無名さんのご質問への返答としてこの記事を書きます。
二次元恋愛仲間の方なんですね。けれど痛いほどドライに現実が見えてらっしゃる。二次元恋愛のスタイルには様々ありますが、僕は個人的に無名さんの現実主義に好感を持ちます。現実を見つつ二次元恋愛を長く続けるチャレンジャーは、並々ならぬ勇気と客観性と情熱をお持ちと推測します。
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まず、一般論でお答えします。
架空のキャラクターは虚構です。商品価値があってもなくても、虚構であることに変わりありません。しかしそこに何もないわけではありません。作者の人間性の一部が注がれています。キャラクターに注がれた人間性の一部は、商品価値の有無に関わらず、キャラクターのなかにあるままです。
架空のキャラクターに投げかけた感情はどこにも届きません。しかし消えません、僕の中にあります。消せるものならとっくに消しているでしょう。この感情を受け取ってくれる人はいませんが、「この人のために」と頑張って乗り越えてきた成果は累々と人生に残ります。
架空の存在を愛することは狂気かもしれませんが、珍しくもありません。神を愛して生涯身を捧げて独身を貫くのがカトリックの神父とシスターです。イスラム教徒の方々は、存在するかもわからない神に向けて1日5回も祈っています。宗教を持つ方は皆、60や70になっても、存在するかもわからない神の教えに従って毎日を生きています。
敬虔な信者の姿を滑稽だとは思いません。彼らなりの信念と哲学を貫いた生き方を尊敬します。
宗教と恋愛は違う!ということであれば、事故で亡くなった恋人を想って生涯独身を貫く生き方もあるでしょう。
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さて、これが二次元恋愛だったら、僕自身の人生だったらと考えます。
「こんなもののために僕は自分の人生を無駄にしたのか」と我に返るのが怖いか?
怖くありません。なぜなら、既に我に返ったことがあります。好きなキャラのようになりたい一心で、その足跡を辿ることに必死で、僕自身のやりたいことのために人生を生きてこなかったと気づいたときです。人生を無駄にした、今までの僕の人生になんの価値もないと感じました。
一方で、好きな人のために頑張ったすべては僕自身のためになりました。そのおかげで僕の独力では辿り着けなかったであろう場所に辿り着いています。「好きな人のために」と憧れる必死さがなければ、僕はあんなに頑張れませんでした。実際、それに気づいてからは以前ほど頑張れなくなりました。頑張らない人生ってつまらないですよ。目標も原動力もありませんからね。
自分の人生を滑稽だと思うか?
思います。僕にとっては深刻ですが、人に話すなら笑い話です。滑稽ですが面白い人生です。実際に世界中を好きな人を探し回ったわけですから、土産話は山のようにあります。非常に変わった生き方をしていますが、少なくとも退屈ではありません。僕のような人間に会ったことがないとよく言われます。こんな変わり者も世界にはいたほうがいいでしょう。でないと、僕のような変わり者が世界のどこかにもう一人いた場合、その人が一人きりになってしまいます。
自分の人生を醜いと思うか?
思いません。目標も原動力も何でもいいんです。精一杯で全力な生き方に価値があると僕は感じます。目標は、世界平和でも金銭でも(架空の)愛する人に認められるためでもいい。原動力は、権力欲でも怒りでも(架空の人への)愛情でもいい。なにかを成し遂げたら、それは偉業です。二次元恋愛に駆られて好きな人のアンドロイドを作ったらそれは素晴らしい発明です。人類の歴史を変えるでしょう。頑張る理由はなんでもいいし、他の人はそんなこと気にしません。結果だけを見ます。
本当かどうか知りませんが、情報科学の創始者は、叶わぬ恋の相手(同性で故人)を想って人類初のコンピューターを作ったと聞きます。彼がそのコンピューターを平和のために作ったのか恋心で作ったのか、我々には知りようがないし、どちらでもいいことです。確実なのは、彼が歴史を変えたことです。僕は彼の生き方は美しいと思います。
キャラクターが時代遅れになるか、ですが。絵柄は変わるでしょう。しかしキャラクターに注がれた作者の人間性はなかなか時代遅れにはなりません。人の心のしくみ、人類はそんな簡単には変わらないからです。
あえてポジティブな見地からお答えしましたが、僕だってもっと楽な恋愛と生き方ができたらよかったのにと思います。もっとシンプルでよかった。ただ、いま現在は、こういう生き方もあってもいいかなとも感じています。
僕の生まれと育ちを鑑みれば、僕が今まで生き延びられたのは、誰かを愛していたからだと思います。
よかったら、無名さんのお話も聞かせてください。
