誹謗中傷者は、長期間にわたって相手を攻撃し、
人格を否定し、事実無根の話を流し、執拗な中傷を続けてきた。
その一方で、信じがたいことに、攻撃を続けている“同じ記事内で”突然「平和交渉」や「和解」を口にするという、支離滅裂な行動に出ている。
これは矛盾などという生易しいものではない。
論理と人格が同時に崩壊している状態である。
■「殴りながら握手を求める」という異常な構図
冷静に見れば、この構図はこうだ。
• 記事の前半 → 罵倒・中傷・攻撃
• 記事の後半 → 「もう争いたくない」「平和的に解決したい」
つまりこれは、
「殴りながら、同じ手で握手を求めている」
という、現実ではまず成立しない異常行動である。
これを「平和交渉」と呼ぶのは、言葉の冒涜でしかない。
■平和とは“加害の途中で差し込む免罪符”ではない
本来、平和や和解とは、
1. 攻撃をやめる
2. 嘘をやめる
3. 誹謗中傷を認める
4. 責任を受け止める
5. その上で謝罪する
この順番があって、初めて口にできる言葉である。
それを、
• 攻撃の最中に
• まだ中傷を続けながら
• 何も撤回せず
• 謝罪もせずに
ただ「平和」という言葉だけを挿入するのは、
平和を“責任逃れの言い訳”として利用しているにすぎない。
■これは和解ではない。「自己保身」である
誹謗中傷が通用しなくなり、
批判が集まり、
立場が不利になり、
孤立し始めたその瞬間だけ、
「話し合いで解決したい」
「争いは望まない」
と言い出す。
しかもそれを、
中傷と中傷の“同じ記事の中”に並べてしまう。
これは平和交渉ではない。
逃げ道として「平和」という言葉を置いているだけの、見苦しい自己保身である。
■結論
• 攻撃はやめない
• 嘘も撤回しない
• 中傷も続ける
• しかし口だけは「平和」
しかもそれを、
同じ記事内で同時にやってしまうという自己矛盾。
これはもう、
「和解を望んでいる」のではなく、
「責任から逃げたい」だけである。
本当に平和を望むなら、
同じ記事内でやるべきことは一つしかない。
攻撃をやめ、嘘を取り下げ、
まず謝罪し、責任を示すこと。
それが一切できないまま語られる「平和交渉」は、
平和でも交渉でもなく、ただの自己保身と矛盾の塊でしかない。