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欧州からワケあって帰国起業したあるウェブクリのブログ

ドイツのケルンで妻共々北朝鮮に売られそうになりました。でも生きています。人生リスタートです。そんな波乱万丈系ウェブクリのブログです。

欧州からワケあって帰国起業したあるウェブクリのブログ-神父1


ビジネスパートナーは、「弁護士さんと連絡が取れないんだけど」と私たちが申し出てから、どんどん返事を返してくれなくなってきました。
メールも返事がないし。電話も出てくれません。
事務所に行っても留守。
まあ、私達としても彼が「俺に任せておけ」的に胸を叩いたので一度任せただけで、彼に私たちを助ける義理がないことは承知しています。

しょうがないよな。
・・・それにしても、最初彼が言うように弁護士が回収してくれるお金を頼ってホテルにずっと泊まらないでよかったよホントに・・・などと二人で話しながら次善策を練ります。
時期は10月を過ぎてドイツではもう気温は一桁です。
路上生活のストレスと疲れは予想以上で、体調を大きく崩さないのが不思議なくらい。

ケルンのネットができるカフェに入り浸って、半日ノートパソコンでインターネットを使って情報を得ながら、必要があったら動く。そして、夜は車に戻って寝る、という生活はもう2週間を超えようとしていました。

ベルリンの方まで行ってみようかとか、ホームレスの施設に相談してみようかとか、毎日色々考えます。
この時は、こちらに何の落ち度もないのに、こんな理不尽な立場に追い込まれて、黙って日本に帰るものか、という気持ちはまだ残っていました。

そのためには、解決策が見つかるまでの間、雨風を凌ぎ、持っているお金が減るのを少しでも遅らせることが必要です。
例え、裁判を起こすにしても時間が必要だからです。
私たちはダメ元でエ◯ウスという日本にもある大きなホームレス救済組織に相談に行くことにしました。

エ◯ウス。
それは、フランスの神父が、厳しいフランスの冬に理不尽に家を出され、凍死した女性に憤った叫びが共感を呼び、出来上がったフランス生まれのホームレース組織だと聞きます。
妻が、そういう活動に興味があったため知っていたのですが、まさか自分たちがそれに直接関わりあうことになるとは・・・。本当に人生は何が起こるかわかりませんな。

私たちはケルンの支部に赴いて、責任者の人に話を聞いて頂いたのですが、彼も絶句していました。
そしてやはり「それはこのドイツの話なのか?」と。
「はい」と答えた私達(というか妻ですが)に彼は苦悶の表情を見せました。
その訳は後から色々とわかることになるのですが、今はともかく空いている部屋がない。と。
しかし、彼も仮にもエ◯ウスの責任者の一人なのです。

これからドイツはフランス以上に厳しい季節が来る。
その中に君たちの身に起こったことを知っていて尚、そのまま車の中の生活に帰らせるわけにはいかない。
と、一時的に保護して下さることになったのでした。

そこから、また私たちはその組織の実態を目の当たりにすることになります。

(つづく)

欧州からワケあって帰国起業したあるウェブクリのブログ-マルシェ1


お陰様で忙しくしております。

業務委託でデザインさせて頂いた案件で、1万円とかで4ヶ月粘られて、ずっと振り回されたり、プロ家庭教師の妻がうっかりト◯イに関わったら、とんでもない目に遭わされてしまって助け舟に入ったり・・・なんだか色々ですが。

欧州から他人事のように「日本まだ景気悪いんだー」と見ていた時はわからなかったのですが、長引く不景気というのは構成員の人身の荒廃というのが一番のダメージなのかもな、とか思ったりします。

妻とはフランスに居る時から「何があっても人間荒んだら負け」を合言葉に頑張っているのですが・・・。

後は文章を書く機会が飛躍的に増え、この3ヶ月で小説を原稿用紙で150枚以上書いていたりします。
それなりに読者のかたもいて下さるみたいで、新しい生きがいになっていたりしますが。

そうやって、毎日毎日違う所で一杯文章を書いていることで、こちらのほうが少しおろそかになっていたりするかもしれません。(言い訳ですが)

ケルン逃亡記もヤマは過ぎた感じではありますが、(いや、詳しく書けば、あそこからホームレスの施設に入って浮浪者の方々と一緒に暮らしたり、そこでお金を盗まれたり、変な派閥抗争に巻き込まれそうになったり色々あるんですけどね(苦笑))、日本に帰ってくるところまでは、きっちり書く気でおりますので、よろしかったらもうしばらくだけ待って頂けたらな、と思います。

欧州からワケあって帰国起業したあるウェブクリのブログ-ケルン路上1


ベッセルリンクのビジネスパートナーは、弁護士を紹介してくれて、更におおまかな事情は私が話しておいてあげようと言ってくれました。
滞在費などは後でLさんから回収できるだろうから、ちゃんとホテルに泊まるんだよ。
とも助言してくれます。
私たちは、もう2週間ほど車の中で寝泊まりしており、疲労の色が濃かったようです。

それにしても相手はあのLさんです。
どうもこのまま一筋縄ではいかない予感がして、私は「ホテルに一度泊まって疲れを取るのは必要だろうけど、Lさんから回収できるお金を宛てにして、ずっと滞在するのは危険なのではないか?」と思い、その後はまた車で寝泊まりすることにしました。
何と言っても私たちは帰る家が無いのです。
その上、いつまで頑張ればいいのかもしれない戦い。
更にドイツでは10月を過ぎると気温が一桁から零下近くにまで下がります。
なるほど大家が力を持つわけだ。
と妙な所で納得してしまいました。

とはいえ、私たちは当事者ですし、このままではお金が入ってくる先も無いのですから、状況としては絶望的と言ってもいいでしょう。
次は兵糧攻めというわけです。
波風を起こした奴は死ね、と。
ドイツ社会はそう民衆に言っているのかもしれません。
波風とは個人の意志。
つまり、自分の意志を出すな、というわけです。
Lさんはそういう風潮を利用しているだけに過ぎない。
そんなことを考えながら、一筋の希望を頼りに毎日ソリューションを捜して動き回りました。

車を売ってお金を作ることも考えましたが、車のナンバーはフランスナンバーのまま、そしてそれをドイツナンバーに変えるには住所が必要、というわけでやっぱりここでも引っかかってしまいます。
外国人にとっては住所を抑えられてしまったら何もできない。
フランスナンバーのままでは盗難車ではないかと疑われて、ネットで売りに出すこともままなりません。

そうこう言っているうちに、ビジネスパートナーから連絡が入ります。
「Lは君たちが全て要らないと言って放棄した、と言って、物と金の返還を拒否してきた」
と。
やっぱり。
一筋縄ではいかないやつです。
しかし、そこは弁護士さんの出番というわけでしょ?
すると・・・。
「それなんだが・・・」
どうもビジネスパートナーの様子がおかしい。

「君たちが最初から弁護士と話をしていなかったので、事情がよくわからないらしいのだ。そのせいでLさんに返事ができないんだよ」
あ、いや、だから「俺が話をつけてやろう」と正義感丸出しに買ってでたのは貴方ではないですか。
「ついては君たちから直接弁護士に事情を話してほしい」
まあ、それは当然と言えば当然のこと。
しかし、そう言われて弁護士さんに連絡を取ったのですが、彼からの返事はナシのつぶてです。

それどころか、最初の威勢の良さはどこへやら彼もだんだん連絡が取れなくなっていきます。
あれ? これは一体どうしたことだろう。

フランスからの敷金のお金が返ってくるあてもあったのですが、それを受け取るにも銀行口座が必要。
それを作るにも住所が・・・。
なるほど大家とトラブルというのはこういうことだったのかー。
道理でLさんの態度が大きいわけですな。

と、気がついたときには異国の道路の上。
道連れは、横にいる1ヶ月前に正式に妻になったパートナーと、自家用車のみ。
これはそろそろ途方にくれてもいいころかもしれませんね。
そんな感じになって来ました。

(つづく)