


200㎞のAS、30時間ちょっと経過した位で到着しただろうか。このASは半袖のTシャツを預けていた。スタート前に昨年参加された方から、「200㎞過ぎたら暑くなってきてTシャツでも行ける」みたいなことを聞いていたので、半袖に着替えるつもりだったがとんでもない。標高は1,600m強で、ダウンが手放せない状況だった。しっかり食べていたけど、眠気で蛇行して走れない分、身体が温まらなかった。
AS20:210.8㎞ 4/2AM3:59(32:00)
闇夜のなか、似たような景色が続き、一体何度同じ場所を走ってきただろうかと心が折れそうになっていたが、AS20を過ぎると国道も少し整備された感じになった気がした。ダウンを脱ぎ、少しペースを上げて走ってみたが、足元の確認が疎かになって道路の岩を思いっきり蹴り上げてしまった。
219㎞のASに到着するとスタッフの人が車の中で仮眠しているようで中々起きてくれない。無視して進もうと思ったけれど、スタッフの人も疲れているみたいだったし仕方ない。祈るように仮眠中の車の周りをぐるぐるしていたら、渋々中から出てきてくれた。酒を勧めてくれたけどそんな気分じゃない。ごまかすなよ~(笑)。
お陰で身体はだいぶ冷えてしまったけれど、朝焼けがきれいだったので気分は悪くない。ここから太魯閣峡谷に入っていく。
しっかりと景色を味わいながら進む。下り坂が続くけれど、膝に違和感があってスピードは出せずに歩きを交えた。これでもかという位下ったところに天祥のASがあった。227㎞地点、たぶん34時間ちょっとで到着したと思う。ゴールは間違いないと確信した。
今見ている景色が現実ならゴールまで粘るという気持ちだったが、虚構なら早く現実に戻らないといけないと思った。もしかすると、現実の自分はどこかで倒れていて誰かの厄介になっているのかもしれないと不安だった。
腕時計に目をやりながら、時間がきちんと進んでいるのかを確認してみたが、思考が完全に停止しており、よく分からなかったみたいだ。前に見た時刻を覚えていられなかったから。
向かいから来るロードバイクの人が「加油!」と声をかけてくれるが、それが現実なのかも怪しい。自分が勝手に作り上げた、そうであってほしいという虚構の世界かもしれない。


他の人は大丈夫なのだろうかと気になって、Kさんに様子を聞いた。ゴールで待っていようと思ったが、まずは、テーブルに突っ伏して休むことにした。意識が戻り、完走証を眺めると、確信は持てないけどゴールはできたのだと思った。
お腹が少しすいたので、近くのコンビニで買った蕎麦とプリンを食べて、他のランナーの帰りを待った。会場は午後3時くらいからセレモニーっぽいのが始まり、盛り上がっていたが、他の日本人ランナーの様子が気になって仕方ない。
制限時間の午後4時をもう間もなく迎え、皆どうしちゃったんだろうと思っていた矢先、Sさんの姿が見えた。制限時間まであと10分を切ったところだった。時間をいっぱいに使ってゴールするのはSさんらしい。TOFRで300km弱走って10日後位だからやっぱりこの人はおかしい。Sさんの情報だと、最終ASである237㎞地点を午後4時(44時間)で通過していればOKなのかもしれないとのことだった。スタッフ間でも情報が錯綜していたらしいが、後続のランナーにもまだ完走の望みはありそうだった。
Sさんのゴールから約1時間経過し、そろそろ駅へのシャトルバスも来るし、身支度をしないといけないと考えていたら、WさんとTさんがゴール!二人で励まし合いながら進んできたみたいだ。詳しいことは二人に確認しないと分からないことだけど、ちょっと羨ましかった。これだけの長距離レース、お互いに好不調の波が異なる周期でやってくるなかで、ずっと行動を共にすることはとても難しいこと。良い部分も悪い部分も双方でしっかり受け止め合える関係がないとできないと思う。
二人の姿を見て、自分はまだ力を出し切っていなかったと反省した。脚は元気と言えないまでも10㎏位のザックを背負って駅の階段を上り下りすることは容易だった。脳と身体をバランス良く使うことが課題なのかもしれない。
台湾の人は優しく、食べ物も美味しく、居心地よく、程よい不完全燃焼感もあって、また参加したいと思える大会だった。だけど、来年はまずネイチャー復活を第一優先にしたい。この結果だと選外濃厚![]()
おわり。番外編はあるかも。
次のドロップバッグのある135㎞地点のASまで50㎞で標高1300m近く上らなければならない。上り坂は無理せず歩くようにした。
途中のガソリンスタンドが近くにあるASは助かった。トイレにシャワーがついていたので、今まで草で拭き続けたお尻をリセットすることができた。この後も下痢は止まなかったので焼け石に水とも言えるのだが、一度リセットできたのは大きかったと思う。
135㎞のASまでの約9㎞、約600mアップの最後の上り坂は台湾人ランナーが「一緒に行きましょう」と片言の日本語で声をかけてくれて、3人で歩いた。2人の歩くスピードに追い付くために時折走りを混ぜなければならなかったし、眠気がぐっとくることもあったけど、何とか堪えた。
135㎞地点(標高1,700m)到着が、午後2時過ぎ位だったから、スタートからの所要18時間くらいということになる。胃は何を食べても大丈夫なくらい快復して麺を2杯位食べた。陽の光のおかげで暖かい。ちょっとほのぼのとして良い気分。
標高を上げていくと、始めの方は日差しがあって暑く、袖を捲っても汗が出てきた。でも、日が落ちていくと霧が立ち込めてきて肌寒さを感じるようになった。二晩目を迎えようとしており、睡魔のために蛇行しているランナーもいた。途中に私設エイドがあり、梨やパイナップルがあって嬉しかった。肌寒かったけど乾燥していて喉がカラカラだったから助かった。
AS14:157㎞ PM6:29(22:29)
昆陽の標高は3,070m。spartathlonでいえばサンガスの麓だろうか。
はっきり言ってここまでの九十九折りはサンガス以上に厳しかった。またサンガスなら半袖で通過できてしまう位の気温だけれど、ここはダウンがないと耐えられない寒さだった。噂によれば氷点下。もし雨が降っていたら、濡れと風で体温を奪われて危なかったと思う。こんな環境でASを準備してくれているのは有難い。温かい麺をもらい、ホッカイロを握りしめてさらに高度を上げた。そういえば、台湾に移動する機内の中で「夜間飛行」を流し読みしていた。リヴィエールが経験した状況に比べれば、これくらいの寒さは大したことはないと思った。
次のASは大会のガイドブックによれば更に標高が上がった3,158m。しかし、実際に進んでいくと急激な下り坂だった。これだけ下り坂があって、また上り返しがあるのかと想像したら泣きたい気持ちになった。こんなはずはないとスマホで位置を確認してみたが、コースを大幅に逸脱しているわけではなかった。一本道だし、間違えるはずはないと開き直って下って行ったら上り返しのないまま次のASに到着した。どうやら、大会のガイドブックの記載が間違っていたようだった。激昂して損をした気分になったが、もう峠は越えたしここからは自分の流れで行けるという安堵感があった。エイドでじっくり補給し、気持ちよくリスタートできた。この地点が164㎞地点、24時間経過位だったので、調子が良ければ34時間代、悪くても35時間代ではいけそうだとこの時は感じていた。
AS16:174.2㎞ PM9:45(25:45)
このAS16では落石地帯に突入するために預けておいたヘルメットを装着。軽量化のためにPETZLのシロッコを準備していた。俄然気分も良くなり、ダウンも脱いで走ってみたが、しばらくすると濃い霧で辺りの視界が分からなくなる。前後にランナーの気配が全くなく、激しい睡魔に襲われ、走れなくなる。動きが落ちたために寒気を感じるようになり、再度ダウンを着込み蛇行しながら進む。落石現場で路面状況が不安定な箇所もあり、何度も脚をとられる。
鬼門の二晩目。2年前の練習会の時も二晩目にやられた。小諸から川越までの道中、正丸峠で頭がおかしくなった。現実を受け止めきれず不安と怒りが入り混じったような感情もあの時みたいだ。あの時は並走者がいたからまだ良かった。今は一人。意識が混濁して、ガードレールを突っ切ったらただでは済まないので、とにかく意識を必死に保った。
無限ループにはまった感じで、自分がやっていること、自分が目指すべき場所がわからなくなる瞬間が何度もあった。次のASに辿り着きスタッフの方に迎えてもらうことを心の支えにして進んだ。
続く。
スタート地点は台中港ホテル。台中の市街からは離れた閑散とした場所だった。PM 3時半頃会場に到着すると、他のランナーは既に準備を着々と進めていた。スタートはPM8時だし、まだ早いと思ったけれど周りに合わせて準備開始する。すると、会場ホテルに宿泊していたSさんに声をかけられる。トランス沖縄からまだ10日程しか経過していないのに、246㎞走るとは驚きだ。日本からは、自分が今回参加するきっかけを与えてくれた芸術家の女性2人も参加。2人とも人気者だから、すぐに周りに人が集まる感じだった。他にも24時間走の元世界チャンピオンのIさん、スパルタスロン完走回数が2桁という実績を持つKさんなど、皆さん力のあるランナーばかりだった。
前日も眠りが浅いためか、競技説明を聞いていると眠くなってきた。海外からの参加者は名前が呼ばれて紹介をしてもらえるみたいで、名前を呼ばれて軽く会釈をした。お待ちかねの夕食は凄いボリュームで、次から次へとメニューが出てくる。
スタートダッシュをかましたけれど、最後まで胃がもたなかった。満腹になるまで食べてしまったのだけれど、これが後々苦しむ要因になったのかもしれない。
大会の概要は以下の通り。
・スタート3/31 PM8:00 @Taichung Harbor Hotel
・ゴール 4/2 PM4:00 @Fushi Community Center
・総距離246.0km?
・標高 + 9624 m / -9548 m、最高地点は3275m
・途中ASは約10㎞強毎に23カ所、ドロップバッグ3カ所(81.7㎞、136㎞、200㎞)
・174.5㎞以降はヘルメット着用必須
・必携品はヘルメットの他、安全ベスト、ライト2個、ダウンジャケットなど
・今年の日本人参加者は8名
START 3/31PM8:00
そしていよいよスタート。天候は断続的な小雨で風が吹くと肌寒かった。念のためにトレントフライヤージャケットを着用した。スタートして間もなく、胃の不快感が出た。昼に久々に食べたモスバーガーがいけなかったのか、夕食を食べすぎたのか、何かに当たったのか…。
Sさんと会話しながら進むと幾分和らいだかのよう感じたが、次第に吐き気に変わる。加えて下痢もあったので、丁度よい草むらを見つけては駆け込む必要があった。雨露を含んだ葉っぱはお尻を拭くには心地よく、雨も悪くないと思えた。
胃の調子を確かめるために手持ちのジェルを投入したら本格的に気持ち悪くなって走れなくなった。ヨロヨロと歩いていると後方からKさんが心配して声をかけてくれたが先に行ってもらった。早くもガスター10を服用、歩きを混ぜて進み、ASでは白湯だけもらうことにする。気持ち悪すぎて座るw
この時点で30㎞過ぎくらい、想定よりもかなり早い不調の発現だけど、スロースターターの自分にはこれぐらいでちょうどよいのかもしれない。制限時間は44時間あるので、先を急ぐより、悪い状態を落ち着かせることを意識した。
40㎞くらいの地点で後方からWさんが来て、心配して声をかけてくれた。笑顔でバッチリOKと言えないのが辛いけど、何とかなると楽観的に考えていた。多分この時点で日本人参加者最下位になった。このままズルズル行くのも良くなさそうなので、Wさんを追うようにして走ると少しずつ元気が出てきた。ガスター10の効果も少しずつ出てきて、吐き気は快方に向かい、歩きを交えなくても大丈夫になった。下痢だけはゴールまで治まることはなかったので、草むら探しは絶えず行うことにはなったけれど…。WさんとTさんと前後して走っていたので、ASでのコミュニケーションに使えそうな中国語を幾つか教えてもらったが、あまり記憶に残っていない。頭の悪い自分にがっかりする。
AS4:48.3㎞ 4/1AM1:28到着(5:28)
吐き気が治まったことで、少しずつ前を行くランナーに追いついた。20㎞過ぎのエイドでGETして、ずっとザックにしまっておいたどら焼きを少しずつ食べてみたが大丈夫そうで、固形物を摂取できる算段がついた。歩いている自分を見て一声かけてくれたKさんにも追いついたが、今度はKさんの調子が悪そうだった。雨で身体が冷えてしまったようだった。
AS7:81㎞ AM5:29到着(9:29)
埔里に到着。SPARTATHLONでいえばコリントスに相当するけれど、ここまで要した時間は9時間半程度。スパルタランナーからはお叱りを受けそうなタイムだが、夜間走、体調不良、ザックを背負いながらの走りということを考慮すれば、個人的には御の字だった。ドロップバッグを置くことができる地点だが、特に休めるスペースがあるわけでもなく、簡単な補給を済ませてリスタートした。埔里を過ぎると夜が明けた。本来なら夜が明けて元気であればペースアップを考えるところだけれど、もう一晩を越えなくてはいけないことを考えると無理はできなかった。まだまだ序盤。
続く。
10月15日~16日かけて、愛媛のウルトラランナーK内さんが主催する大会がありました。
コースは瀬戸内行脚222㎞と伊予灘100㎞の2つ。
自分は伊予灘100㎞に参加させていただくことにしました。
スタート地点の今治に前泊し、同じく伊予灘に参加予定の3人と軽く前夜祭。
O川さんの指にはキラリと光る婚約指輪が…。おめでとうございます!
10月16日午前7時に今治をスタート。しまなみ海道を伯方島まで行ってから折り返し、
松山市の居酒屋おときち屋がゴール。制限時間は15時間くらい?
序盤は和やかなムードで進んでいきます。
来島大橋の手前で、瀬戸内行脚222㎞で前日から走っているBさんを発見。
何だか凄く眠そうな様子で、「神宮ありがとう~」と言われて、
今更昨年のことを言うなんて呆けちゃったのかな、と思ったのですが、
冷静に考えてみたら、先月スパルタの応援を兼ねて神宮を走ったので
そのことを言ってたんだと走りながら気づきました。
因みにBさんは今年もレオニダス像まで届かず…我々の応援ランを無下にしましたね(笑)。
朝の心地よい風を受け、しまなみ海道を進むのは最高![]()
222㎞のコースの参加者と橋の上で続々とすれ違いエール交換。
中でもBW完走者のS藤さんは非常に元気そうでした。
やはり、この方は強くて謎が多い?
橋を渡り終えてさらに進むと、会いたかった二人の女性ランナーとすれ違い。
2週間前にspartathlonを完走したばかりとは思えぬ猛ダッシュで接近してきて、
かなり驚きました。自分はまだスタートして15㎞ほど、二人は既に170㎞ほど…
何かもう、自分の走りなど鼻くそみたいなものですね![]()
折り返しの伯方島までは、ファンランモードのO谷先生と走らせていただくという、
何とも贅沢な一時。自分より若いですが、安定した走りで惚れ惚れします。
写真は瀬戸内行脚のページから拝借(ゴジラさん撮影?)。
折り返しの伯方島エイドではドーナッツを補給。脂質はあまり良くない…
との有難いアドバイスも、結局は自分が何を食べたいかが大事ですね。
後から気づいたことですが伯方島には塩ソフトなるものがあったみたいです。
これは惜しいことをしました![]()
伯方島から折り返すと暑さが気になってきました。曇りのはずなんですけど。
途中のローソンでチョコモナカジャンボを摂取しクールダウン。これも脂質多い…。
来島大橋まで戻ってくるのが大変でした。
来島エイド到着はちょうどお昼時でカップ麺を補給。スープまで完食しました。
O川さんからオルガニックを一口分けてもらいましたが、飲みやすい微炭酸。
悪く言うと、東南アジアで飲む薄い炭酸飲料といったところでしょうか。
もちろん、一口飲んだだけであれこれ言うのは筋違いですけど。
エイドでじっくり補給できたところで、ちゃぷちゃぷのお腹で蛇行しながら進みます。
ただ、走っているとやっぱり脱水気味になりました。
次のエイドまで待ち切れず他のランナーのお勧めで躊躇なくアイスを購入。
110円とお値打ちです!勢い余って一度落としてしまったのですが、
嫌な顔一つせず新しいものを用意してくださいました。本当に感謝。
約80㎞地点のエイドでは追い打ちをかけるように水分を摂取しました。
イチゴオーレ×1(四万十川にもいたみたいですね)
味噌汁×1
ホットココア×1(何杯でもいけそう。濃いめもいい)
炭酸飲料×2
みかん×3(もっといける)
30分位休んでだいぶ気持ちがすっきりしました。
O川さん、O谷さんと一緒にエイドを出て若い二人の後ろ姿を見ながら、
自分はもうまもなく30代突入だなぁと感慨にふける。
二人がコンビニに立ち寄るみたいだったので、一度別れて巡行していると
残り10㎞を切ったくらいで前方にWさんとTさんを発見。
Wさんは200㎞を超えているものの心配する必要がないくらい元気、
Tさんは初めての200㎞超でしんどそうですが、脚がしっかり動いていました。
折角だからゴールまで一緒に行かせてもらおう!ということで二人の走りに便乗しました。
spartathlonの話題になると、来年はやっぱり出たいという気持ちになりました。
けれども、色々な事情を考慮すると来年、再来年はちょっと難しいかもしれません。
雑談していると後ろからO川さん、O谷さんも追いついてきて、ゴールまで間もなくのところで
Nさんも合流。結局、大所帯でゴールの松山城近くの居酒屋「おときち家」へ。
先輩ランナーの皆さまは既に走り終えて、ここからが本番という感じで盛り上がってました。
刺身も、のどぐろの塩焼きも最高でした![]()
ただし、元々アルコールに弱いせいかビール2杯で急激に眠気が…。
ここらへんの弱さが一流のウルトラランナーの皆さまとの差でしょう。
温かい緑茶を飲んで何とか復活を遂げましたが…。
沢山走り、沢山食べて、ランナー同士で語り合って、素敵な大会だと感じました。
K内さん、名誉委員長のS潟さんを始め、スタッフ、ランナーの方々に多謝。
熱海旅行も厳しい状況なので、来年も是非とも瀬戸内行脚を走りたいものです。