8世紀の文化は平城京を中心にさかえ、
聖武天皇のときの年号をとって、天平文化とよばれている。
律令国家の支配層である貴族には、
国の歴史や国土・産物についての知識がもとめられるようになった。
712(和銅5)年にできた『古事記』は、天武天皇のとき古くから伝わる
『帝紀』『旧辞』を稗田阿礼に命じてよみならわせたものを、
元明天皇が太安麻呂(安万侶)に筆録させたもの。
720(養老4)年にできた『日本書紀』は舎人親王らが中国の史書の体裁にならい
国家の正史として完成させたもの。
政府は713(和銅6)年、国ごとに土地の産物・地名の由来、
古老の伝聞などを記録し、言上するよう命じた。
これをうけて国司の報告したものが風土記で、
まとまったものとしては常陸・播磨・出雲・豊後・備前の5か国のものが残っている。
聖武天皇のときの年号をとって、天平文化とよばれている。
律令国家の支配層である貴族には、
国の歴史や国土・産物についての知識がもとめられるようになった。
712(和銅5)年にできた『古事記』は、天武天皇のとき古くから伝わる
『帝紀』『旧辞』を稗田阿礼に命じてよみならわせたものを、
元明天皇が太安麻呂(安万侶)に筆録させたもの。
720(養老4)年にできた『日本書紀』は舎人親王らが中国の史書の体裁にならい
国家の正史として完成させたもの。
政府は713(和銅6)年、国ごとに土地の産物・地名の由来、
古老の伝聞などを記録し、言上するよう命じた。
これをうけて国司の報告したものが風土記で、
まとまったものとしては常陸・播磨・出雲・豊後・備前の5か国のものが残っている。