当時の私は、自分で言うのもなんなのだけれども、結構、大変だった。

何故なのか分からないけれど、毎日のように、学校で、頭の上から足の先まで、何かしらの文句をつけられた。

「デブ」「くさい」「ダサい」などなど、あげていったら、きりがなかった。

 

「存在自体がうざい。」と言われたこともあった。

 

毎日、泣きながら帰ってくる私を、母は、「それくらい、我慢しなさい。世の中は、もっと厳しいのよ。」といって、たしなめるだけだった。

 

「この家には、水子(※小さなうちに亡くなった子供の霊)がいるね。お母さん、お子さん、おろしてませんか?」

と、旅人は、聞いてきた。

「いいえ。いません。私も、主人も、初婚ですし、子供は、二人だけです。」

と、母。

 

「我が家には、水子がいる。」と言われたのは、この日が初めてではなかった。

不思議なことが好きな母は、友人に誘われては、いろいろな人に会いに行っていて、そのたびに、「水子がいる」と言われていた。

 

両親ともに、晩婚だったので、どちらかに、離婚歴や子供がいても、おかしくないとは思っていたけれど、本当に、二人とも初婚で、

私と弟以外に子供はいなかったようだった。

 

母は、「ひょっとしたら、小さいころ、川でおぼれてなくなった弟かもしれません。」といって、多額のお金をかけて先祖の供養をしたこともあったけれど、水子の霊がいなくなることはなかった。