◆罪悪感はただのサイン
罪悪感は「誰か」のルール(価値観、モノサシ)に従わなかった時に生じる。
相手のルールに従えばご褒美がもらえる(愛してもらえる)、従わないとご褒美がもらえない(愛してもらえない)という条件づけに無意識に反応しているだけだ。
反対に言うと、罪悪感は、相手をコントロールするのに大変有効な手段である。
私の亡父はこれがめちゃくちゃ上手かった。ということは、父も親からさんざんこの手のコントロールを受けていたんだろうな〜と推察する。
私は、そういう仕組みに気付いて抜け出すのにずいぶん時間がかかったな〜。
恐怖だけでなく、こういうコントロール手段もあり、それに反応すると「いい子」という仮面が出来上がるし、親以外に対してもやっちゃうと「いい人」という仮面が出来上がる。
そして当然のことながら、仮面=本当の自分ではないから、苦しくてたまらないという状況が出来上がる。
そこから抜け出すには、無意識に反応するのをやめる、つまり意識化するしかない。
罪悪感を感じたら、反射的に自分を責めるのやめて、「あ、今、自分は罪悪感を感じているな、他人のルールに無意識に従おうとしているな」と気づく。客観視する。
たったそれだけのことを多くの人が見て見ないふりをする、気づかないふりをするのは、やはり愛という対価を期待することをやめられないからだ。
「○○をすれば(相手が求める条件)」愛してもらえる。「△△であれば(相手が求める状態)」愛してもらえる。
「飴とムチ」のゲームは、愛がない状態、欠乏、不足が基本設定になっているから、その存在自体を無効にする、ひっくり返すのは簡単といえば簡単だ。
つまり、基本設定を「私はそんなことしなくても、愛されて大事にされる存在である」に書き換えちゃえばいい。
罪悪感は、ただのサイン。
出てきたらそのたびに、基本設定が勝手に変更されてないかチェックする。
今朝起きた時に久々に罪悪感を感じてモヤッとしたので、書いてみた〜。