ケイコのタワゴト

ケイコのタワゴト

たわごと【戯言】とは、たわけた言葉、ばかばかしい話、ふざけた話のこと。

Amebaでブログを始めよう!
やったこともないのに農業の本を読んでる。
 
結局のところ、作物を育てるというのも、ワンネス、すべてはつながっている、が基本ということかな〜。
 
商品としての作物だけに注目した効率的なやり方より、田んぼや畑の生態系まるごとを育てる、お世話するようにすると(それこそ微生物レベルから)私たち人間にとっても美味しく体に良いものができる。
 
人も植物も、単体では生きられない。
 
分離を生きていた人は、植物と対話することで、すべてとつながっていく。
 
「奇跡のリンゴ」で知られる木村さんの物語が読む人の心を掴むのは、そこに再生、生まれ直しの道が記されているからだと思う。
 




空好きな人にオススメな一冊。
 
理系じゃない人にもわかりやすい。
 
虹やハロ(暈)の種類や解説も載ってます。
 




 

虹や彩雲は水滴の屈折・反射・回折によって、
 
ハロやアーク、幻日は氷晶の屈折・反射によって見えるのね。
 
 
------------------------------------------
 
太陽光は様々な波長の電磁波が重なっていて、波長の短いほうから紫外線、可視光線、赤外線などに分類されます。
 
この可視光線が私たちの認識できる光です。
 
可視光線を波として考えると、波の振動幅が光の明るさで、波長によって色が変化します。
 
可視光線は波長の短いほうから紫、青、緑、黃、橙、赤の色をしており、この順に屈折しやすいという特徴を持っています。
 
通常は可視光線も全ての波長の光が重なっているため、私たちは白い光に見えています。
 
しかし、波長毎に屈折率が異なっているため、光を屈折する透明なガラスなどの多面体(プリズム)を通すと波長毎に光が分かれ(分光)、綺麗な虹色が見えるようになるのです。
  
--------------------------------------------------
 
著者の荒木氏は新海誠監督の新作映画「天気の子」の制作に気象監修、声優(本人役)としても参加されているそうですよ。
好きなことは飽きるまでやりつくす。そうすると次の動きが自然に生まれる。
 
これ、私の「うまくいくパターン」だな。
 
「やらなければいけない」と思っていることを放置して、今やりたいことをやるのも、コツだな。
 
好きなことをやりつくさないと不完全燃焼になるので、次の動きは生まれない、というのもコツだな。
 
とにかく、もう十分です、お腹いっぱいです、って言うくらいまでやる。
 
呼吸で、息を吸いきる、吐ききるのと同じ感じ。
 

もうドングリがなってる♪
 
 
 
食べ頃の桃🍑
 
手で、つる〜んと剥けました♪
 
最近よく見かける桃を丸ごと使ったパフェやタルトの写真を見て、あれはどうやってやるんだろう?と思ってたんですが、ようやくわかりました〜。
 


 

早朝に目覚めてウトウトしていた時に、2D(二次元、テレビ画面みたいな感じ、前方しか見えない)で森の中をゆっくり進んでいく様子が見えて、「わ〜、目閉じてるのになんか見えてる〜オモシロ〜♪」と思ったらいつの間にか3D(三次元、360度展開)になって自分がまさにそこにいる臨場感があり、「あれ〜、もしかしてこれ幽体離脱ってやつ〜?」と思いながら寝落ちしました(笑)。
 

写真は桑の実♪
図書館で目にとまって借りてきた本。
 
セクハラ、パワハラというのは知ってたけど、モラハラはあんまりよくわかってなかったので読んでみようと思った。
 
「ハラスメント」は「嫌がらせ」という和訳に落ち着いているみたいだけど、つまりは相手に肉体的・精神的な苦痛や恐怖や不快感を与える行為すべてを指す。
 
加害者にとって、それは自分の優位性をキープしつつ、相手を支配・コントロールする手段である。
 
自尊心・自己肯定感が低い人がターゲットになりやすいが、実は加害者も自尊心・自己肯定感が低い。つまり見た目は正反対だけど根っこは同じ。相手を貶めることで一時的な満足感を得る。
 
自尊心・自己肯定感を高めるのに有効なのは
・好きなこと、楽しいことをする
・心地よいと感じるものに接する
・小さな幸運を意識する
・おいしいものを食べる
・体をケアする
目や頭だけでなく手足や五感を使って「快」を感じるのがコツ。
 
「世の中には、人もうらやむような容姿に恵まれながら、自分に自信をもてない人がたくさんいます。高価なものを身につけ裕福な生活を送りながら、自分を大切にすることをまったく知らない人もたくさんいます。自尊感情の高さは、見た目の良し悪しやお金のあるなしではなく、「自分自身を大切にする」という心の豊かさによって決まるのです。」(「それ、恋愛じゃなくてDVです」より)
 
自己肯定感は目に見えない宝物なんだな〜。
 
自分を大切に出来る人は、何らかのハラスメントを受けた時に、それをハラスメントと認識できる。そしてそれは自分の尊厳を守ることにつながる。
 
 
 
 

ゴルフに見えるけど
 
ゴルフじゃないゲーム(ΦωΦ)

 

  

 

 

◆罪悪感はただのサイン
  
罪悪感は「誰か」のルール(価値観、モノサシ)に従わなかった時に生じる。
 
相手のルールに従えばご褒美がもらえる(愛してもらえる)、従わないとご褒美がもらえない(愛してもらえない)という条件づけに無意識に反応しているだけだ。
 
反対に言うと、罪悪感は、相手をコントロールするのに大変有効な手段である。
 
私の亡父はこれがめちゃくちゃ上手かった。ということは、父も親からさんざんこの手のコントロールを受けていたんだろうな〜と推察する。
 
私は、そういう仕組みに気付いて抜け出すのにずいぶん時間がかかったな〜。
 
恐怖だけでなく、こういうコントロール手段もあり、それに反応すると「いい子」という仮面が出来上がるし、親以外に対してもやっちゃうと「いい人」という仮面が出来上がる。
 
そして当然のことながら、仮面=本当の自分ではないから、苦しくてたまらないという状況が出来上がる。
 
そこから抜け出すには、無意識に反応するのをやめる、つまり意識化するしかない。
 
罪悪感を感じたら、反射的に自分を責めるのやめて、「あ、今、自分は罪悪感を感じているな、他人のルールに無意識に従おうとしているな」と気づく。客観視する。
 
たったそれだけのことを多くの人が見て見ないふりをする、気づかないふりをするのは、やはり愛という対価を期待することをやめられないからだ。
 
「○○をすれば(相手が求める条件)」愛してもらえる。「△△であれば(相手が求める状態)」愛してもらえる。
 
「飴とムチ」のゲームは、愛がない状態、欠乏、不足が基本設定になっているから、その存在自体を無効にする、ひっくり返すのは簡単といえば簡単だ。
 
つまり、基本設定を「私はそんなことしなくても、愛されて大事にされる存在である」に書き換えちゃえばいい。
 
罪悪感は、ただのサイン。
 
出てきたらそのたびに、基本設定が勝手に変更されてないかチェックする。
 
今朝起きた時に久々に罪悪感を感じてモヤッとしたので、書いてみた〜。
 


こんなこと言うのは今更かもしれないけど、
静と動のバランスって、人によって違うんじゃないかと思う。
 
それを一つのモノサシ(「世間一般」とか「普通」とかいう価値基準)で測ろうとするから、おかしなことになるんじゃないかな。