自分の心肺機能に疑問を感じてから、約2週間。歌の教室で息が続かない事を指摘されて自覚したのだが、そもそも、以前から、タバコを吸うとなんだか苦しかったり坂道で以前より息切れするようになってきていた。ネットでいろいろ調べると、体重の増加(肥満)や喫煙習慣によってそのような症状が出るらしいので、二週間前から筋力トレーニングをして煙草の本数を半分にしてみた。
するとどうだろう。ものの五日ぐらいで効果を感じた。以前よりも長いフレーズが歌えるようになったのだ。生きているってすばらしい! その日は一人でカラオケで歌って効果を確認、帰り道は小躍りするほど嬉しくて、口元のにやつきを抑えるのに必死だった。やった。できるようになった。ほんの少しだけだけど、前よりもできるようになった。いつもの風景が輝いて見える。街がきれい!
これと似たような気持になったことが以前にもあったな、と、歩きながら思い出していた。
あれは27歳の時、卵巣嚢腫摘出のため開腹手術を受けた時の事。
当時、バイトはいつでも休めるチラシ配りだったし、実家暮らしだし、親が加入していた保険と親戚からもらったお見舞金で手術費入院費をまかなえたので、生活はなんとかなっていた。でもライター業の方は、専門誌で持っていたささやかな連載は打ち切りになってしまったし、ミニコミの運営は自分一人でやっていたから発行はストップ。彼氏もいなかったし、手術前にはがんの可能性もゼロではないと言われていたので、なんだかもう人生終わったんじゃないかというような気分であった。
しかし、術後に数日、手術跡の痛みに耐えながら寝そべっていることしかできず、点滴生活だったところに初めて白がゆを口にした時の感動。ドロドロの、味のない、ただの一膳の白がゆを食べて、世の中にこんなにおいしい物があるのか、口から物を食べるってこんなに素晴らしい事なのかと心の底から感動した。生きていてよかった。
また、その数日後、術後の患部の癒着を避けるため、痛くても歩くよう看護師に促され、毎日痛みに耐えながら歩行訓練を開始した。最初は起き上がるだけで痛いし、立ってるだけでも痛い。でも、だんだん歩けるようになり、初めて病院の外になる小さな庭に出た時の感動。ちょうど五月で、新緑が芽吹く時期、そこには一本の木が青々とした葉を揺らしながら悠然と立っていた。私も、そこに立っていた。両方の足で自ら歩き、今ここに立っている。呼吸をしている。生きているって、なんて素晴らしいことなんだろう。
頭では、もう人生、積んでねえ? と思ってる。でも、肉体や本能が、いま命があることを、生きているって素晴らしい事だと告げてくる。
現在の私の心肺機能だが、少し病的な部分もあるのではないかと疑っていたところ、昨日になって喉の痛みと咳が出て体がだるくなり、鼻水も少し出てきた。夫が数日前に同じ症状で、治りかけているけれど、夏風邪とか喉風邪とかいうやつなのか。
よりによって、昨日はかかりつけの病院が休診日で、歌の稽古の日でもあった。とりあえずマスクつけて歌の稽古へ。先生は「先々週よりずいぶん声が出るようになりましたね!なんで?なんか変わったの!?」と言ってくれたのだが、こっちはすごい調子悪い。腹筋して煙草半分にしましたといったら「煙草!そんなに変わるんだ。僕もね、十年前にタバコやめたんだけど、あと一歩のところで息が続くようになって。でもこれって人によるんだよね、知り合いの歌手の人でも吸ってる人がいるんだけど、」と、もうレッスンのメインが禁煙セラピーみたいになって笑った。
ちなみに先生は、タバコをやめなきゃとか思うのはよくないと言っていた。なんかちょっと減らしてみようかなとか、今は吸わないでおこうかなぐらいに思うのがコツみたい。私はプロ歌手ではないけれど、もう少しうまく歌いたいな、なんて気分があれば、禁止事項よりもインセンティブが勝るのでやめやすいと言えばやめやすいかも。辞めなきゃっていうプレッシャーがあるとかえってそのことばかり考えてしまうし精神的に良くない。
別の人は、人に宣言せずにしらっと辞めたと言っていた。ニコチンパッチが楽だとも。
レッスンの帰りがけに、やたらと禁煙の話ばかりになったので、最後に「ちょっと減らしてみようと思うけど、今日はそこの喫煙スペース寄ってかえりまーす」と言って、実際に一本吸ってきた。まあ、おいしくはないけどまずくもなかった。この、なんだろうね。街で喫煙スペースを常に求めている喫煙者の習性って。何かの呪いかな?
今日になっても喉の痛みがおさまらなかったので、受診し、薬をしこたまもらってきた。医師に、現在の症状とは別に、以前から息が苦しい時があるのだと告げると、治ったらちゃんと検査してくれると言われた。安心。
「それにしても、そんな状態でもタバコを吸う?」
と言われたので、二週間前から半分にしてるんですけどーそれじゃ効果はないですかねーと食い下がったら、「まああるとは思うけど。結局は吸うか吸わないかの話だよ」と言われた。
ハリガネムシを思い出す。
私が昆虫の中でも最も尊敬する種類のひとつがカマキリなのだが、これにつく寄生虫のハリガネムシは、カマキリの腹の中でカマキリの食べた餌を食べ続け、最後はカマキリの脳を操って水辺まで連れて行き、カマキリの尻から這い出して自分の居住区域である水中に帰っていく。ハリガネムシを体外に出したカマキリは死ぬと言われている。宿主の養分を食らいつくしたあげく自殺させるハリガネムシ、おそろしすぎ。
喫煙も、ある意味習慣として続けることはゆるやかな自殺に近いのではないか。肺がんのリスクとの関連性については疑われるところもあるが、COPDのリスクと喫煙習慣には明確な関連性があるときく。実際、義父も長年煙草をやめられず肺気腫を悪化させ、今では酸素ボンベを手放せない生活だ。体に悪いとわかっていながら、吸い寄せられるように喫煙の機会を求めてしまう、煙草ってハリガネムシのようなものなのかなと思う。なんていうか、操作されてる感がある。ていうかもう、タバコの奴隷になっているような気がする。なんか搾取されている感が。
自分の意志で始めたタバコを自分の意志でやめられない、ふしぎ。