たまくしげ箱よりいでし今日よりはわが夫(つま)がため髪をすくらむ

眞子さまの気持ちになって、土佐日記の貫之同様、嫁に行く女性の気持ちになってボクが詠んでみましたw


たまくしげ=玉櫛は、箱にかかる枕詞で、かつ美しい髪をすくためのいわゆるクシです。
ロックンローラーなら必需品ですよね。

箱はもちろん、今でいう化粧箱ですかね。

今日からは、美しい櫛を箱から出して、あなたの為に髪を整えます。

箱入りの、皇室に閉じ込められていた私は箱から出て、いつもなら公務の為にこの櫛で髪を整えていた私ですが、今日からはあなたの為にこの櫛で髪を整えたいと思います。

そんな感じかな?w

まあ、仕方ないさ、相手がどうであれさ。
惚れたならね。

うむ…チョイと万葉臭が、いや、万葉集臭いが良いだろw
砲煙の霞となりし梓弓春待つ里を出でにし羈旅に
(ほうえんのかすみとなりしあずさゆみはるまつさとをいでにしきりょに)

羈旅→きりょ

とは旅を意味する言葉ながら、古語では、他郷に身をよせること、つまり故郷を離れ知らない国へ旅旅立つという意味があります。

芭蕉も、奥の細道、飯塚での記述にて 

羈旅辺土の行脚→この旅は、江戸を出て、右も左もわからない東北の辺境を行くもの

みたいな感じで使ってます。

で、一方

羈旅

は和歌集などの

部立て(ぶだて)→ジャンル

で使われてます。古今和歌集で

羈旅

は多く旅情を詠んだ和歌の部です。
もちろん今と違い、千年以上前は
旅=永劫の別れ
的な、つまり二度と生きて故郷には戻れないかも知れないという強い覚悟が必要だったのかもしれません。

話を戻します。
戦火に追われ故郷を後にして、他国へと旅立つ市民はまさに

羈旅

の旅立ちです。

戦火の始まりはまだ春を待つ時期でした。
春と霞は縁語です。
和歌では春には霞がつきものです。
その春間近の故郷に霞が立ち上がる、しかし、その霞は

砲煙

なわけです。

で次に

梓弓→あづさゆみ

これは和歌では枕詞です。

梓弓

は言うなれば、梓で作られた弓、つまり

武器

です。

で、弓ですから、枕詞として、
はる(張る)、いる(射る)、ひく(引く)などにかかります。梓弓は春(はる)とかけました。

で最後になりますが

ウクライナでは東部が激戦地で戦火砲煙に追われた皆さんは西へ西へと羈旅に出たわけです。

そこで

出でにし

の「にし」は、本来、完了の助動詞の「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形で

〜してしまった
~するはめになった

という感じですが、その

出でにし

の「にし」にウクライナ東部から、西へ西へ逃げのびるという意味をかけました。まあ、ダジャレです。

春を心待ちにしていた。遠くに霞みたつ春…でもその霞は武器を持つ彼らが撃つ砲煙の霞ではないか!
私たちは故郷を捨て、西へと旅立たなければならない。
そしてまだ見ぬ言葉すら通じぬ辺土へと…


空蝉の 人なつかしき 我がしかな
うつせみのひとなつかしきわがしかな

恩師の訃報に詠む。師は国語の教師で高校時代に教鞭を受けた。源氏物語を熱く語る方だった。
師のことを思いながら…

空蝉は夏の季語。そして源氏の3帖。空蝉=抜け殻だが本意は現世を意味する。

で、10代の若い光源氏が影響を受ける女性が空蝉。

そこに私の恩師が重なる。

そして源氏物語で光源氏が空蝉に送る歌がある。

空蝉の身をかへてける木のもとになお人がらのなつかしきかな[光源氏]

意味は省略するがこの歌の「人がらのなつかしき」という師を思うに足る語句を頂く。(ボクはヒッチ俳句ァーだからさ、純粋な本歌取りではないけどね)…

あらためて…

空蝉の人なつかしき我がしかな

この世でお会いした人が懐かしく思える自分の死に際…

句本来を文字通り読めばそんな意味かな…

で、この句に込めた私の想い…

この世で私が10代の頃、源氏物語を熱く語ってくれた先生、思えば私は空蝉の帖での光源氏の若さでした。人がらが偲ばれます。
我が師よ。わたしはそう思いながら、また自分の…つまり、我が死をもまた考えます。

先生、厳しい点をつけそうでこわいけど…

安らかにおやすみ下さい…
降る雪や 明治は遠くなりにけり
中村草田男

ツッコミどころは満載なんですが、まあ、それは良いとして、上の句は昭和6年作ですから、平成も27年ともなると

昭和は遠くなりにけり

という点で彼の句の実感はわかります。
自分がその立場にならないとなかなかわからないのが人間ですよ。

これは何にでも言えますよね。
立場変われば意見も変わる。変節というネガティヴな中傷も出来ますが…平社員から管理職とか、恋人から妻、妻から母と立場が変われば…みたいな?w

あの句が広く口端にあがる背景は多くの明治生の方々が昭和に入り、明治に対し懐古的感慨があったという事実でしょう

そして、時は流れ平成に入り、昭和生まれの私が今になってようやく、昭和に明治を思う中村草田男氏の気持ちを「私なりに」実感できたというわけです。

バカは死ななきゃ直らない

というのはまさしくコレで、w、自分がその立場にならないと想像すら出来ないってことなんですよね。

俳句は自由ですから自分の心情を句に表すのも否定はしませんがボクはあまり感心しません。

写真はある意味写実的に記録を残せますが、例えば亡くなった人を前にする悲しみを伝うようとしたら…遺族の泣き顔より故人を前にした背中の画がより悲しみを伝えるかもしれません。

俳句も同じです。

悲しい気持ちをただ単に悲しいと書けば、それは主観の報道でしかありません。

でも、和歌や俳句にはそうした、詠み手が思う感情を託すことのできる季語や古人から歌い継がれてきた花鳥風月の語彙があるわけです。勿論、言葉全てに。

で、ボクはまだその入口にも立ててない気がします。


おいしいな運動会のお弁当


これは小学生の息子が宿題で書いた俳句です。
見て「…」って感じになり、ボクなりに小学生のレベルを超えない感じで添削しました。

おべんとの甘さしょっぱさ運動会

大したことはありませんよ、こんなん。
ただ、汗をかいて食べる運動会のお弁当の感じは伝わるかな?とねw

詩人は最後にペンを、桜の木の文机(ふづくえ)に握った拳ごと刺すように叩いた。

言葉を紡ぐには彼の織機としての能力に限界を感じていた。

そんなことを自問自答する日々に彼の前に一人の女が現れた。


彼が言葉なら彼女は香りだった。

風が吹けば彼女は舞うように
雨が降れば彼女は歌うように
陽が射せば彼女は笑うように

そして彼女は季節ごとの香りをたたえて花が咲くように彼を見つめて生きた


詩人はすでに言葉を失っていた

彼は失った自分を取り戻す努力をしようとはしなかった

彼はペンを置き、真っ黒になりながら土を耕した

女は相変わらず何も言わずに彼の前で瑞々しく、清々しく、香りをたたえて花を咲かせた


やがて、花は実を結んだ


日に日に育つ

言葉を失っていた彼は、失ったことすら忘れていたが


ある日

ある日

思い出した


自分の耕した土は
決して言葉にではなく、自分の気持ちに応えてくれたことを…




彼は女を抱きしめた

そして言葉を取り戻した