晴耕雨読

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晴れの日には食べるもののために土を耕し、
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 ブログ二か月ちょっとぶり。今夜は夫が急に飲み会になって夜時間があいたので、映画か漫画でもみて感想ブログでも書こうかなと。ところが今日に限って映画も漫画もなんか頭に入ってこない。

 仕方がないのでここ二か月ぐらい見た中で印象深かった映画『ナイトクローラー』の感想を書こうと思う。

 

○あらすじ(ちょっとネタバレ注意)

 

 

 アメリカ映画。サスペンスや犯罪映画の部類と思われる。

 窃盗を繰り返し就職先もなく、しかしながら口はうまくて情が薄く交渉術に長けた主人公がパパラッチ業によってそのサイコパス的能力を開花させマスコミ界でそこそこの地位を手に入れていくという、ダークサクセスストーリーともいえる。

 

 

 

○感想(かなりネタバレ注意)

 

 

 

 最初のシーンが主人公が窃盗品を売って売り先の社長に就職を打診するも断られる、というシーンから始まったので、何の前情報もなかった私は、アメリカの貧困層を温かい目で見守る的な視点で見始めてしまった。就職先に困った彼がパパラッチを始めた時は「えーパパラッチとかやっちゃうか…かわいそうになあ」と思っていたが、死亡事故ばかり好んで撮影に向かう主人公の姿を見るうちに「え、人死んでるけどなんでそんな平気なの?」と変わり、しまいには計画的に惨事を引き起こしそれを撮影する姿をみて最後は「もうこいつ完全にサイコパスじゃん」となった。

 極め付けはやはり、凶悪犯と一般市民と警察をバッティングさせ、銃撃戦をさせるシーンだ。主人公はずっと凶悪犯を尾行しているが、彼らが武装している事を承知の上で、市民の居るレストランに入ったタイミングを見計らって警察に通報する。案の定銃撃戦となり、市民を巻き込んだ大惨事になり、その様子を撮影する。しまいには、相棒(部下?)だった男さえも嵌めてその最期を撮影し、ネタにする。この主人公には人間の死がカネにしか見えていないのだ。

 

 主人公が自分のギャラなどをめぐってテレビ局と交渉する際に、年配の女性ディレクターに男女の関係を迫るところもなんだかおそろしかった。俺を使いかければやらせろ、みたいなことなんだけど。日本の感覚だと人を使うがわが強い、年功序列で男性優位ってイメージがあったし、アメリカのmetoo運動でも多数の女優が有名男性プロデューサーにセクハラレイプをされてたって話だった。日本でも女性芸能人なんかは枕営業するとかしないとかきいたことあるけど。

 女は上司になっても部下から体を要求されるのだろうか?おそろしい。

 

 ラスト、事業を拡大させ未来に向かっていく主人公の姿があった。少し気のめいるような話でもあるが、まあそういうことってあるかもなあとも思う。この映画、全編通して夜のシーンが多く画面が暗い。ナイトクローラー、の意味を検索するとミミズだとか、パパラッチだとか、X-メンのキャラクターだとかひっかかってくるんだけど、まあ単純に夜crawlするやつ(はい回るやつ)ってイメージがしっくりくる。

 

 

○ジャーナリズムってなんだろう

 しばらく前にジャーナリストの安田純一さんが解放されて話題になっていた。彼をヒーローだと持ち上げる向きもあれば、勝手に危険地域に行った自己責任だと追及する向き、そもそも彼は本当に拘束されていたのか?彼はジャーナリストなのか?と疑う向きもある。

 ナイトクローラーはフィクションだし、安田さんの事実関係は明らかになってないけど、私は「人間の命の危険に心を痛めない、人間の死が金にしか見えない」っていうサイコ人間が実在することを現実の経験から知っている。だからナイトクローラーみたいなサイコなジャーナリストもまた実在することも想像できてしまう。

 一方で、「ハゲワシと少女」を撮った戦場カメラマンのように、戦地で殉職する仲間たちや戦地の子供たちを救えない現実を憂い自殺してしまうジャーナリストもいる。西原理恵子さんの元夫の鴨志田さんも元戦場カメラマンだったけどアル中になって亡くなった。後藤健二さんは人質にされ殺害されてしまった。

 命を大事に思うからこそ、命を失う覚悟をもって戦地に趣きそんな仕事をするのか。命を軽く考えているからこそ自分の命のリスクヘッジもせずそんな場所へ行くのか。それはもしかしたら表裏一体なのかもしれないけど…

 Eテレで録画して観た、「聲の形」

 

 家事とか作業しながら見ていてあまり画面はちゃんと見ていない。最初のシーンではなんだかひきこまれたけれど、だんだん高校生の話だなあと、44歳の私は興味を少し失ってしまった。それでも最後までストーリーを追ってしまったのはやっぱり何か魅力があった。くっだらね、と途中で切るドラマや映画もたくさんあるけど少なくともそうはならなかった。

 物語は、耳の聞こえない女の子を中心に、いじめ、恋愛、友情、生きる意味といった思春期特有の悩みをテーマにした話。障害のある子ががんばったとか、いじめられていた子が立ち直るとか、友情が深まるとか恋愛が成就するとか、そういう単純な話じゃなくて思春期そのものががっつり描かれているという印象。主人公?の少女が障害者なのも涙を誘う道具ではなく、思春期特有の何かを拡大して見せるための拡声器のような役割を担っており、いわゆる感動ポルノのような不快感がない。

 クラスメイトのイジメとか恋愛とか、そういう感覚ってもう私にとっては四半世紀も前のことだが、子供がいないとそうした感覚を追体験する機会もないのである意味良い疑似体験だったかも。

 

 以下ネタバレ。

 

 最初いじめられていた少女だが、いじめの主犯のような恰好の男の子は高校になると「あいついじめやってたらしいよ、性格悪いから近づかない方がいい」などと噂され孤立するようになる。そして昔いじめていた少女との距離が少しづつ縮まり、恋愛関係に。二人が近づく感じをみていて、ちょっといやだった。男は都合よすぎやしない?自分が孤立したからってそこ行くか。でもそこは男児特有の「好きな女の子をいじめちゃう」みたいなアレでホントは興味あってしょうがなかったんだけど成長して自分の気持ちに正直になれるようになった?って思って納得することにした。

 じゃあなんで、女の子は自分をいじめてたような男の子を好きになるわけ?これもすっごくわからなかったんだけど、この子は卑屈で自分が悪くないのにすぐにごめんなさい、ごめんなさいって言う子で、あんたのそういうところが気に入らないって、いじめの女主犯格の少女がいっていた。要するに誰でもなんでも受け入れてしまう子なんだな。いじめてた女子のほうは最後まで主人公を嫌っていたけれど、最後まで主人公と関わることをやめようともしなかった。これもある意味好きの裏返しみたいなもんだ。

 

 主犯格の少年はなんとなく死にたいと思ってるし、主人公の少女は自殺を図るけれど、結局は運よく二人とも生き延びて、なんとか幸せになろうとする方向にいく。そんなラストだったと思った(あまりちゃんと見ていなかった)。

 

 ふと思ったんだけど、私が子供の頃なら男子が女子をいじめていたら、あいつあの子の子と好きなんじゃないかって話になったような気もすんだけど。この映画だと女子の方が障碍者だからか、時代のせいなのか、男子はいじめやってたやなやつという話になるんだな。

 たまたまつい先日読んだ「反省させると犯罪者になります」って本では、イジメがあっていじめっ子に反省文を書かせても絶対反省なんかしない、犯罪者はできれば被害者の事なんか思い出したくないし考えたくないものだと書かれていた。きっとこの少年も一緒に悪いことをする仲間が居たら、じぶんがイジメをしていた現実から逃げ続ける事ができたんだろう。みんなに相手にされなくなって、被害者の事を考えざるをえなくなり自殺するか、いじめていた子と向き合うか、その二択に迫られたのかも知れない。思い出したくもない事と向き合わざるを得ないから、死にたくなるともいえる。まあアニメだけど。

 

 思春期の話ではあるんだけど、本質的に人間の持っている業とか愚かさとか愛おしさとか、根源的なものが描かれている事には相違ないと思った。これを書いていておもった。そんな意味があったのか。

 まあでも、40過ぎて高校生のお話って観ていて感情移入しにくいんだけども。

 テレ東で録画した銀魂ミツバ編

 

 アニメ銀魂の実写版が映画化され今は2が公開中らしい。1も2もみていないのだがこれは映画版ともまた違うらしいがキャストは同じなのかな。

 

 銀魂は昔アニメで夕方にテレ東で放送していた時に時々見ていてけっこう好きだった。舞台は江戸の歌舞伎町のようだが宇宙人が来たり、たくさん盛り込まれてる小ネタは普通に現代風。土方や沖田など新撰組のメンバーもキャラクターとして出てくるが、史実とはほとんど関係なさそうだ。作者空知秀秋はウィキによれば1979年生まれとあるが、まあその世代っぽいネタが満載。74年生まれの私にもとっつきやすい小ネタ。

 全部見てるわけじゃないし漫画なんか一話か二話ぶんぐらいしか読んだことない。漫画はセリフが多くてなんだかうんざりしちゃったんだけど、たぶんそれをアニメで声優さんにノリノリで読みあげてもらうと面白く感じるんだと思う。

 私のイメージでは、閉じたひとつの町の中でいつもの面々とわちゃわちゃしていて、みんな変な奴ばっかりでたまに宇宙人とかが来る、という感じがうる星やつらとかDrスランプあられちゃんとか、子供の頃好きだった漫画アニメの世界観を彷彿させる。

 友引町もペンギン村も、どこか閉じた世界でありながら多様性に満ちていて、奇妙奇天烈な事がたくさん起きるし個性的なキャラばかりなんだけど、文句言い合いながらもなんとなく受け入れあっているイメージだった。ただ銀魂はたまに戦争みたいなバトル編にちょいちょい突入してたけどあんまちゃんと見てないしよくわかってない。あれは何と戦っていたのだろうか。なんか小中学校の頃に男子同士が殴り合いの喧嘩してたのは知ってるんだけどなんで喧嘩してたのか全く把握してなかった、といった感覚に似ている。

 ちなみに私の記憶に残るアニメ銀魂の神回は、まだおの観察日記と、さだはるが家出するやつ。

 

 さて実写版。

 監督は勇者ヨシヒコでつとに有名な福田雄一だ。この監督のセンスと銀魂は見事に合っていると思った。銀魂の小ネタ満載わるふざけのノリが違和感なく表現されている。少なくとも私が期待する銀魂らしさというものが損なわれていない。実写版主演の小栗旬が驚くほど銀さんらしく見えたのもおどろいた。柳樂優弥や中村勘九郎など俳優陣が豪華。

 CMで流れていた映画の宣伝で「イケメンの無駄遣いをみよ」「たっぷり稼がせていただく」といったセンスも銀魂にぴったりだなあと思った。

 この回では神楽ちゃんと新八が出てこなかったので、橋本環奈と菅田将暉が見られなかったのがざんねん。

 

 なんとなく、昭和の村社会的牧歌的なおもしろおかしい部分が顕著に出ていると思う銀魂なんだけど、こういうノリっていつまで通用するものなのかなとも思ったりした。内輪ノリのダメな部分の最たるものが組織によるもみ消しだったり忖度による特別扱いだとすれば、内輪ノリで笑える部分ていうのは悪ふざけが害をなさずただ楽しいものとして通用する安心感だったりする。内輪同士の強固なつながりという安心感がなくなれば笑えなくなる。いい部分だけを残すっていう都合のいいことはなかなか難しい。