こんにちは。お花畑の残留思念体です。前置きがちょっと長いかもだけど読むとそのあとの流れがわかりやすいです。


皆さんは日本でスラム街と言われている二つの地域を知っていますか?

一つは大阪のあいりん地区。そしてもう一つは神奈川県の寿町という地区です。

この二つの街は別名「ドヤ街」とも呼ばれています。家や身寄りのない人とかバックパッカーとかに格安で宿(ヤド)を貸す施設が通称ドヤと言われていて、それがとにかく多く存在するからです。

ドヤはただ人を泊めるだけじゃなく、生活保護をもらっている人のお金の管理をしたり、お弁当を配ったり、定期的に部屋に様子を見に行ったりと、お母さんみたいな役割も果たしたりします。

なぜドヤという呼び方なのかは私も知りません。


私は高校生の時から寿町の「ドヤ」に定期的にボランティアに行っているのですが、長く通っていると「孤独死」の現場に遭遇したりする事があります。私は3回死体が運ばれていく現場に遭遇しました。

今回はそのうちの1人の田中さん(仮名)が孤独死した時の現場が印象的だったのでブログに残そうと思います。




田中さんは40代で、寿町の中だとわりと若い方です。

通っていた大学はなんとあの、天下の東京大学。外資系の企業で働いていたらしいですが、いろいろあって寿町へ。

彼は重度の鬱病で、生活保護を受けながら治療に通いつつ生活していました。

金遣いが粗いので、生活保護のお金はドヤが管理していましたが、気さくで面白いおじさんという感じの人で私はとても好きでした。


ただ、調子が良い時は喋ってくれるのですが、鬱が酷い時は目に全く光が灯っていませんでした。すごく曖昧な表現なのですが、目の前にいれば誰でもわかるくらいに、彼の周りに纏うオーラが闇に寄っているのが分かるというか、そんな感じ。


田中さんはドヤの受付に毎朝血圧を測りに来ていたらしいのですが、12月の途中頃に来なくなってしまいました。

1日サボるくらいなら珍しくないのですが、3日、4日と過ぎ、一週間が経過しました。

介護施設にも現れてないらしく、部屋の鍵は閉まったままです。

そして何より、匂いがとにかく酷い。田中さんの部屋は7階にあるのですが、一階まで匂いが届くほどの強烈な異臭がドヤに漂っていました。

私とドヤの責任者は内心なにが起きたか察していました。が、部屋を開ける事は原則禁止されています。生活保護の管理を任される施設というものはルールや監視も多くて厳しいのです。

私がボランティアしていたドヤは、毎月決まった日にお弁当を住人の方に配るのですが、私とドヤの責任者はお弁当を届けにいくという名目で田中さんの部屋の鍵を開けました。


黄ばんだベッドシートとテレビ、そして床には瞳孔が開いている田中さんが横たわっています。

責任者がすぐに救急車と警察に電話をかけ、私はただ傍観してました。

突然、119に電話をしたドヤの責任者が

「え、けどもう死体になっているし、少し腐ってますよ?」

と電話越しに言いました。

どうやら救急隊の人に心臓マッサージをする様に言われたようです。

細かい状況説明をした後に電話を切ったドヤの責任者は、腐った死体に心臓マッサージをし始めました。

グニャ、グニャ、グニャ、グニャ。

私が心臓マッサージをしたわけでは無いのですが、遠目から見てる限りこんな感じ。

押しても体が反発するわけでもなく。

ただ、押すたびに内臓の匂いというか、とにかく臭い匂いが部屋に充満して行きました。

部屋に入った時よりも強烈で、不快な匂いがどんどん充満していきます。

腐った死体に心臓マッサージをするとこうなるんだな、とその時は思いました。当たり障りのない感想だなおい。

検死解剖と現場検証の結果、死因は餓死だったらしいです。

恐らく鬱病の食欲低下と貧困が原因。

この頃に精神病とかへの興味が強くなって、医者になるわけでもないのに医学書読んだりし始めた気がします。

自分も将来、色々あってホームレスになって孤独死したりするのかな〜とか、ケータイあるんだから電話すればよかったのに〜とか、葬式がないのはちょっと悲しいな〜とか、他人事な感想が沢山脳裏を巡りました。


豆知識なのですが孤独死の死体は夏よりも冬の方が腐りやすいそうです。暖房がきいてるから。


今はぬくぬくとした環境の下で大学に通ってる私達も50年後には孤独死してるかもしれませんね、日々に感謝。

では。