花咲か爺さんの如く枯れ木に花を...
ではなく、
撒くように手渡されたのは葛根湯だった。

今月頭から始まったワンマンツアーも無事に幕を下ろし、関係者の皆さま含め大変多くの方々にご来場頂きました。久しぶりの出会いもあり本当に楽しかったです。ありがとう。
メンバーとスタッフが今まで以上に吟味を重ね一丸となって作り上げたステージだったので、とにかく緊張の連続だったが全力でやり切れたし出し切れて良かった。
勿論課題もあるがそれ以上に今はみんなに笑顔がある。それで何より。
事務所移籍という節目ではあるが、
常に気持ちは大きく、変わらず自分たちらしい音楽を作り続けていきたい。

そんな充実したツアーを終え、
束の間という幸せな状態の中での休息を本来迎えるはずであった。
だがしかし、仕事を終え帰宅しお風呂から上がったあの時から何かがおかしい。何かが。

「ねぇ!私たちどこで食い違ってしまったの?ねぇ!答えてよ!」
「・・・・・。」

ふと身体の中から善玉菌と悪玉菌のそんな不穏なやり取りが聞こえてきたのだ。
えぇ~あんなに愛し合っていたじゃんかぁ~ちょっとぉこのタイミングとか止めてよぉと、
これはドラマの様にTV画面に向かって投げかけているような楽観的な状況でも、突然予定を変更されたような渋々な状況でもない。
今まさに背後から銃口を突き付けられたかのようにビクビクと恐怖に駆られんとしている。
そう、自体は急を要するのだ。


「まぁ待て落ち着け」


何故人はそこにボタンや引き金があると押したり引きたくなるのかと
ふと脇道にそれる余裕もない。
押したいのになかなか押せないのは普通人にとって頭と身体を仕事へと向かわせるやる気ボタンぐらいのものだろうと狂い始めた身体に訴えたところでである。
その衝動を抑える薬、そう薬が必要だ。
僕の身体にも、そしてミサイルなどの兵器を開発する何処ぞの輩にも。
そんな戯言を溜め息にそっと混じらせながら僕は急いでリビングへと向かった。

リビングへ行くと婆ちゃんがお茶をズズズ...とすすっていたところであった。
僕が促すよりも先に何らかの異変を察した婆ちゃんはいつもの場所へ手を伸ばしテーブルにそれを置いた。



「葛根湯」

僕にとっては言わずもがな。
うちの婆ちゃんにとっての仙豆である。
リビングに入ってテーブルを挟んだ一番奥に該当するテリトリーにいつも腰掛け、その後ろにある食器棚の下には大量の袋詰めになった葛根湯が綺麗に陳列されていて、
「①」なる愛称で呼ばれていたそれを、
子供時分は作品番号①番といった婆ちゃんが本気で栽培したものなのだと思っていたのだが、
そうか!ここをカリン塔だと思えば力を何倍にも与えてくれるはずだし、こんな身体の違和感なんぞちょちょいのちょいで。。。

ちなみにカリン様、いや、
うちの婆ちゃんの紹介及び信条として、
身体の内部に異変が起きた時は葛根湯。
身体の外部に異変が起きた時はオロナイン。
その二つで大抵どうにかなると思っていて、
実際どうにかなっていて、
現に齢九十を迎える。
日夜増え続ける新たな市販薬に頼ったり、
あれがこれがないと生きていけないなどといった甘ったれた心構えなどは皆無。
人間とは環境に対して移ろいが激しく、言わば束の間の存在であるからこそ、時代や環境に流されず生きる事がきっと大切なのであるとその大味な生き方を見る度にずっと思わされてきたのだが、中々肝心の身体が言う事を聞かないのが現実。
僕なんぞまだまだである。

しかし僕は葛根湯を服用した事で、無事窮地を脱する事が出来、
今まさに安堵感と感謝とそして申し訳なさが錯綜する中、この数ヶ月遅れのブログに手をかけているといったところでございます。。。

皆さんも体調管理にはくれぐれも気を付けて。
とりあえず今日も僕は元気です。





カメラマン“しばえりさん”の写真はいつ見ても素敵です。