脳科学者 の 茂木健一郎氏 の ブログ投稿を
シェアさせていただきます。
自分 と 他人 が
違うことは、
不安のもとではなく、
むしろよろこびのきっかけでなければならない。
なぜならば、
異なる傾向の人が結びついて、
共同作業をすることで、
チームとしてはさらに高度なことができるからだ。
協働は
必ずしも
直接的なものである必要はない。
Aさんがいて、Bさんがいる。
さらには
Cさんがいて、Dさんがいる。
それぞれが
お互いを
視野の片隅に入れながら、
それぞれの心に
親しいことをやることで、
世界は
豊かになるのである。
肝心なのは、
多様性は
エスニシティやジェンダーだけで
決まるものではないということだ。
その中にも、
さらには
さまざまなゆらぎがあり、
多様性がある。
その多様な人々の
一人の中にも、
さらには
多様性がある。
多様性は
入れ子構造になっているのだ。
キリスト教徒と、
仏教徒と、
イスラム教徒と、
無神論者が
共生することは
多様性の
重要な様相だが、
そこでは止まらない。
さらには
一つの宗教を
信じる人たちの中にも
さまざまな人たちがいる。
容易には
他者を決めつけないことでしか、
人間は人間を
担保できない。
他人を ラベルで 決めつける人は、
結局、
自分自身も ラベルで 決めつけている。
他人の 多様性に 寛容な人は、
自分の中の
さまざまな 発展の可能性をも 拾い上げることができる。
創造性の
最高のかたちは
自分が変わることである。
社会の中にある 多様性 に
目を 開くことができる 人は、
それだけ、
自分 の 中に ある
さまざまな 「 芽 」 を
育む 機会に 恵まれ、
創造の きっかけを つかむことができる。