都心から少し離れた喫茶店。料金設定は少し高いが、広い店内に、ゆったりとしたシートと、喫煙スペースが完備されているから、よく作業をする時に訪れる。一つだけ難点があるとすれば、男子トイレが一つしかないことだ。そろそろ限界だなと、トイレに立つと、必ず先約がいる。一人ならまだしも、三人くらい列を成していることさえある。僕は、水分を多くとるせいもあってか、頻尿に悩まれている。頻尿を改善したければ、少しだけ我慢をして、尿をストップする筋力を鍛えた方がいいというネット記事を鵜呑みにして、膀胱炎にならない程度にそれを実践している。つまり、僕がトイレに立つ時はいつもギリギリの状態なのだ。
そろそろだなとトイレに行くと、二人の男性が携帯を触って待っていた。待ち時間は、3分から8分と試算する。気を紛らわせるため、一旦喫煙所でタバコを一本。ゆっくり吸い終わって再びトイレに行くと、待ち人はもういなかったが、ドアの鍵に赤いマークが示されている。ドアの前で2分ほど待つと、少年がトイレから出てきた。待ってましたという顔を少年に向けると、少年もこちらを見た。しかし、少年はちっともも急ぐ素振りを見せず、むしろゆっくりゆっくりと牛歩のようにトイレの前を行進している。ちょっと、早く行ってよ、とつい少年にガンをつけてしまった。ようやく少年が僕の前を通り過ぎると、トイレから少年のお父さんが出てきた。お父さんは「あ、すみません」と僕に会釈して足速に去った。
少年の牛歩は、まだお父さん入ってますという合図だったのであった。すまん。

父親思いの心優しき少年にガンをつけてしまうほど、今の僕に余裕はないのだろう。『記憶捜査』の撮影は順調。しかし、もうすぐ稽古が始まる『ジョン王』の準備に忙殺される中、また何やら新しいことに挑戦しようとしている。時間はまだあるのだから、ゆっくり整理して取り組めばいいのに、頭の切り替えがどうもうまくいかない。そんな不器用な頭を強制的に切り替えるべく、その日に取り組もうと決めた本だけを持って、喫茶店にやってくる。店は決まっていて、さっきの少年にガンをつけてしまった店か、家から歩いて行ける近所の店のどちらか。特に近所の店の方は、店員さんの顔を全員覚えているんじゃないかというくらい常連中の常連になってしまった。
シェイクスピアという大天才にひれ伏しつつ、時に物語を紡ぎつつ、珈琲を啜っている。シェイクスピアが書いた物と向き合いながら、何かを書くというのは、実に辛いものがある。『ジョン王』はシェイクスピア劇の中では知られていない作品であるが、駄作なんかでは全くない。物語は重層的で、キャラクターは個性的で愛らしく、彼のメッセージはしっかりと至る所に散りばめられてある。ここを何とか乗り切って、今やっていることが何とか日の目を見ることを祈って、もう少し珈琲を啜ります。