僕は寒さにはめっぽう弱いけど暑さは人ほど不快に感じないようです。


なのでTシャツ一枚で過ごせる夏は好きです。


自転車で走っているときにたまに鼻を突くむっとするような草むらのにおいも好きです。


なにより女の人が薄着をしているのが嬉しいです。


夏休みでゆっくり時間が使えるので、たくさん本を読んでいます。


ひとつの本をずっと読んでいると疲れるので今はいろいろな本を同時進行で読んでいます。


長編小説(今はヴォネガットの猫のゆりかご)を軸に、


読み疲れたら気晴らしに村上春樹やサリンジャーや芥川龍之介の短編を適当に1編読んで、


眠れない夜などは小説以外(今は中村雄二郎の共通感覚論)を集中してじっくり読みます。


受験勉強はさぼりがちですが、しないといけないとも思っていないので末期です。


それでは、最後に暑さを楽しめる音楽を。


Have a good SUMMER!



今日も試験で学校が午前中に終わったので

こまごましたものを買いに一人で福山へ電車に乗って行った。

僕はこまごました物を買うのがとても好きだ。

文房具とか本とか、そういうものだ。

一人で出かけるのも好きだ。

今日は電車のなかでラバーソウルを聴いた。

楽しかったがやはり人がいるところは疲れる。

帰って着替えてコーラをコップ一杯飲んで、

部屋で本を読んだ。

$空洞ですTube For You-パン屋再襲撃

村上春樹の短編はとても優しい感じがして好きだ。

必然的に長編より情報量が少なくなるから、

自分の裁量で読める範囲が広く、気軽に読める。

長編を読み進めるのに疲れたときに、

インターバルとして短編をひとつ読むのは愉しい。

夜は塾なので、今のうちに自分の勉強をしておこう。
久しぶりです。学校は受験勉強一色で、座っているだけで肩が凝って首が凝って頭が痛くなります。

彼らの視野の狭さに今更のように愕然としています。

それとも僕がすべてを斜に構えて見てしまっているだけなのかもしれない。

少なくとも彼らのほうが従順さという点では僕よりはるかに優れていることは間違いない。

やはりどう転んでも学校は好きになれそうにありません。

友達や好きな先生は何人かいるけど。

最近登下校の時はいつもiPodでペイヴメントを聴いています。

今年限りの再結成をしている彼らですが、残念ながら来日ライブに行くことはできませんでした。

いじけたようなポップな彼らの音楽は僕の好みにぴったりです。



そろそろ僕も勉強に力を入れようと思うけど、

それだけだと伸びやかな思考力や広い視野が損なわれてしまいそうだから音楽なり小説なりに没頭する時間は確保したいです。
アルゼンチン代表の監督マラドーナのベンチの前で落ち着きなく動き回ったり怒鳴ったりしている姿と、今読んでいるカラマーゾフの兄弟に出てくるフョードル・パーバロウィチに対して僕が持っているイメージがぴったり合っているので、本を読んでいても、アルゼンチン戦を観ていてもとても楽しいです。
今日は電気ギターを購入した。



というのも、高校の文化祭でバンド演奏をすることになり、



それならバイト代も大分余っているのでこの機会に今持っているのより良いギターを買って、



文化祭のためだけでなく、この受験勉強で鬱屈した心の慰みにもしようといって買ったのだ。



僕は鬱屈するほど勉強してないのだけれど、3年生になってからというもの学校の雰囲気だけでどんよりしてしまいます。



地元の島村楽器へ買いに行った。



最初からFUJIGENのテレキャスを目当てに行ったのだけれど、



FUJIGENは安物2台しかなく、店員にCoolZという謎のメーカーを勧められた。



なんでもそのメーカーは島村楽器オリジナルらしいが製造工場はFUJIGENらしく



名前が違うだけでクオリティは全く変わらないという。



結局FENDERの同じ価格帯のやつと弾き比べたりして、



CoolZの7万6千円のアッシュ材のテレキャスに決定。



なるべく硬い音が出るギターが欲しかったのだがそれに関しては大満足。



でもフロントピックアップに切り替えるととてもフルーティな音が出ます。



デザインは高3にしては渋すぎるかもしれない。



でもとても気に入っています。





空洞ですTube For You-電気ギター
新潮文庫の裏表紙の紹介文はどれも無粋だなあと思った。

一体誰が書いているのか。
どうも、カラマーゾフの兄弟を読んでいたのだけど、つい村上春樹のスプートニクの恋人に手が伸びてしまい、どうしても読み切らずにはいられなかった、という土曜日でした。



細野晴臣関連で動画を渡り歩いていて見つけた動画。

文句無しでかっこいいと思った。

いかがわしい感じを演じて楽しんでる風なちょっとニヒルな感性

そんな中にも生きている抜群のポップセンス

あまりにも気に入ったのでこの音源が収められているボックスセットを衝動買いしてしまった。

届くのが楽しみだ。

村上春樹の1Q84のBOOK3を読み終えた。

BOOK3に取り掛かる前に1・2を読み返した。

最初に読んだときには物語に夢中で気がつかなかったのだけれど、

以前よりいくらか客観的に読み進めていくにしたがって1・2では触れられることなく終わってしまったいくつかの謎があることに気付いた。

もちろん彼の小説は往々にして読んでも読み切れないものだしそれもとても大きな魅力なのだが、

1・2の時点ではその残された謎があまり滋養があるとは言えないような種類のものだったと思う。

彼もやはりそこに引っかかっていたのだろうか、

BOOK3ではその残された謎それぞれについての物語も進められた(解明されたというわけではない)。

そのことによって少なからず話の展開に無理が生まれたのか、僕はいささかの違和感を感じた。

それでもやはり僕は最後まで心おきなく物語を楽しめたし、

ちりばめられたユーモアに口元を緩め、

はっとさせられる文章に何度も出会った。

物語全体の印象としては巨大で写実的な壁画を見ているようだ。

遠くから見るとひとつのまとまった光景だが、

近くに寄ってみると様々な人がそれぞれに示唆的な動きをとっている。

この作品に一義性を求めるのはまったくナンセンスで、

具体的な事象にフィードバックして当てはめようとすることがそもそもの間違いであると思う。

この四次元的な物語をそのまま取り込んでそのカオスを心に宿すことを作者は読者に求めていると僕は思う。

僕はとりわけこの作品の中で青豆の携帯する銃の存在が物語をより深みのあるものにしていると思う。

大切なことが書かれた紙を留めて置く文鎮のような確かな重みがあの漆黒の銃にこめられているように感じた。

チェーホフの言葉通りにはならなかったが、

あの銃はその存在だけで読む者に働きかける可能性としての作用を持っていた。

なんだかいろいろ偉そうなことを書いてしまった気がするが、

生意気な17歳のクソガキのたわごととしていなして頂きたい。

とにかくこの本について書かずにはいられなかったのです。
休日の朝はよくビートルズを聴く。



今日はアビイ・ロードを寝転がって聴いた。






音楽を聴く手段も多様化して、ビートルズの聴かれ方も変わった。


僕は1992年生まれだから、レコードも聴いたことないし、音楽はたいていiPodにイヤフォンを繋いで聴く。


聴きたいCDはTSUTAYAで借りるし、TSUTAYAにないのならネットで買う。


僕と同年代の人には音楽はすべてダウンロードで手に入れるという人も多いだろうし、それを違法に無料で行っているという人も少なからずいるだろう。


僕は性格的にというか、体質的にそこまでしたくないけど、音楽もファスト化してきているということは間違いないようだ。


しかし「僕はこの傾向はビートルズのような古い音楽にとっても決して悪いものでないと思う。


シャッフル機能を使うと、ビートルズの後にレディオヘッドが流れ、ゆらゆら帝国に変わる。


僕たちの年代だからこそ、ビートルズをフラットな耳で聴けるのではないだろうか。









上海万博をやたらに批判しているのは日本(特に民放テレビ局)だけではないのか?

日本人に根付いてしまっている中国人を見下したくなる心理を煽って視聴率を稼ごうとしているとしか思えない。

それにすっかり染められているうちの両親のメディア・リテラシーの低さに苛立ち、改めて現代におけるテレビの影響力に空恐ろしささえ感じた。




音楽の話。



この曲、rain on tinが納められたmurrey streetはSonic Youthの中でも一番好きなアルバムだ。

このアルバムを聴いて、ジム・オルークという音楽家に興味を持ち彼の作品を聴くようになった。

彼は音楽というものをすごくソリッドなものとしてとらえているように感じられる。

音色、メロディ、メロディの繰り返し、その繰り返しと広がりと繋がりが、ひとつの世界(物体)を表現するために収斂されている。

サティの「家具としての音楽」という言葉があるが、彼の場合「陶芸としての音楽」といった感じがする。

そんな彼の作品の中でも、ソニック・ユースをプロデュースしたこの作品が一番好きだ。

これは本当に好みの問題で、このひやっとしたカタルシスが僕はたまらなく好きだ。