この本を、バッハを知るために読んでいるといったら、「とんでもない勘違い」と目を丸くして驚くと思いますが、本当なのです。私がこの本にたどりついたのは、バッハを非音楽的に理解しようと思い「キリスト教の歴史」(講談社学術文庫)を読み始めたのがきっかけです。
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なお、このような本を読んでバッハ観が変わったかといえば、確かに変わったのです。バッハが生きた時代、そしてバッハが信じたルーター派福音主義がおぼろげながら理解でき、ケーテンの宮廷学長やトーマス教会のカントールの音楽職人としてバッハの生きた時代がなんとなく見えてきます(たぶん)。その結果として、職人バッハが描こうとした(強い神と原罪を持った弱い人間の)音楽、神の福音を願う音楽が、その後の現代に至る懲りない人間の混沌とした歴史と相まって、共感を持って理解(勘違いを含んだ想像といったほうが正しいかも知れない)できるようになったと、我田引水で考えています。

●プラトンの呪縛-20世紀の哲学と政治/佐々木毅/講談社学術文庫
プラトン今日は、関空ラウンジで書いています。時間がないので簡単に書きます。
「キリスト教の歴史」を読むと、紀元180年頃に設立されたアレクサンドリア学派によって原始キリスト教とギリシア哲学の統合が行なわれたと書いてある。確かにプラトンのイデア論(イデアの実存)は、神の実存と結びやすい。そして、私にとってプラトンは、紀元前4世紀頃のギリシアの大哲学者であり「ソクラテスの弁明」や「饗宴」そして理想の国の哲人政治を説いた「国家」の著者であり、偉大な哲学者という単純な理解でした(「ソクラテスの弁明」だけは読んだことがあります)。ところが、この本はその理解の修正を迫るもので、中学・高校卒業以来、哲学とは殆ど無縁に過ぎ去った○十年の私にとって「目から鱗」の本でした。

以下は、家に帰ってから追記しました。

●本の構成
●はじめに
●序章プラトンはファシストだった?
●第1章プラトンの政治的解釈
1プラトンと社会改良主義、2プラトン像の転換、3精神の国の王、4ナチス体制下でのプラトン
●第2章プラトン批判の砲列
1反近代的な反動的思想家、2民主主義の恐るべき批判者、3「閉じた社会」のイデオローグ
●第3章プラトン論争の波紋
1近代思想の病理論、2プラトンからアリストテレスへ、3政治学の「科学化」と多元主義、4警告者としてのプラトン
●あとがき


プラトンの「国家」は、過去の歴史の中では非現実的な単なるユートピアの本であり、イデア論に基づく理想的政治体制を説いたと理解されていた。この本の著者は、その「(理想)国家」が、近代において現実の政治モデルに、意識的にも無意識的にも解釈、利用されたと言っている。プラトンは言うまでもなくソクラテスの弟子であり、ソクラテスを尊敬していた。そのソクラテスがアテナイの(奴隷制)民主体制(30人の寡頭制)により死に追いやられたことから、アテナイの政治体制を立て直すために、「国家」において民主体制を否定し哲人政治を説いた。
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プラトンそのプラトンの論理が、2300年後の20世紀前半のドイツによみがえり、つまりかれの著書が政治的に利用され、ドイツにナチヒットラーを生み、ロシアにソヴィエト共産主義社会を構築させた。それが「プラトンの呪縛」と言っている(ようだ)。そして、プラトンの呪縛から逃れる道こそ、新しい政治体制に繋がる(ということらしい)。この本は、そのようなプラトンに対する(民主体制を中心とした左右からの解釈と批判)研究の変遷を概観し、"20世紀の哲学と政治の交錯に光をあてた"もの。
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この本では、ユダヤ人の妻を持つドイツ人哲学者ヤスパース(1883-1963)の言葉として、「・・・後世の人は、彼の「ポリティア(国家)を、その提案が何を意味するかを意識すること無しに賞賛した。・・・。私は彼(プラトン)を理解したいと願ってはいるが・・・、できるだけ敬意を払わずに彼を取り扱おうと思う」という言葉を引用している。
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なお、残念なのは、この本が書かれたのは1997年であり、あの9.11の前であることです。それで、著者は現状認識として、民主主義に対する左右の思想はその力を失った記している。また、哲人政治からの決別が民主主義のシステムだと言っている。しかしながら、アメリカの大統領があのブッシュになった以降(9.11以降)の混迷を見たら、著者はどう思うだろうか。

簡単ですが、今日は、とりあえず、ここまでと・・・。