バッハを(非音楽的に)理解するため、キリスト教を概観するという長い道のりをつまづきながら亀の歩みで歩いています。昨日はタイトルの記事と違うことを書いてしまったので、今日は「その4/続き」です。なお、今聴いている音楽は、コンラッド・ユングへーネルのバッハのリュート曲です。
  ★
先週、いろいろと寄り道の本を読んで、改めて「キリスト教入門」に戻ると、ちょっと物足りなく感じた。でも、この本でいろいろ知りたいことが明確になったので、この本は(私にとって)十分な役割をはたしたと思います。ただ、この本自体が、キリスト教に関する有る程度の知識を前提に書いている。(私にとっては)新しい言葉が出るたびに思考が止まります。

●ちょっと脱線(従姉妹のの話)
またまた脱線です。私の従姉妹は、10年ほど前に米国人で第二次大戦後にアメリカに移住したドイツ系移民の子どもと結婚しました。そのとき、先方の親からキリスト教に改宗するとの条件を出され、2年間カレッジに入り、その後、洗礼を受けてから結婚式を挙げました。今思うに、彼女はカレッジでどんな勉強したのだろうか。また、本当にキリスト教を信じたのだろうか。(可能なら)聴いてみたい。
  ★
昨年11月頃、外人とこの話をしたら、「俺もユダヤ教からキリスト教に改宗して結婚した人を知っている。おまえら無宗教の日本人が改宗するのは簡単だ。それに比べ、ユダヤ教からは大変なんだ」と言われた様な気がします。ヒアリング力が無いので、たくましい想像力で再構築するとそう理解できます。結局、その意見に同意しました。

●キリスト教の歴史/小田垣雅也/「第6章 宗教改革」
下記はこの章で出てきた、主な用や出来事をこの本の解説とウイキペディアの解説を参考に、自分の理解のためにまとめたものです。

●「聖礼典」(プロテスタント)「秘蹟」(カトリック)
カトリックでは、「秘蹟」として洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、ゆるしの秘跡(告解)、病者の塗油の7つが挙げられている。一方、プロテスタントでは、聖書中で確認できる洗礼と聖餐の2つのみ。どちらも「単なる象徴というだけでなく、神の恵みを直接人間に伝えるもの」としている。
●免罪符/正しくは贖宥状(しょくゆうじょう)
贖宥状は「告解」に関係する。「告解」は、洗礼後に犯した罪を聖職者に告白し、その罪に対する神からの赦しと和解を得るというもの。それが、中世以降、次第に拡大解釈され、贖宥状を買った人の罪が許される上に、死者が煉獄で課せられる刑罰まで許されると説かれた(当時、国の権力が弱かったドイツは、贖宥状の大マーケットだった)。
  ★
ルターが行なった「95箇条の提題」は、カトリック教会のなんでもありの人倫的腐敗に対するものではなく、教会がこのような神の領域まで関与できるのかという神学上の提題だった。
●煉獄
死後地獄へ至る罪はないが、すぐに天国に行けるほど清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所。でも、現代のカトリック教会では言及されることはほとんどない(らしい)。
●ドイツ農民戦争
1524年、西南ドイツのシュトゥーリンゲン伯領の農民反乱から始まった。ルターは当初は農民に同情的だったが、この反乱が社会全体を変えようとする勢いになると「この運動は、神の秩序を乱す悪魔のしわざ」とし、諸侯に弾圧を示唆する。この弾圧で農民の15万人が死んだ。これにより、ルターは民衆の人望を失い、南ドイツは、カトリックに戻ったらしい。
●エラスムスとルターの自由論争
この農民戦争のさなかの1524年に、エラスムスが「自由意志論」を書いて、ルターの宗教改革を批判した。ルターは、1525年に「奴隷意志論」を書いて反論した。エラスムスとルターは宗教改革では一致したが、その根本の立場が異なっていた。結局二人は決別することになる。なお、ルターが1525年に結婚したとき、エラスムスは「悲劇で始まって、喜劇で終わった宗教改革」と揶揄したらしい。
●二王国説
ルターが、教会と諸侯の抑圧から自由を求めた農民に対して反対に立ったのは、かれの「二王国説」という思想による。教会は神の右の手で、国家は神の左の手であるという、神の右の手→福音・教会・信仰、神の左の手→律法・国家・科学 等々という図式の考えのようだ。国家はこの世の秩序を維持するためにあり、神を信じる人々によって独裁的に治めるという考えらしい。この考えは、後の「政教分離」の基礎になった。ただ、政教分離が結果的にナチズムの遠因になったとも言われている(らしい)。
●ツヴィングリとカルヴァンの宗教改革
省略
●イングランドの宗教改革と求心派
著者は、ドイツの宗教改革は実存的、スイスは社会的、イングランドは政治的だった。このような私怨と欲望が交差した世辞的過程を、宗教改革の中にいれるのはおかしいと言っている(同感)。これは、中学でも習った。子どもがいない妃を離縁し再婚しようとしたとき、ローマ教皇が破門で脅したのに対し、英国教会をローマ教皇から独立させた。それやこれらの中、ローマ教皇が、スペイン国王をイギリス国王に任命したりして、結局、イギリスとスペインが戦争し、スペインの無敵艦隊が壊滅した・・・と紆余曲折がある。この小冊子の記述からも、世俗的権力に固執するローマ・カトリック教会・教皇の悪あがきというか、あまりに人間的な対応が伺える。
  ★
ルターの「二王国説」は教会権力に対した世俗権力と結んだとはいえ、時代の流れをつかんでいたようだ。ただ、この時代は「民主主義」は無かったことも判る。おそらく、宗教改革以降で、人間中心のヒューマニズムの弊害を修復するために民主主義」が生まれたのだろう(ギリシアに奴隷制度の上の直接民主主義があったというが、これは民主主義ではない)。これは、スイスでツヴィングリとカルヴァンの宗教改革が進められたことと関連があるかも知れない。
  ★
宗教改革急進派は、再洗礼派、聖霊主義者、合理主義者がある。この本では。これらはカトリック側、プロテスタント側双方から異端として弾圧されたらしい。ただ、この小冊子で詳しくは書かれていないが、宗教とは急進的、熱狂的名者ではないと著者は言っている。
●対抗宗教改革
元来、カトリック教会の教義はルーズなところがあった。それが、宗教改革に刺激され、元々あった協会内改革の動きが、反宗教改革で教義の明確化が起こった。そのなかで作られたのがスペインのイエズス会のようだ。イエズス会は、ヨーロッパで失ったものをその他の地域で取り戻そうとし、海外伝道に力を入れた。
  ★
著者は、カトリック教会の敬虔は宗教改革の中で、迷信的要素を帯び始めたと言い、そして、悪名高い「蓋然説」に立ったことを批判している。「蓋然説」とは、ある行為が道徳的に許されるかどうかは、有る確実な根拠(つまりカトリック教会)によって蓋然的に許されれば、たとえ反対意見があっても、その行為は許されるとされるもの。これは、今までの教会無謬性から少し後退しているが、「結局変わらない懲りないやつら」と感じられる。ただ、この我田引水適思想は相当強力で、世界のいたるところにはびこっているのではないか、私自身にも・・・。この「蓋然説」こそ(私には)悪魔の思想と呼ぶにふさわしいように思われる。

・・・ということで。