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まことのブログ

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神は森羅万象の『愛』を統括する存在でしょか?
そもそも『神』とは如何なる存在なのだろう…
皆様は『神』を想像する時に偶像として『形』を頭に浮かべますか?
それとも感受した『光』を受け入れますか?
僕は後者です。
ロシアの文豪トルストイは晩年の著者にこう記しています。
『愛のあるところに神はある』と…。
つまり、神を感受するには自身の感受性を常に清く保つ必要があります。
精神は筋肉と同じく鍛え上げなければ衰えます。
が、感受性による神の光を得るには、パスカルが著者『パンセ』で繰り返し言っている様に、直感だけ働かせていても(感動ばかりしていても…)駄目なんです。
仏教で言う『中道論』
つまり、直感だけに頼らず、直感したものを『分析』すると言うバランスが肝心要なんです。
無知な科学者は言うでしょう。
『心身平行論』
人の脳の働きを分析すると、精神の働きと一致すると…。
そんな馬鹿げた暴論は有り得ません。
だとしたら、私達の肉体が無になるには、肉体が解体するより他 説明がつかないではありませんか。
なにも、空間を占めなくとも、厳然と存在するもの(魂)はあるはずです。
僕が、今は亡き兄を愛おしむ時、兄の魂は生き生きと僕の心に現れます。
話頭は転じますが、『神』は貴方や僕が、直感したものを分析する時に存在しますが、『分析』から直感に至る道筋は(神)はないのです。
神は常に、私達の心(魂)の中にしか存在しません。
しかも、柔和で驕りのない限りなく純粋な心にしか存在しないのです。
だとすると、大方の人間は罪深きもの…。神の寵児とはなれないのか?
否、そんなことはありません。
傲慢な思惑を捨て『謙虚』になりさえすればいいんです。
まあ、言うが易し、行いが難しですが…。
僕は、みんな等しく『魂』は潔白だと信じています。みんなみんな、本当は心温かく愛すべき人達ばかりです。
ヒトラーや、あまた悪人にも、ひとかけらの純粋はあったでしょう。
罪を許したまえ…。願わくは、憎しみを愛に…。
そして…如何なる存在をも誰しも知らない『魂』の世界で『愛についてドキドキ』お話しましょう?
ではでは、皆様の明日が『光』に満ち溢れています様に…。