カプリチョーザならアーリオアーリオを選択する女、カカロットです。
気が付けば年の瀬。今年は早かった、、小学生の頃は拷問かよってくらい時が経つのが長く感じられたが。こうも変わるものか。私のそうゆうの感じる機能は1秒も止まらず、常に変化している。たぶんみんなそうなんじゃないかな。
今年は変化が多かった。
現住所、嫌いじゃないけど一生住むのは考えられないなあ。寒いし、海がない。
家は、同居して助かっている事が多い反面、居場所がない。休みの日は出かけてばかりで、家に帰らないですむ方法を考えている時があっていやだ。もはやそこは心が休まる安息の場とは言えない。住所があるだけ、中学生のとき感じたような気分だ・・・。
私はあの頃の、地獄の沙汰も親次第という無力な子供ではない。自分さえ本気を出せば家を出る選択ができるんだ。でも、引っ越す事でかかる莫大な労力、金、時間、人とのやり取り等々と自由を天秤にかける、、今の自分には、自由より現状維持に軍配があがる。
やれる気がしない。。自分の足で立つために勉強して頑張ってきたのにいざやろうとすると簡単には抜け出せない。ダメだと言って自分や周囲を攻めていてもしょうがないし、機会を待つ。やれることをやる。いつか時はくるはずだ。
今年、音楽は前ほど聴かなくなっちゃったなあ。ライブは平均すれば月に1回何かを観に出かけた。
ライブはどんなに騒いでも怒られないからいいよな。常に奇声をあげてるわけじゃないけど。
前も書いたかもしれないけど、ライブでもなんでも、すっごい楽しい反面「終わっちゃうんだ」 って思うから悲しい。
薄暗くてガヤガヤしたところに入って行ってすごいワクワクして、胸が高鳴ってる。
でも「もうすでにバイバイのカウントダウンが始まっているんだぜ」って冷静に思っている部分がある。
頭の中の斜め後ろらへんで、同時進行で。
その斜め後ろの不吉な気配を気が付いてないふりしたいから、一層音と酒に酔いたい。頼むミュージシャンよ、酔わせてくれ。
終わらなければいいのにな。
私をふくめて多くの人がその人なりの方法で折り合いつけて現実に戻っていくわけだけど、私あんまり上手くないと思う。切り替えってやつだ。上手くないどころがド下手、無様なくらい引きずっちゃう。全然かっこよくない。
もうこんなに悲しいなら来なきゃよかったと思うこともある。そもそも論になる。
でもどれほど後悔をしても、やっぱり誰かや何かに期待をして、終わらないものを探して彷徨ってしまうのかなあ(ミスターチルドレンかよ)
キザかよ。
でもまったく本当のことなんだ。
今日のBGM