☆伝説の神田橋先生の生コメントがすごい。
☆たくさんの実例でアンテナが研がれるのだが、
☆じゃあどんなアンテナが研がれるのかと言うと…
この本は、
スクールカウンセラーのかしまえりこさんが
まとめたスクールカウンセリングの実例に
伝説的精神科医の神田橋さんから
コメント(スーパーヴァイズ)をもらい、
更にその後実例のファクトを
個人特定されないように全部入れ替えるという
とっても手間がかかった本。
著者のかしまえりこさんは、
クライエント⇔治療者関係をしっかり固定する
カウンセリングの形式が嫌い(笑)で、
生活の中で、流れを変えるような、
支えるというか、力を伸ばすような、
そんな関わりを理想としている。
だから、カウンセリングの形式を離れて
スクールカウンセリングという、
社会の中での活動を、意識的に実践している。
僕の学ぶメンタルヘルスも、僕の興味も
家庭や職場や、友達と接するときに本当に
役に立ちたいと思うと、
一般的なカウンセリング理論とちょっと違う
悩みやニュアンスがあったりするのだ。
それでこの本のような実例にたくさん触れると、
アンテナが研がれる。
デジャヴが増えると言ってもいいかも知れない。
そういう意味で、とってもいい本だったのだが
僕は特に神田橋先生のファンなので、そこが垂涎。
例えば、
「人見知りと人嫌いは一見似ているが、
気質は正反対」
とか
「現代社会は言語優位文化である。
問題解決にもまず言語を使うのが正しい道とされている。
しかし動物であるヒトにとって、
問題解決の本道は行為である」
とか、
痺れるわけです。
今日はここから、子どもについて、
考え込まされた一言を。
“北風と太陽の寓話は反教育的である。
人の心を卑しくするからである。
太陽ははじめから自分が勝つことを知っていた。
だから懸命に努力している北風を
ニヤニヤしながら眺めていた。
インサイダー取引のようないやらしさがある。
情報を握っている者が勝つという競争の手法は、
学校現場をかけひきの場に変えてしまう。
勝者と敗者という結果が生じないようにとの願いを、
教育の原点とするのがよい。
かけひき的操作を排し、共感を幹とする関わりは
しばしば魔法のような結果を生む。
子どもの心に魔法を生みだす力があるからである。”
あれ?
北風と太陽ってそんな話だっけ?
と思いながら、
でも確かに結論としては、
結局上手なやり方があるんだよ、とも取れる気がする。
(wikiで調べたら、実は話に前段があって、
旅人の帽子を北風が吹き飛ばしているそう。
つまり、適材適所とか条件で結果も変わる、
という教訓もあったのだとか)
「勝者と敗者が生じないようにとの願いを…」
という箇所とか、
色々と波紋を呼びそうな気がするけれど、
それが何のためなのか、
というのが大事。
何のためか。
子どもの楽しさ、インセンティブを外部から大人が
変に条件づけないようにしたいから、なのだ。
これは、僕の考えだけれど
実は子供に限らず、人が才能を伸ばすのには
内的動機づけというものが大切になる。
フロー体験とか、ゾーンとか言われるもので、
ただただそれに夢中になることだ。
そこで、外的な動機づけを与えると
(お小遣いあげたり、褒めたり)
それはそれで強力なので、
内的な楽しさを打ち消してしまったりする。
それは、勝ち負けという結果も同じで、
その子が本当に夢中になる、才能を発揮することを
邪魔するのだ。
その子どもの心の可能性を、
魔法と呼ぶ。
それは本当は、
誰もが持っていた魔法なのである。
【スクールカウンセリングモデル100例】
かしまえりこ×神田橋條治
☆たくさんの実例でアンテナが研がれるのだが、
☆じゃあどんなアンテナが研がれるのかと言うと…
この本は、
スクールカウンセラーのかしまえりこさんが
まとめたスクールカウンセリングの実例に
伝説的精神科医の神田橋さんから
コメント(スーパーヴァイズ)をもらい、
更にその後実例のファクトを
個人特定されないように全部入れ替えるという
とっても手間がかかった本。
著者のかしまえりこさんは、
クライエント⇔治療者関係をしっかり固定する
カウンセリングの形式が嫌い(笑)で、
生活の中で、流れを変えるような、
支えるというか、力を伸ばすような、
そんな関わりを理想としている。
だから、カウンセリングの形式を離れて
スクールカウンセリングという、
社会の中での活動を、意識的に実践している。
僕の学ぶメンタルヘルスも、僕の興味も
家庭や職場や、友達と接するときに本当に
役に立ちたいと思うと、
一般的なカウンセリング理論とちょっと違う
悩みやニュアンスがあったりするのだ。
それでこの本のような実例にたくさん触れると、
アンテナが研がれる。
デジャヴが増えると言ってもいいかも知れない。
そういう意味で、とってもいい本だったのだが
僕は特に神田橋先生のファンなので、そこが垂涎。
例えば、
「人見知りと人嫌いは一見似ているが、
気質は正反対」
とか
「現代社会は言語優位文化である。
問題解決にもまず言語を使うのが正しい道とされている。
しかし動物であるヒトにとって、
問題解決の本道は行為である」
とか、
痺れるわけです。
今日はここから、子どもについて、
考え込まされた一言を。
“北風と太陽の寓話は反教育的である。
人の心を卑しくするからである。
太陽ははじめから自分が勝つことを知っていた。
だから懸命に努力している北風を
ニヤニヤしながら眺めていた。
インサイダー取引のようないやらしさがある。
情報を握っている者が勝つという競争の手法は、
学校現場をかけひきの場に変えてしまう。
勝者と敗者という結果が生じないようにとの願いを、
教育の原点とするのがよい。
かけひき的操作を排し、共感を幹とする関わりは
しばしば魔法のような結果を生む。
子どもの心に魔法を生みだす力があるからである。”
あれ?
北風と太陽ってそんな話だっけ?
と思いながら、
でも確かに結論としては、
結局上手なやり方があるんだよ、とも取れる気がする。
(wikiで調べたら、実は話に前段があって、
旅人の帽子を北風が吹き飛ばしているそう。
つまり、適材適所とか条件で結果も変わる、
という教訓もあったのだとか)
「勝者と敗者が生じないようにとの願いを…」
という箇所とか、
色々と波紋を呼びそうな気がするけれど、
それが何のためなのか、
というのが大事。
何のためか。
子どもの楽しさ、インセンティブを外部から大人が
変に条件づけないようにしたいから、なのだ。
これは、僕の考えだけれど
実は子供に限らず、人が才能を伸ばすのには
内的動機づけというものが大切になる。
フロー体験とか、ゾーンとか言われるもので、
ただただそれに夢中になることだ。
そこで、外的な動機づけを与えると
(お小遣いあげたり、褒めたり)
それはそれで強力なので、
内的な楽しさを打ち消してしまったりする。
それは、勝ち負けという結果も同じで、
その子が本当に夢中になる、才能を発揮することを
邪魔するのだ。
その子どもの心の可能性を、
魔法と呼ぶ。
それは本当は、
誰もが持っていた魔法なのである。
【スクールカウンセリングモデル100例】
かしまえりこ×神田橋條治