紀元前850年、南朝鮮で大規模な水田稲作始まる
灌漑技術や石製鍬先等の技術も進み、人口増加へ
米は備蓄できるため貧富格差・不平等社会へ
で支石墓という規模違った、階層墓誕生
(・・・丸太船も進化してたと思う)
水利巡っての争いが増え、環濠集落が出来る
(佐賀県吉野ケ里遺跡も、前5世紀~の環濠集落)
前3C頃~には鉄器も、南朝鮮へ普及
(その後、鉄の産地も南朝鮮に見つける)
あと前2C・・漢武帝が朝鮮半島北部、服属する
(中国を統一した秦、の次王朝が漢です)
このあたりの情報も、しっかり伝わってて
「楽浪の海中に倭人あり、分かれて百余国となる
歳時を以て来たり献見す」中国史書の最初に現る
北九州の遺跡には、戦いよる
殺傷痕のある人骨の数、200体以上あります‼
交易・交流も盛んで、扶助の生活を要とし
お墓大きさ遜色無し、水利の争いも無い縄文人に
人口増加で新天地を求めてやってきた
『争い』も、いとわない渡来人達が
次は、東を目指し出発します・・;
青森、三内丸山遺跡は大きな集落でしたが
環濠跡など無かったし
PS 蘇我氏を調べていく中で知り得ました