ボイボイ日記 オールバックでオーライ☆ -6ページ目

【design history】Mechanization Takes Command

Mechanization Takes Command -a contribution to anonymous history-
by Siegfried Giedion


Mechanization Takes Command/Sigfried Giedion

¥2,205
Amazon.co.jp

学校のデザインヒストリーで読んだ本、デザインには直接かんけいないけど
現代デザインの概念の始まりでもある、産業革命とかメディアの登場や
バックグラウンドが詳しくのっている。


"The ancients perceived the world as eternally existing and self-renewing, whereas we perceived it as created and existing within temporal limits: that is, the world is determined toward a specific goals and purpose"

古代人は世界を限りない永久的なものだと感じ生活してきたけど、われわれは、世界を限りのあるものだと感じある特定の目標を目指し作られていくとおもっている。 

みたいなかんじかな
"created"の部分が神によってなのか人によってなのか微妙なとこだけど。
特定の目標っていうのは進歩とかそういうことじゃないのかな、たぶん


1940年代後半にかかれた本だけど、きっとこの頃って戦争とか終わったあたりで
大量生産大量消費の成長まっただ中で、通信とか交通とか科学とかが発達してきて
無限ほどに大きいとおもっていた世界が意外と小さかったっていうふうに思い出したんかな

人間にとって世界が窮屈にかんじたんやろうな、自然の動物はきっと地球が丸い事とか
月が馬鹿でかい球体であることとかほとんどしらないやろうし、そういう意識の殻をやぶる時期なんかな。


昔は物は有限で食べるものも着るものも使うものも限りがあって、その中で生活をしたけど
でも世界は無限にでかかった。
現在は食べるものも着るものも電球も鉛筆もあるのが当たり前で無限のように捨てるほど準備されている。
でも無限だとおもってた世界は有限でちょっと憂鬱な現代やな




"new values are born with new medium and a new mode of information"

新しい価値は新しいメディアと新しい情報のかたちの誕生によってもたらされる


今となっては当たり前のことかもしれないけど、映画ができたり、ラジオ、テレビが出てくるにつれて
価値そのものが変化していく、この場合は変化というより生まれるという表現されてるけど
いつの時代もあたらしい情報と媒体の形によって、人の抱く価値感もかわるものなんやな。

ひとの価値観っていうのは普遍的なものでないということやな