、
無形のサービスを提供する人は、
(コンサルやコーチなど)
高額の商品を作らないと
ビジネスが回りにくい。
それには二つ理由があって、
①新しいお客さんに
アプローチし続けることが難しい。
(集客の問題)
②一対一で時間を使うので、
量を売り上げることが難しい。
それで、高額商品を作って、
さあ売るぞという時に売りこめない。
そのような状態を、
「お金のブロックがかかっている」と
表現したりする。
自信が無いことが原因なのがよくあって
これには行動的なアプローチが必要だけれど、
それと別に、何だか高いお金を
もらうのに罪悪感を持つ人がいる。
その場合、罪悪感はその人の
価値観から来ている事が多い。
その価値観は千差万別なので、
ここでは触れない。
(直接話せば分解できます)
ただそもそも「価値」とは何か
考えてみたい。
僕は結構いい歳になるまで、
無意識で価値には序列があると
思っていた。
例えば聖書にこんな言葉から
無意識に影響を受けていたのかも
知れない。
「信仰・希望・愛、この三つは残る。
でも、もっとも価値があるのは愛です」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章13節)
宗教ではそもそも正しい生き方が
存在して、皆そこに近づこうとする。
それと同じように、価値にも絶対の
序列がある。
それが覆ってしばらくしてから、
あれ?と。
絶対の価値があるんじゃなくて
人が価値を感じる、作るのか、と
ふと思ったのだ。
後から調べるとこれは哲学のテーマ
ともなっていて、
「価値関心相対主義」と言われる
考え方となっている。
これはもっとポピュラーだと、
例えば仕事の上司と部下が課題を
相談するような時でも、
行動を重視するタイプか、
気持ちを重視するタイプか、
戦略を重視するタイプか、
によって話す言葉がずれてくる。
自分の価値観というものを
客観視出来ないと、
コミュニケーションにずれが
生じるのだ。
それで、これはお金を受け取る
時にも起こり得る。
よく、日本では水と安全はただと
言われた時代があった。
でも、砂漠で乾いているときの
水には違う価値がつく。
それを弱みにつけ込んでいると
感じる人もいれば、
よくここにこのタイミングで
運んで来てくれたと感じる人も
いるだろう。
自分が前者の感覚を持っていて、
それに無自覚であるということは
後者の感覚に気づけないという
ことなのだ。
実はここを
無意識で突破できない人が
結構いるのだそう。
意識的に選択できるのであれば、
それはその人の価値観、です。
でも、嫌なのに変えられないとしたら、
自由ではない、縛られているということ。
その際はご連絡下さいね^^
無形のサービスを提供する人は、
(コンサルやコーチなど)
高額の商品を作らないと
ビジネスが回りにくい。
それには二つ理由があって、
①新しいお客さんに
アプローチし続けることが難しい。
(集客の問題)
②一対一で時間を使うので、
量を売り上げることが難しい。
それで、高額商品を作って、
さあ売るぞという時に売りこめない。
そのような状態を、
「お金のブロックがかかっている」と
表現したりする。
自信が無いことが原因なのがよくあって
これには行動的なアプローチが必要だけれど、
それと別に、何だか高いお金を
もらうのに罪悪感を持つ人がいる。
その場合、罪悪感はその人の
価値観から来ている事が多い。
その価値観は千差万別なので、
ここでは触れない。
(直接話せば分解できます)
ただそもそも「価値」とは何か
考えてみたい。
僕は結構いい歳になるまで、
無意識で価値には序列があると
思っていた。
例えば聖書にこんな言葉から
無意識に影響を受けていたのかも
知れない。
「信仰・希望・愛、この三つは残る。
でも、もっとも価値があるのは愛です」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章13節)
宗教ではそもそも正しい生き方が
存在して、皆そこに近づこうとする。
それと同じように、価値にも絶対の
序列がある。
それが覆ってしばらくしてから、
あれ?と。
絶対の価値があるんじゃなくて
人が価値を感じる、作るのか、と
ふと思ったのだ。
後から調べるとこれは哲学のテーマ
ともなっていて、
「価値関心相対主義」と言われる
考え方となっている。
これはもっとポピュラーだと、
例えば仕事の上司と部下が課題を
相談するような時でも、
行動を重視するタイプか、
気持ちを重視するタイプか、
戦略を重視するタイプか、
によって話す言葉がずれてくる。
自分の価値観というものを
客観視出来ないと、
コミュニケーションにずれが
生じるのだ。
それで、これはお金を受け取る
時にも起こり得る。
よく、日本では水と安全はただと
言われた時代があった。
でも、砂漠で乾いているときの
水には違う価値がつく。
それを弱みにつけ込んでいると
感じる人もいれば、
よくここにこのタイミングで
運んで来てくれたと感じる人も
いるだろう。
自分が前者の感覚を持っていて、
それに無自覚であるということは
後者の感覚に気づけないという
ことなのだ。
実はここを
無意識で突破できない人が
結構いるのだそう。
意識的に選択できるのであれば、
それはその人の価値観、です。
でも、嫌なのに変えられないとしたら、
自由ではない、縛られているということ。
その際はご連絡下さいね^^