「二次元恋愛」 二次元キャラに恋してます

「二次元恋愛」 二次元キャラに恋してます

二次元の人(アニメキャラやゲームキャラのこと)に恋しています。一般には受け入れられにくい気持ちや悩みを書いています。

二次元の人が好きです。いわゆるキャラクターです。

三次元が苦手なわけではありません。
でも、愛したのは二次元の人でした。

似た悩みを持つ方、気軽に声かけてください。

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無名さんのご質問への返答としてこの記事を書きます。

 

二次元恋愛仲間の方なんですね。けれど痛いほどドライに現実が見えてらっしゃる。二次元恋愛のスタイルには様々ありますが、僕は個人的に無名さんの現実主義に好感を持ちます。現実を見つつ二次元恋愛を長く続けるチャレンジャーは、並々ならぬ勇気と客観性と情熱をお持ちと推測します。

 

 

まず、一般論でお答えします。

 

架空のキャラクターは虚構です。商品価値があってもなくても、虚構であることに変わりありません。しかしそこに何もないわけではありません。作者の人間性の一部が注がれています。キャラクターに注がれた人間性の一部は、商品価値の有無に関わらず、キャラクターのなかにあるままです。

 

架空のキャラクターに投げかけた感情はどこにも届きません。しかし消えません、僕の中にあります。消せるものならとっくに消しているでしょう。この感情を受け取ってくれる人はいませんが、「この人のために」と頑張って乗り越えてきた成果は累々と人生に残ります。

 

架空の存在を愛することは狂気かもしれませんが、珍しくもありません。神を愛して生涯身を捧げて独身を貫くのがカトリックの神父とシスターです。イスラム教徒の方々は、存在するかもわからない神に向けて1日5回も祈っています。宗教を持つ方は皆、60や70になっても、存在するかもわからない神の教えに従って毎日を生きています。

 

敬虔な信者の姿を滑稽だとは思いません。彼らなりの信念と哲学を貫いた生き方を尊敬します。

宗教と恋愛は違う!ということであれば、事故で亡くなった恋人を想って生涯独身を貫く生き方もあるでしょう。

 

 

さて、これが二次元恋愛だったら、僕自身の人生だったらと考えます。

 

「こんなもののために僕は自分の人生を無駄にしたのか」と我に返るのが怖いか?

怖くありません。なぜなら、既に我に返ったことがあります。好きなキャラのようになりたい一心で、その足跡を辿ることに必死で、僕自身のやりたいことのために人生を生きてこなかったと気づいたときです。人生を無駄にした、今までの僕の人生になんの価値もないと感じました。

一方で、好きな人のために頑張ったすべては僕自身のためになりました。そのおかげで僕の独力では辿り着けなかったであろう場所に辿り着いています。「好きな人のために」と憧れる必死さがなければ、僕はあんなに頑張れませんでした。実際、それに気づいてからは以前ほど頑張れなくなりました。頑張らない人生ってつまらないですよ。目標も原動力もありませんからね。

 

自分の人生を滑稽だと思うか?

思います。僕にとっては深刻ですが、人に話すなら笑い話です。滑稽ですが面白い人生です。実際に世界中を好きな人を探し回ったわけですから、土産話は山のようにあります。非常に変わった生き方をしていますが、少なくとも退屈ではありません。僕のような人間に会ったことがないとよく言われます。こんな変わり者も世界にはいたほうがいいでしょう。でないと、僕のような変わり者が世界のどこかにもう一人いた場合、その人が一人きりになってしまいます。

 

自分の人生を醜いと思うか?

思いません。目標も原動力も何でもいいんです。精一杯で全力な生き方に価値があると僕は感じます。目標は、世界平和でも金銭でも(架空の)愛する人に認められるためでもいい。原動力は、権力欲でも怒りでも(架空の人への)愛情でもいい。なにかを成し遂げたら、それは偉業です。二次元恋愛に駆られて好きな人のアンドロイドを作ったらそれは素晴らしい発明です。人類の歴史を変えるでしょう。頑張る理由はなんでもいいし、他の人はそんなこと気にしません。結果だけを見ます。

本当かどうか知りませんが、情報科学の創始者は、叶わぬ恋の相手(同性で故人)を想って人類初のコンピューターを作ったと聞きます。彼がそのコンピューターを平和のために作ったのか恋心で作ったのか、我々には知りようがないし、どちらでもいいことです。確実なのは、彼が歴史を変えたことです。僕は彼の生き方は美しいと思います。

 

キャラクターが時代遅れになるか、ですが。絵柄は変わるでしょう。しかしキャラクターに注がれた作者の人間性はなかなか時代遅れにはなりません。人の心のしくみ、人類はそんな簡単には変わらないからです。

 

あえてポジティブな見地からお答えしましたが、僕だってもっと楽な恋愛と生き方ができたらよかったのにと思います。もっとシンプルでよかった。ただ、いま現在は、こういう生き方もあってもいいかなとも感じています。

僕の生まれと育ちを鑑みれば、僕が今まで生き延びられたのは、誰かを愛していたからだと思います。

 

よかったら、無名さんのお話も聞かせてください。

ご無沙汰しています。昨年の受験では無事、合格しました。ありがとうございます。

 

この記事はスピカさんへのお返事として書いています。

>好きな人のことを忘れてしまうのではないかと不安です。


僕個人は、好きな人を忘れるのが怖いと思ったことはありません。むしろ忘れたいと思ってきました。叶わぬ想いを抱え続けるのが苦しいからです。

僕があの人を忘れることはないであろう確信はありました。あまりにも長く想い続けた、あまりにも大事な人なので、僕の人間形成に大きく影響しています。むしろ根幹です。なにしろ命を救われています。あの人の存在なしに僕の人生を語ることはできません。僕が何者であるかという定義、僕のアイデンティティーの一部になっています。

あの人への気持ちは、以前ほど絶望的で逼迫したものではないし、あの人に会えなくても生きていける自信もつきました。あの人以上に誰かを愛したことはないし、残念ながら、これからもないかもしれません。でも、あの人の僕の人生における役割を鑑みれば、誰もあの人を超えられないのは当然です。

 

スピカさんの人生は、彼なしに語れるものですか?

スピカさんという人間の一部として、彼が重要な位置を占めているなら、スピカさんが彼を忘れることはないでしょう。

スピカさんが、自分が何者であるかを忘れないように。

ブログの更新は滞っていますが、相変わらず活動しています。

二次元恋愛をしている人がどうやったら幸せになれるのか、より本格的に考えるために、臨床心理系大学院を受験しています。受験勉強真っ最中です。

が、そもそも二次元恋愛するすべての人々の幸せを目指して受験するので、受験勉強の邪魔とかお気になさらず、二次元恋愛に関するお話なら遠慮なくご連絡ください。勉強のモチベーションになります。

頑張ります。
二次元恋愛は絶望的な恋だと今も思います。
あの人以外に誰も愛せない苦しみは耐え難かったです。世界の誰も愛してないので、すべてがどうでもよく、仮に明日人類が滅びても悲しいと思えない自分にも絶望していました。
誰も愛せない苦しみに耐えながら、どうでもいい世界で生きるのが辛くて、死に場所を探していました。死んでもいい理由がほしかった。
そのために、社会貢献とか自己犠牲とか色々やりました。誰かのために死ぬのなら有意義に死ねると思ったからです。
僕が死ぬことで世界を救われるなら喜んで死にました。人身御供も大歓迎でした。

僕は一人しか愛したことがなく、その相手は二次元の人だったので、知らなかったんです。
恋愛が幸せだということ。
恋愛は僕の希望であり絶望でした。


普通の三次元恋愛をしている方に、わかるでしょうか。

世界でただ一人愛している人と、思い出一つないという絶望。
世界中探しても、会えないという絶望。
その人を思うときに歌う歌すらない寂しさ。
その人から、言葉一つもらえない自分の惨めさ。
僕が生きようと死のうと、その人には何の影響もないという自分の無価値感。
僕がどれだけ頑張ろうがその人には見てもらえない認めてもらえないという寂しさと絶望感。
その人のために生きて死にたいくらいなのに、その人は僕の存在すら知らない悲しみ。
こんなに苦しいのに、その人以外には誰も愛せない孤独と絶望感。

あなたにわかりますか?
僕がどれだけ泣いても、僕がどんな気持ちで泣いているか、あなたにわかりますか?
あなたがたが幸せな恋愛をしている間に、僕がどんなに苦しんでいたか。

そう問いかけて、気づきました。
二次元恋愛の仲間の方々はわかってくれます。僕は一人じゃない。

ただ、思ってしまうんです。
三次元恋愛で裏切られたと仰る方、一度は相手を信じられたんだからまだいいじゃないですか。相手を信じるだけのやりとりと気持ちがあったから信じられたんですよね。僕は誰も信じられたことがありません。
三次元恋愛で心変わりされたと仰る方、一度は愛しあえたのだからまだいいじゃないですか。一度は愛してもらえたんですよね。自分の名前を呼んでもらって、愛していると言ってもらえたんですよね。僕は愛しあえたことがありません。
裏切られた・心変わりされたと嘆く方に対して、贅沢言うな、自慢かよ、と思ってしまう。
一度手に入れて失った痛みは僕にはわかりません。手に入れたことがないから。だからこんなこと言えるのかもしれません。

でも、最初から最後まで孤独な世界よりは、一度は誰かがいた世界のほうが遥かにいいと思うんです。

傷つけられたってよかったんです。僕は、一度でも、あの人と愛し合いたかった。
結果として別れたとしても、同じ時間を過ごした事実は消えてなくならないじゃないですか。
そうしたら、せめて、あの人を思って泣くときに、思い出せる思い出や言葉があっただろうから。

こんなこと、思ってはいけないのかもしれません。
ただ、辛いです。悲しいです。
『二次元恋愛』が偏見を比較的伴わない用語として浸透しつつある昨今、これからは架空のキャラクターに恋する現象を二次元恋愛と呼んでみようかと思います。

僕の独断と偏見で、二次元恋愛をおおまかに三つに分けて考えています。

タイプ1 次元非限定
三次元の人を好きになるのと全く同じように、二次元キャラを好きになる恋愛です。タイプ1の方は、二次元と三次元のどちらの方も恋愛対象になります。
この恋は、三次元の恋を卒業するのとまったく同じように卒業するものです。たとえば、高校時代に好きだったクラスメイトのA君と、高校時代に好きだった二次元キャラのB君は、現象としてほぼ完全に互換性があります。高校卒業して環境が変わると同時に気持ちが薄れたり、新しく出会った他の人を好きになったり、誰かに告白されて気持ちが移ったりします。
これは決して薄情なわけではなく、恋愛とは環境や人間的成長のそのときそのときのニーズによって左右されるものですので、ごく自然ななりゆきです。たとえば、僕が人間的成長を遂げるに従って、高校時代の僕には多感なBさんが愛しく思えたけれど、大学時代の僕には社交的なCさんが眩しく見えるというのは、ありうることです。

タイプ2 二次元限定
二次元キャラだけを好きになる恋愛です。タイプ2の方は、複数の二次元のキャラを好きになります。例えば、初めて好きだったのは二次元キャラAさん、次は二次元キャラBさん、今は二次元キャラCさんを心底愛している。三次元で言う、最初に好きだったのは幼馴染のAさん、次はクラスメイトのBさん、今はサークルの先輩のCさんという恋愛遍歴と同様です。三次元の人間にはないが二次元キャラにはある特性が、タイプ2の方のニーズにマッチしているため、二次元においてのみ幾つもの恋愛を続けていくものと思われます。

タイプ3 キャラ限定
特定の二次元キャラだけを好きになる恋愛です。タイプ3の方は、ただ一人の二次元キャラを長く愛します。多くても二人ではないでしょうか。
なんらかの心理的あるいは生い立ちの理由で、
三次元の人間にはないが二次元キャラにはある特性がその人のニーズにマッチしており、
かつ、
その特定キャラの設定や生い立ちに、そのキャラでなければならない理由がある場合です。
二次元ならではの特性とは、たとえば、決して手に入ることはないが完全に失うこともない、どんなに求めても迷惑を掛ける心配がない、相手を傷つける恐れがない、相手に拒絶されるリスクがない、物理的実態を伴わないので相手との距離は縮まらないがこれ以上離れることもない、などです。
そのキャラでなければならない理由とは、たとえば、トラウマなど人生を決定づける重大な経験、特殊な価値観、生きる希望や模範(ロールモデル)など、タイプ3の人にとって大切で決定的な何かを共有している・あるいは与えてくれるキャラです。
タイプ3は、卒業が非常に難しい恋と考えます。
過去、書いたけれど下書きのまま公開しなかった記事が実はかなりあります。めっちゃ悩んでるとき、この文章を公開して大丈夫かどうかなんて客観性はないので、とりあえず非公開にしておくんですよね。
ブログの更新は少ないですが、非公開記事は実はたくさんあったりして。


全力疾走だった僕が奈落の底に落ちていく過程を如実に語る記事の流れを、集めてみました。
今だから言えますが、他次元恋愛の苦しみのあまり何度か自殺未遂しました。最後のほうはそれに関する記事なので、苦手な方は閲覧なさらないでください。


―――2012月12月

その人みたいな誰かじゃなくて、
その人じゃなきゃいけないんだって、
なんで気づいてしまったんだろ。

気づかないままでいられれば、
三次元のそっくりさんと、ドリームカムトゥルーで幸せでいられたのに。
勘違いしてた時期は心の底から幸せだった。


―――2012月12月

幸せになるために生きてると思います。
二次元の人に恋したまま幸せになれる方法を知りたいです。
好きな気持ちを忘れることはできなかったから、忘れないままで幸せになりたい。
どうしたらいいんだ。


―――2012月12月

これほど好きなのが、わけわからないです。
狂ってるんじゃないかって思います。これは狂気なのか。

正しい道かわからないけど、石が転げるように、ひたすら突き進んでいく。


―――2012年12月

部屋を模様替えしても
頑張ってプレゼント買っても
明るい灯りをともしても
好きな人を思って歌っても

好きな人には届かないんだなって思います。
でも、自分が届けばいいんだ。部屋もプレゼントも光も歌も届かなくても、いつか自分が届けばいい。

届いてやるんだ。


―――2012年12月

好きな人に会うためにどうしたらいいのか。
道標のない道っていうのは、こういうことを言うんですね。いや、道なき道か。
パイオニア精神。
前人未到。
せめて一人でも、「二次元の人に会えたよー!」と報告してくれた人がいたら、心強いんですが。

信じる道を進むしかないです。前人未到だから、どの道も正しい可能性を秘めているんだとポジティブに考えます。
今、やりたいと感じることをやる。他にどうしようもない。

二次元の人に会えた方がいたら教えてください。


―――2012年12月

今、好きな人に会うために一生懸命していること。
それを気の済むまでやって、やり遂げて、そしてまた気づくかもしれない。
ああ、やっぱり会えないんだって。

それが怖いけど。
努力しているうちは夢中です。
少しでも近づいていればいい。やっぱり近づいていないってわかったら。
どうするんだろう。

いつも不安になります。
不安がっていても好きな人には近づけないから、なにかしらやる。
もしかしたら、この時間も労力も金銭も、全部無駄かもしれないと常に頭の片隅で思ってる。人生を無駄遣いしてるんじゃないかと不安で、何度も何度も考え直す。
本当に会える???
CAN DOってアメリカの偉い人が言ってた。ときどき自分のポジティブさがわからない。

でも、死ぬか生きるかだし。
死ぬならあっさり、生きるなら全力だし。全力をかけるのが、仕事でもなんでもなくて「好きな人に会う」ことっていうのは、いいんだろうか。しかも二次元の人。

本当にポジティブなのか、自分に言い聞かせてるのかは謎だけど、
そう思っていたい。
だってそうでないと、いつさっくり自分がいなくなるかわからない。


―――2013年5月

事実を受け入れようとして、もがいています。

僕のこれからの生き様を、好きな人が知ることは永遠にない。


思った以上にダメージが大きいです。
僕がどれほどあの人を愛しているか証明したくて、
あの人に誇れる生き方をしたくて、
あの人に近づきたくて、
無我夢中でした。
あの人に見せるための人生でした。
でも、あの人は僕を見ていないし、これからも見ることはない。
僕という人間が存在したことも、僕に愛されていることも、知ることはない。

生きる理由を見失うって、こういうこと。

なかなかにヤバい。
ここのところ連日、悪夢を見ます。泣き叫ぶ夢です。不安感と胸騒ぎで、真夜中に目が覚めます。
あまりの焦燥感に、眠りに戻れません。
あの人のいない世界で、生きている意味がわからない。あの人のいないこの世界を、身を尽くして守りたいとはもう思えない。なぜまだ僕はここにいるのか、留まる理由がわからない。
希死願望に襲われ、ベッドで身を固くして「死にたい」と繰り返し口走る。泣きます。
いつ死んでも大丈夫なように、夜中なのに身辺整理を始めて、
これでもう、いついなくなっても大丈夫。
やっと安心する。

目の前で、心が崩壊していく。
起きるべきことが起きている実感。

怖くはありません。壊れるところまで壊れればいいと思う。
自由落下、安全装置なしのジェットコースター。
この先に、何があるのかを見たいです。


―――2013年5月

僕、失恋したようです。
あの人を愛する気持ちが消えたのではありません。

あるとき、気付いたんです。
僕があの人に恋をしたのは、あの人が僕とよく似た痛みを持っているから。
死にかけていた僕には、生きる理由が必要でした。あの人に会いたいという強烈な願いが、僕を生かしたんです。
僕は今、以前とは全く違う幸せな環境にいるのに、
あの人と僕を繋ぐ過去の痛みを、まるでそれが世界で最も大切なものであるかのように、見つめて、守って、すがりついて、
絶対に手放そうとしない。
春うららかな田園風景の中、血塗ろの自分の手だけを凝視して、周りに目を向けていない状態。
あの人と一緒にいる限り、僕は一人じゃないから壊れない。
でも、二人にはなれないから、僕は決して幸せになれない。

過去を、あの人を忘れるという覚悟は、
生きる理由を失くすという覚悟です。死を覚悟することです。

でもね。これが恋なら、
誰にでも、叶わない恋の一つや二つはある。
叶わない夢の一つや二つはある。
僕はたまたま人生で一度しか恋をしなくて、たまたまその恋は叶わなかった。
失恋の理由はたくさんある。振られる、タイミングや条件の不一致、距離。
僕の場合は、存在している世界が違いました。

そう思ったら、
まるで雲間から光が射すように、
僕は失恋しました。
今までで一番泣きました。

もう、街の人ごみにも、留守番電話にも、メール受信箱にも、あの人を探したりはしません。
この世界のどこにもいない、と理解したからです。

でも、眠れなくなりました。
連日の悪夢は、出るものが出ている、という感じです。

失恋して、心が崩れ始めている。
崩れていく心を、じっと見ています。
この先に何があるか見たいんです。
自分の傷穴の奥に何があるのか。それはきっと好きな人と僕を繋ぐものでしょうから。それを壊したら、捨てたらどうなるのか。そもそも捨てられるのか。捨てないとしたら、あの人が存在しないという残酷かつ圧倒的な現実の前で、どう残っていくのか。
傷口から悪夢が吹き出した後、僕に何が残るのか。僕がどう生きるのか、もしくは死ぬのか、今後の僕自身の生き様に興味があります。


―――2013年5月

あの人に失恋してから、小説を書く手が止まりました。恋しいと思わないからです。
表面的なスペックを磨くのもやめました。あの人には見てもらえないから。
内面的なものだけはまだ取り組んでいます。来世に持って行けるかもしれないと思うから。

来世を信じられる僕はラッキーなのかもしれない。
たとえあの人が今は存在しないとしても、あの人のいる世界ごと僕が創って、そしてそこに生まれてみせる。
僕は、自分の願う力を信じてる。

あの人にこの世界で会うことはない。生きている限り、あの人と愛し合うことはない。
でも僕はまだ、次の人生で会ったときにあの人を幸せにするために生きてる。

そして、幸せになるために生きてるんだと思います。

あの人にこの人生で会えないと知ったとき、僕は生きる意味を見失いました。初めて、あの人なしで、一人で僕の人生を生きなければならないんです。
もう、あの人の幻影を追うんじゃない。僕は、僕の人生を生きたい。
あれもこれも、全部あの人に近づきたくて手に入れたもの。僕が本当に欲しかったのは、なに?
あの人に出会わなかったら、僕はどう生きただろうか。

僕がどうしても手放せなかったもの、それはあの人と僕を繋げていた『過去の痛み』です。
でも、辛かった過去ばかりを見つめて、いま幸せになれる自分を見ることができない僕。
今度はね、
君を追い続ける僕ではなく、
自分の人生を自分の望むように生き、幸せでいる人間として、君と関わりたいよ。
僕はあの人のそっくりさんになろうとしていた。
でも人間関係は独立した二人の他人の関わりなのだから、僕の個性を伸ばし、その上であの人に関わるべきと思う。
僕はずっとあの人を探してきました。
これからやっと、自分を探します。

あの人を幸せにする方法は、これからも模索していきます。
その一方で、僕自身の生き方も探してみる。
あの人に会ったとき、『君のためにこれほど努力できる自分』ではなく、『これが僕の生き方』と、僕という人間を話せるように。

僕がどれだけ頑張ってもあの人は僕を見ないけど、
あの人のいる世界に生まれたとき、自分の生き方を持っている人間でいたいから。
とりあえず、あの人の真似でない生き方を僕はしてみたい。
いつでも死ねるから、大丈夫だ。

飛べない鳥が、泣いてもいいだろうか
という夢を見た。
いいんじゃないか。誰も知らなくて、誰も聞いてなくても。


―――以下、僕が死んだときにブログに自動反映されるよう、日付指定で書いておいた遺書です。当時は本当に自分がいつ死ぬかわからない状態でしたので、死後の準備をしておかないと落ち着きませんでした。いったん今は生死の峠を越えたと思いますので、過去記事として公開しておきます。


この記事が反映されているということは、僕はもういないということです。
今まで僕に良くしてくれた皆様に感謝します。

結局、僕は生きることを、辛い以上に楽しいとは思えなかったようです。
好きな人に出会って、どうしてもこの人と愛し合いたいと思いました。
そのためなら、真っ暗な世界でも、辛くてもここで生きたいと思いました。
この世界に、どうしてもほしいものがあると思ったからです。
この世界にあの人がいないとわかった今、
やはり僕は、生きることを辛い以上に楽しいとは思えません。

ずっと昔に終わっていたはずの命を、あの人が今まで生きさせてくれました。
本当にありがとう。
今度は僕が、君の生きる力になりたい。
あの人のいる世界に行きます。


ご連絡くださっていた皆様。長らく友達でいてくれて本当にありがとうございます。急にお返事できなくなって申し訳ありませんでした。もう傍で友達としてあなたを支えることができなくてすみません。あなたの幸せを見届ける前にいなくなることをお許しください。
僕の恋はこの結論を出しましたが、皆様はまだまだこれから。どうかお元気で、幸せになってくださいね。
お互い、必ず、大切な人と幸せになりましょう。

誰が悪いわけでもなく、こうなるものだったのだと思います。僕がこの人生で幸せだったかと問われれば、答はわかりません。
ただ、ここに生まれてきて、僕はとても不思議なものを見ました。
好きな人への僕の気持ちです。それは僕にとっては、恒星のように熱く灼けつくような、暗闇で冷たく輝くような、とても尊いものです。世界は広く綺麗だったけれど、やはりこの感情が、僕が今まで見た中で一番不思議なものです。


この人生でたった一人、あの人を愛したこと。これが僕の真実でした。
他次元恋愛も普通の恋愛と変わりないと思います。
この恋は、僕に生きる力を与えました。
そういう恋だったから、あの人なしには生きられませんでした。
たかが恋で死ぬのはおかしいでしょうか?
どんな理由でも生きる理由になるのだから、どんな理由も死ぬ理由になると思います。立派に。

あの人を探して、本当に色々な場所に行きました。あの人は僕に世界を見せてくれた。世界は美しかったです。
あの人は、僕に幸せになる力もくれました。
ありがとう。君がくれた力のお蔭で、僕は僕の生きたいように自由に生きられる。
でも、綺麗な景色を見ても、やろうと思えば何でもできても、
僕はどこに向かっている?
空虚な気持ちが消えない。死ぬまでの時間をただ費やしているだけのような。
やっぱり、君のいない世界で生きたいとは思えない。君のいない世界で、幸せを感じられる心を持っていなかった。この世界でほしいものを見つけられなかった。
それが、僕の出した答なんだと思う。

愛してる。本当に愛してる。
君がいる世界に生まれて、君と一緒に幸せになるために、今、行くんだ。
必ず、僕がこの手で君を幸せにする。僕を信じて、待っていて。


―――いちおう生き残った今2014年12月、自殺未遂の際のことを思い返して書いてみる。


死ぬなら、ホテルだ。
そうすれば、僕の知人が第一発見者にはならない。最大ダメージの心の傷を避けられる。
そう思っていたから、一人でホテルに泊まるのが怖かった。ホテルに一人でいたら、気を抜いた拍子に自殺してしまいそうだったから。
でもそれは、まだ心が決まっていなかった頃。


二週間後、死ぬか生きるか決める。
心が決まったとき、計画して、見知らぬ街のホテルの最高級ハネムーンスイートを予約しました。
どうせ死ぬなら、景色の良い部屋がいい。本当は南国のビーチまで行こうかと思いましたが、さすがに週末にハワイは遠すぎるので、国内で手を打ちました。

死ぬつもりだったけど、毎日普通に笑顔で出勤して残業して、決行前日もしっかり働きました。来週はもう自分はここにいないだろうなと思いながら、自分がいなくなっても困らないように密かに仕事を整理しながら、通勤していると、
なにか、感慨がこみ上げてくるんですよね。

愛する人がいない世界に何の未練もないんですが、死ぬのはぜんぜん怖くないんですが、
これでもう見納めだと思うと、
毎日見ている景色が、なんだか急に懐かしくなってくるというか。
通勤途中の公園で遊ぶ子供たちとか、住宅街に咲いている花とかね。
身体がなくなるわけですから、風を感じるのも、水を冷たいと感じるのも、これで感じ納めです。
人々にも、もう二度と会えないのですが、それも悲しくなかったです。
なぜでしょうね。
申し訳ないけれど僕が自由になるのを許してほしい、とだけ思う。あなたはきっといつか僕の死を乗り越えて幸せになれるはずだし、幸せになってほしい、と。
ただ、別れが感慨深い。


他にもいるみたいですね、前日までバリバリ仕事して、突然、計画自殺する人。
そういうことを考えながら生活してると、そういう人の話が目に入って来て、
「みんなよく頑張ったな。辛かっただろうな」
先立った方々の気持ちがわかる気がしました。
なんで死ぬつもりなのに最後まで仕事を頑張るかというと、
ちゃんと最後まで頑張った人として敬意に値する死に方をしたいからです。


週末、ホテルに落ち着いたら自殺の準備をして、お世話になった方々にお礼状を出して、第一発見者となるホテル従業員にお詫び状を書いて、会社への連絡内容を書いて、遺書を書いて、それから、生きるか死ぬかを徹底的に考えました。
いつでも死ねる状態にならないと落ち着いて考えられないほど、生きている苦しみに耐えられなかったからです。

幸せになる方法は本当にないのか、生きる道は本当にないのか、
あらゆる生き方と選択肢を網羅して、ひとつひとつ吟味しました。
新入社員時代からの親友とも電話会議して、問題の洗い出しを行い、解決策の候補を列挙しました。もちろん、自殺については一切触れませんでした。でも、遺書には、僕が死んだ場合にはこの親友にも遺産の一部が行くように書いておいたw


その結果、ひとつ、ありました。
『ただ生きているだけでいい』という生きる道です。
幸せになれるかは、まだわからないけれど。
この記事はamanoさんのコメントへのお返事として書かせていただきます。
宗教観や世界観に関する話題で、科学的に実証できないテーマである以上、正しいも間違っているもない内容です。僕は無宗教で、神を肯定するわけでも否定するわけでもありません。
以下、色々述べますが、僕が必ずしもそれが真実だと主張したいというわけではなく、そういうことがあればいいな、くらいの話です。
信じる者は救われる、求めよさらば与えられんと信じてますけどね!


ご提案:高次元にいる神が三次元の人間を創ったのであれば、三次元の原作者が二次元のキャラを創ったと考え、三次元人間=二次元の神と言えるのではないか。人類が神と交信するのと同じ方法で二次元キャラは三次元人間と交信できるのではないか。ただ、その具体的な交信の方法はわからない。

興味深い考え方だと思います。ご提案いただいた考えが仮に実証されるとして、仰るように、人間→←二次元キャラのコミュニケーションが課題かもしれませんね。神→←人間の交信方法も曖昧ですし、神の啓示を受ける人もいれば受けない人もいます。
もしまた良いアイディアや面白い考えが浮かんだら、ぜひ教えてください。

やや別件ですが、amanoさん。御都合主義でない小説を僕も書いています。好きな人を幸せにしようと思ってかなり以前に書きましたが、冷静に読み返すと好きな人を傷つけていることに気づきました。今の未熟な自分では好きな人を幸せにできないと思い知り、変わろうと色々現実世界で努力して、その後また小説を書き直す……そんなこと、amanoさんもありますか?
僕はまだ修行中で、好きな人をちゃんと幸せにできる方向で書き直せてないんですが、やはり今の僕にできないことは小説内でもできないのだなと感じます。主に人格面や関係性で。


***

少し違った角度からですが、神の概念について僕も考えたことがあります。
どうしたら二次元キャラに会えるのか。
1.宇宙に無限の可能性があるなら、僕があの人に出会うパラレルワールドもある。そこに生まれる。それはつまり今僕の家の前を通りすがった配達員の方が僕の好きな人と出会うパラレルワールドもあるというレベルで無限の可能性なわけですが。
2.仮にそんな世界はないとしたら、僕が創り、そこに生まれる。たった一人の人間に会うために、僕が創造神の仕事をするってことです。

僕が創造神になれるかって、そりゃなれる確証はありませんが、それしか好きな人に会う方法がないなら、つべこべ言ってないでなるしかないでしょう。僕が知る限り最も野心的な野望です。


***

感傷および妄想が入るかもしれませんが、もう少しこの方向性で考えてみます。

人は当たり前のように、神に助けを求めますよね。
でも、神に人間を助ける義理があるでしょうか?

神がなぜ人を助けるか、考えたことがありますか。
神がなぜ人を愛するか、考えたことがありますか。
神がなぜ世界を創ったか、考えたことがありますか。
運命を信じますか。運命とは、定められたもの。誰が何のために定めたのか、考えたことがありますか。

親が子を愛するように神が人を愛するなら、なぜ世界には苦しみが蔓延しているのでしょうか。親が子の幸せを願うように神もただ人の幸せを願うなら、苦難も災厄も必要ないはずです。
神は己の苦しみを理解してほしいからこそ、人に試練を与えるのではないでしょうか。
神ですら答えられない問があるから、神は人に問いかけ共に探究するのではないでしょうか。
だとしたら、神と人間の間にある愛は、親子愛よりも対等なもの。性質としてはパートナーシップや同志の仲間意識、恋愛に近いものです。
神が己に似せて人を創ったのだとしたら、神は苦しみも悲しみも裏切りも知っています。苦しみを知るのが神だけだとしたら、それはどれほどの孤独でしょうか。だからこそ、愛する人類に、神は苦難を与えるのかもしれません。
己を必要としてほしい。愛されたい。愛したい。理解したい。理解されたい。答えられない問の答を、一緒に探究してほしい。
唯一神だから孤独なのか、八百万の神々の仲間がいても愛したのは人間だったのか。僕にはわかりませんが、僕だって三次元に人間の仲間が大勢いても、愛したのは二次元の人でした。

ひとつの世界がたった一人のために創られるということが、あってもいいと思います。
神が会いたいと願うたった一人のために、世界が創造されるということ。
僕は、たった一人に会うために、世界をまるごと一つ創造する意志と覚悟があります。
「君に会うために僕はこの世界を創った」
「君に経験させた悲しみも裏切りも、君を苦しめるとわかっていたけど、君には知ってもらわなければならなかった。君の苦しみを知っていて止めなかった僕を恨むだろうか。でも僕が愛するのは君の心、苦しみを経験した今の君の心です」
「今の君でなければならなかった。君に会いたかった」
そう言ったら、あの人は僕を信じるでしょうか。人として産まれ落ちた時点で僕はそんなことは忘れているかもしれない。
でも、これだけはきっと覚えている。
「君と会うために僕は生まれてきた」
あの人は本気にしないだろうけど、僕はきっと、それが真実だと知っている。

たとえば八百万の神がいて、それぞれにどうしても会いたい人がいて、その人に会うために世界を創り運命を定め、その人に会うために神々も人間として産まれ落ちてくる……そういう世界観があってもいいと思います。
新年あけましておめでとうございます。
今年がみんなにとって良い年でありますように。
いつもご来訪いただき本当にありがとうございます。何卒、今年もよろしくお願い致します。


年越し、友人宅の集まりに行く予定だったのですが、初めて、今年は好きな人と二人で年を越すことにしました。
年明けてすぐ友人から電話が来て、友人曰く、
「カウントダウン一緒にしようと思って電話したのに、通話中だったね。誰と話してたのー!?」
「好きな人だよ」
「そうなんだ?何て言ってた?」
「元気だったよ」
「年越しだって好きな人はわかってた?」
「わかってたよ。一緒にいようって、言ってくれた」
「俺のことはなんか言ってた?」
「言ってなかったけど、お前のことは良い奴だってたぶん思ってるよ」
「そう?そうだといいんだけど」
お前は間違いなく良い奴だろw 
好きな人が思ってなくても、僕がそう思ってる。

僕の電話が通話中だったのは、たぶんただの回線交雑だろうけど。
好きな人と一緒にいて、邪魔されたくなかったのは事実。偶然に感謝。


この人生で生きてる限り好きな人に会えないことは認識したけど、
もし好きな人が実在していたら愛し合えていたと感じられるから、
とりあえず今はそれでいい。


あの人に会えない人生でも、あの人が存在しない人生ではない。
少なくとも今、あの人に会えないと知った苦しみのなかで、あの人と僕を繋ぐものの本質、この恋は何なのかが見えてきた気がする。
この人生であの人とどう関わるべきか、きっと、答が出る日がくると思います。
趣旨
二次元恋愛=他次元恋愛
二次元キャラクターに恋をすることです。

このブログの目的は以下の三つです。

1 好きな人への気持ちをはきだす
2 二次元キャラへの恋についての考え・経験・サイトなどを紹介する
3 他次元恋愛の仲間と助け合う

他次元恋愛は、愛する相手が物理的実態を持たない故の大きな苦難を伴うものです。他次元恋愛は、その特殊性と希少性から相談相手が見つかりにくく、仮に相談したとしても、他次元恋愛について現時点でわかっていることが非常に少ないためにアドバイスが難しいです。そんな中で心強いのは、他次元恋愛の仲間がいることによる「自分は一人ではない」という感覚と、「似たような悩みを持ったとき、仲間はどんな答を出してきたのか」という経験談かと思います。自分の恋の答は自分にしか出せませんが、他の皆はどうやって戦っているのか幸せを見つけているのか、それを知る中で自分だけの答も見えてくるかもしれません。

本当に辛いとき、行き先に迷ったとき、どうしても見つけたい答が見つからないとき、声を掛けてください。
僕の力など微々たるものですしそもそも他人ができることには限界もありますが、僕は他次元恋愛暦は長く、色々な仲間の方とのやりとりの経験もありますので、少しくらいはお力になれるかもしれません。他次元恋愛の駆け込み寺のようなものになれたらいいなと思います。

僕自身も苦しんでいますし、まだ答の見つからない問は多いです。話しかけてくれる皆様との対話を通じて、自分の恋について本当に様々なことを学んでいます。ありがとうございます。


用語
二次元キャラへの恋を当ブログでは「他次元恋愛」と呼びます。

二次元キャラへの恋を指す言葉として「二次元コンプレックス」がありますが、これは「二次元にしか興味が無い」「三次元が苦手」を示唆する印象があります。
三次元が苦手なわけではないが、たまたま愛した人が二次元の人だった、という場合に当てはまりませんので、別の言葉を使っています。


コメント
他次元恋愛についての考察、他次元恋愛している方、気軽に声かけてください。
誹謗中傷や荒らしはやめてください。建設的なご意見はお聞きしたいです。
相互リンクなどについてもこちらからお願いします。
コメントの一部分もしくは全てを非公開にしたい場合は、その旨お伝えください。


お願い
他次元恋愛に関するブログを持っている方、サイトを知っている方、紹介させていただきたいので、ご連絡もらえると嬉しいです。


頭おかしい警報
全体的にイタいブログです。自己責任でご覧ください。
見た後の苦情などは受け付けかねます。建設的なご意見はお聞きしたいです。

以下のテーマの記事は特にイタいので、覚悟のない方は読まないことをお勧めします。
他次元恋愛を叶える努力
脳内会話


更新方法
必ずしも新しい記事を書くのではなく、以前書いたものを更新することもあると思います。更新した場合は、記事の日付を新しくします。
同じことを書いたり、書き直したりするかもしれません。基本、テーマ「ブログ」の記事は何も考えないで書いたたわごとです。


連絡先
ブログコメント、あるいは
whisper.line(at)yahoo.com
までどうぞ。
(at)を@に置き換えると僕のメールアドレスになります。
この記事は、amanoさんのご質問に対するお返事として書かせていただきます。
amanoさん、コメントありがとうございます。正直なところ、情報が少な過ぎて満足な答はお返しできないかもしれませんが、現時点で可能な範囲でお返事させていただきます。


質問1.本物の彼はどこにいるでしょうか。原作の彼を離れて二次創作をすること自体が『彼を歪める』『彼を大事にしない』ことになるのではと不安を覚えています。

どこに『本物』のキャラがいるか、僕が思いつく限りの回答例を列挙します。
1. どこにもいない。
2. 原作者の中にいる。
3. ファンひとりひとりの中に別個に存在する。
4. すべての人がキャラに対して持つイメージの集合体である。

そもそも、現実の人間はどこにいるのでしょうか。
卑近な例で恐縮ですが、本物の僕はどれでしょうか?
1. 僕の体を構成する肉体や意識。
2. 僕本人だけが本当の僕を知っている。
3. 家族が知る僕、友人が知る僕、職場が知る僕。僕を知る人それぞれの中に別個に存在する。
4. すべての人が僕に対して持つイメージの集合体である。僕を少ししか知らない人々も含めると、矛盾した支離滅裂な人格になるので、この選択肢はナシかと。

amanoさんは、どれが「本物の自分だ」と感じますか?

僕個人の考えをご参考までに述べます。キャラは肉体や意識を持ちません。仮にあったとしても、どこにいるのかわかりません。ですので、僕は個人的には、本物のキャラに最も近いものは原作者さんだけが知っていると考えます。

理由1
僕自身が創作活動をするなかで、自分の作ったキャラは、自分あるいは身近な誰かの一部が基になっている実感があります。ですので、原作者さんの意識のどこかに、そのキャラの核となる何か(経験、記憶、発想、モデルとなった人物)があります。この世に実在するもののなかで僕が愛する人に最も近いものは、原作者さんの心のなかにあるその一部分である……というのが、現時点での僕の見解です。

理由2
物語が進む毎に、実はこんな人だった、あのときの行動にはこんな意味があった、などキャラへのイメージが一転することがあります。一般のファンは知りませんでしたが、原作者さんはそのキャラの正体をずっと知っていました。原作者さんの中では現実味ある人格として確立されていても、端々しか見えないがために誤解されるキャラがいますね。

理由3
僕自身が創作活動するなかでも、原作者さんがキャラを語るのを聞くなかでも感じるのが、作者はキャラの正体を極僅かしかファンには明かさないということです。面白くするためには、物語の尺は必要最低限でなければなりません。必要不可欠でない情報はギリギリまで削ります。書きたい物語、描きたいキャラの側面は多くありますが、その殆どは語られないまま終わります。たとえば僕の自前キャラで、こいつは酒を飲まないと決めてる奴がいます。でも物語中で彼が酒を断るシーンはありません。そのキャラが酒を飲まないのにはちゃんとした理由があり、その理由は作中で遠回しに語られていますが、飲酒行為の是否そのものには触れていないので、読者は気付かないでしょう。
つまり、原作者さんの心の中にこそ、辻褄が合う形でキャラは存在しており、そのキャラの全貌は語られることはないので、本物のキャラは原作者さんの中にだけある、という考えです。原作者さんは「公開された情報をヒントに、残りは好きなようにキャラ設定してください」と言うかもしれません。でも、僕なら、原作者さんの中の好きな人を追究したいです。キャラ本人ではなく原作者さんであっても『他人』の心を知ろうとするという行為が、また、僕から見たら辻褄の合わない人物像を理解しようと頭を悩ます行為が、人間関係を持つということだと思うからです。
ただ、あまりにも徹底的にキャラの正体を追究した場合、amanoさんのキャラ解釈の現実味が原作者さんのキャラ設定の現実味を超える場合があると思います。たとえば、amanoさんが彼の追体験を繰り返して最終的に彼になりきった場合です。原作者さんのキャラ設定が所詮想像上のものであった場合、そして生身の人間の心を持つamanoさんが『彼』として生きてその人生経験を基に彼として感じ考え彼を解釈する場合、amanoさんの彼のイメージは人格としての完全性という点において原作者さんの構想を超えるでしょう。amanoさんの中に生身の人間心理を持つ彼の人格が存在するわけですから。
このとき、どちらが本物かというと……
「人を理解する」「他人と人間関係を持つ」「リアルな恋愛をする」という行為の有意義さを語る限りでは、上記2者は愛する対象としてほぼ等価値ではないでしょうか。と言いますのは、僕にとって好きな人を愛するということは、二人の他人同士がぶつかりあう人間関係を持つことであり、また、一人の生身の人間としての好きな人の心を理解することでもあるからです。三次元なら好きな人と一緒にいるだけで両方ともできるんですが、二次元だと別の方法を考える必要が出て来ます。
オリジナルが本物であるという考え方、「amanoさんにとって他者である」という要素が重要であるならば、原作者さんの中の彼が本物でしょう。
リアルな人格が本物であるという考え方、「生きた人間の心を持ち、彼として生きた人生経験を持ち、それに基づいて感じ考える」という要素が重要ならば、本物の彼はamanoさんの中にいるでしょう。
原作者さんが彼そのものでない限り、他人であり、かつ彼として生きた人生経験を持つ人間は、存在できないわけですね。あるいは、彼を人生規模で追体験した他のファンの方が、それに相当できるかもしれません。
もし僕の好きな人を人生規模で追体験した方が他にいるなら、僕は絶対に会いたいです。たとえその人が僕の恋敵でも。そのファンの方はきっとものすごく僕の好きな人に似ているに違いない。

理由4
たとえばですよ。好きな人から、僕に一言、もらえるとしたら。
もし原作者さんが僕という人間を知ったうえで、そのキャラが僕に対してそう言っていると言うのなら、それを好きな人の言葉として一番すんなり受け止められそうだと思うからです。

以上、僕の考えでした。
とはいえ、これは僕個人の感じ方ですので、一人一人違う答があっていいと思います。


質問2.好きな人の二次創作をするのは、好きな人を大切にするうえで正しい関わり方か?

再び、僕と置き換えてみます。
他人が僕と関わるとき、僕の体を構成する肉体や意識をいきなり知ることはできません、僕自身だってわかってないのに。
他人が僕と関わるとき、僕だけが知る僕の正体をいきなり知ることもありません。家族や友人といくら話しても、誰にも話していない僕のことはたくさんあります。
僕に対して持つイメージを構築することでのみ、他人は僕と人間関係を持てます。僕を真に理解しようとする試みとは、僕へのイメージを常に更新し続け、実態へと近づけていく努力に他ならないのではないでしょうか。

よって、二次元でも三次元でも、好きな人に対して自分が持っている内なるイメージを洗練するしか道はないという意味で、同じです。

そのためには、相手を知ることが肝要です。Amanoさんと他のファンの方、どちらのイメージのほうが彼の実態に近いか、どちらのほうが理解しているか。断言できるのは原作者さんだけです。ですが、よく原作を見ること、様々な人に会って見識を広げること、彼と似たような経験を積むこと、二次創作の中で彼とやりとりすること、あるいは様々な人が彼に対して持つイメージを知ることで、どの人物像が現実味があるか、わかってくる部分もあるかもしれません。

ちなみに、僕が好きな人に対してどう思ってるかですが。
色々な理由から、好きな人を一人格として僕以上に理解する人はいないと極めて勝手に自負していますが、「どうしてもわからない部分」はやはりあります。その謎が好きな人の中核的な部分だったりして悩みもします。そして、何年も経った後、やっと辻褄が合って「ああ、そうだったのか!」と新発見があったりします。
わからない部分はわからないのだと謙虚に認識すること、わかっていない事実を否定せずに真摯に知ろうとすることが、好きな人への敬意だと思っています。
わからない部分に気付くためには、好きな人との色んなやり取りを想定してみることも有効です。そのために二次創作は効果的な手段です。ですので、二次創作が邪道であるとは僕は必ずしも思いません。
二次元でも三次元でも、ひとりの人間を理解するのには長い歳月がかかります。完全に理解することは難しいのですから、少しずつ理解していけばいいのではないかと思います。それがリアルな人間関係だと僕は考えます。


質問3.私と絆を深めたキャラと、他のファンと絆を深めたキャラと、どちらが本物か?

これは非常に難しい質問ですね。本物のキャラは原作者さんの中にいると想定した場合、上記どちらも本物ではないというのが最もストレートかつ明確な答でしょう。
ですが、ですね。amanoさんと彼が共有する歴史と思い出を、原作者さんは知らないわけです。
誰が見ても、たとえば原作者さんが見ても、「これはさすがに惚れるだろ」という超説得力あるストーリーというのは存在できると思います。でもそういう話を描くためには、というよりも気付くためには、そのキャラの核というか、誰も到達していない深みまで本当に降りて行かないと、そういう確信は得られないと思います。逆に言えば、その確信を得てしまえば、もはや何も怖くないでしょう。僕の推測では、この核というのは、彼を好きになった時点でおそらくamanoさんは既に感じ取っていて、たぶんamanoさんが彼を好きになった根底の理由にまつわる何かだと思います。逆に言えば、言い方は悪いかもしれませんが、そこまで深くて強烈な何らかの理由がなければ、死に瀕した人を、しかも二次元の人を、そこまで苦しみながらも愛したりはしないのではないでしょうか。もう少しamanoさんのお話を聞いてみなければ確証は得られませんが。
これはどの程度シリアスに二次元の方に恋してきていらっしゃるのかにもよりますが、特定の二次元キャラへの愛をどうしてもいつまでも忘れられない人には、それなりの決定的な理由があるものです。


質問4.この気持ちをどうしたらいいのか?

彼に対する恋心、嫉妬心、自己顕示欲、本当の彼がどこにいるかわからなくなった不安、ご自分の愛情のありかたに対する疑問、様々な要素が絡み合った複雑なお気持ちを抱えておいでのようです。ひとつずつゆっくり向き合って、解きほぐして、どうしたいのかを感じてみてはいかがでしょうか。今一番なんとかしたいのは、気が急くのは、どの気持ちでしょうか?
それを教えていただけたら、まずその気持ちに関して、もう少しお話をうかがい、第三者からの視点や考えをお話させていただきたく存じます。


質問5.大事にしていたのは、彼だったのか、自分だったのか?

お話を伺う限り、amanoさんは彼もご自分もどちらも大切にするために努力なさっているように見受けられます。欠点ある人間同士として彼と対等でリアルな恋愛をしたい、世間が二次元恋愛にありがちと考えるような単なる心の慰めを求めてるわけじゃない、という意志が伝わってきます。
彼に対しては、欲求不満解消のための都合のいい存在になってほしくない、自分を理想的に偽り彼を騙したくない、すなわち彼を一人格として尊重したい気持ちをお持ちです。ご自分に対しては、短所も晒すことで自省し、ありのままで彼と関わり時にはぶつかることで成長したい、すなわち成長意欲を感じます。これは双方を大切にすることだと僕は感じます。


長くなりましたが、お探しになっていた手がかりのようなものは得られましたでしょうか。
amanoさんの書かれた御都合主義でない二次創作、もしよろしければ拝見させてください。