前回のブログの続きです。キリスト教の歴史を読むと、色々考えさせられます。人間世界は愚かな存在で進歩しないと見る事も出来ますが、遅遅としているが着実に進歩しているとみることもできるような気がします。ただ、人類の滅亡が先に来るかも知れないのですが・・・。

●聴いた音楽
●アーノンクール/『クリスマス・オラトリオ』全曲/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
クリスマス前回のブログで書き忘れてました。J.S.バッハのクリスマスオラトリオを未だに細々と聞いています。なかなかいいです。また、教会歴に従ってバッハのカンタータなどをできるだけ全曲聴こうと考えていますが、教会歴が次々と進む中、CDを借りるのが遅れたりで進んでいません。この調子だとバッハの作品をほとんど聴くのは10年ぐらいかかりそうです。これは、有る意味では10年楽しめるということでもあります(元気に生きていればですが・・・)。

●キリスト教の歴史/小田垣雅也/講談社学術文庫
以下は、前回と同じく私の勉強用の抜き書きです。ただ、全11章のうち、第3章と第4章のみです。
●第3章中世初期
4世紀~6世紀のゲルマン民族の大移動による西ローマ帝国が滅亡(476年)から、東ローマ帝国の滅亡(1453年)までを中世といい、中世初期は約10世紀までのこと。西ローマ帝国滅亡の後は、ゲルマン民族のフランク王国が登場する。7~8世紀は、イスラム世界がその勢力圏をアフリカ北部からイベリア半島まで広げ、その結果、地中海貿易を成り立たなくし、ヨーロッパの社会を封建社会に向かわせた(らしい)。
○西ローマ帝国滅亡後は、ローマ教会の司教は東ローマ帝国の承認が必要であったが、グレコリウス一世が、フランク王国との取引で教皇権を確立した。この時期に、儀式典礼が整えられ、賛美歌が発達し、教皇を頂点とし、一般信徒を底辺にしたヒエラルキ(位階制度)を持ったローマ・カトリック教会が形を整えた。
○教会史上有名な「暗黒世紀」・・・、そこでは教会の権威は客観的なものであって、個人の倫理的資質にはかかわらないとされた。・・・、聖職者もただの人間、時には最愚劣の人間であることが確認される。この本では、幾つか聖職者の愚劣さを例示しているが、ほんとにひどい聖職者がいるものだ。
○東西両教会が完全に分裂したのは1054年。・・・その理由の一つに聖霊発出論争がある。三位一体論に関し、聖霊は父(神)と子(キリスト)の両方から発するのか、父からのみかという論争で、西方教会は前者で、東方教会は後者の見解であった。
○7世紀から9世紀にかけて画像論争があった。神の像に対する礼拝を偶像礼拝として禁じるかどうかで、東方教会はこれを禁じ、西方教会は、崇拝(vernation)と礼拝(worship)を区別し、崇拝の対象としての画像を認めた。・・・西方の教皇は、画像を認めることで、東ローマ帝国の支配下でないことを示した。
●第4章中世中期
中世中期は11世紀~13世紀をいう。「12世紀のルネッサンス」とあるように、都市の発達にともなって、知識の復興があった。ただ、ヨーロッパの内的覚醒だけでなく、十字軍の遠征で持ち帰ったアラブ文明に触発された面があると著者も言っている。この程度は、私も中学で習った(はず)。
○この時期、教皇権は強大になり、インノケンティウス三世は、教権を太陽に、帝権を月にたとえ、「キリストの代理者は、神より低いが人より高い。教皇は誰でも裁き得るが、誰からも裁かれない。」と言った。
○・・・以上のような教権と政治勢力との相克・・・、近代国家における政教分離はこの弊害を避けるために生まれた。・・・少なくともキリストはこのような覇権争いに(最も)縁遠い人間であったことは確かである。やはり、教会が権力を持つと、どの宗教も堕落するということか・・・。私も同類かもしれないが・・・。
○十字軍はこの教皇権の絶頂期と重なる。
○この時期隆盛を極めたのがスコラ神学でスコラ(schola)とは学校ということ。・・・信仰から出発してその信仰の内容を学問的に根拠づけようとするもの。・・・信仰の学問的(理性的)解明が可能と考え得る時代がスコラ神学の隆盛期であり、両者が一致しないと考えるようになる時代が衰退期である。・・・、信仰と理性の一致の固執すると硬直化し、エラスムスの「痴愚神礼讃」で揶揄されるようなものになる。
○人間が神を理解するということは、人間の理性の中に神が取り入れられたことであり、人間の方が優位になってしまう。・・・、神は人間の理解の外にあるが、それは、理解を否定するのではなく、理解そのものを促すものであり、(その結果として理解を)可能ならしめるものである。これが「理解せんがために、われ信ず」の本意である。・・・と著者は言っています。
○アルビ派(グノーシス的二元論の異端)やワルドー派(リヨンの富豪ワルドーが、当時のローマ教会とイエスの宗教の違いを知って、全財産をなげうって「リヨンの貧者」という団体を作った)に対する迫害を行なった(アルビ派に対する迫害はアルビ十字軍といわれる)。これは、キリストの名におけるキリスト教徒による殺戮であり、宗教における客観主義(教会の無謬性のことか)の害悪がいかに大きいかを示す例である。古代から中世の教会は、むしろ異端に寛容であった。
○天使博士と言われたトーマス・アクナイは、著書「神学大全」の中で「教会は異端者の死の危険から救う必要はない」と言っている。
○ローマ教会のこのような真理論的暴虐に実践的根拠を与えたのが「異端審問」だ。異端審問にかけられれば、異端を否認すれば偽証罪に問われる。教会が客観的真理の保持者である以上、それに反対するのは罪になる。神の名で欺瞞、偽善、残虐が行なわれた。
○パスカルは「人間は、宗教的意識をもってする時ほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行なうことはない」と言っている。なるほど、なるほど。中世のキリスト教は、「オウム真理教」だったんだ。でも、著者の小田垣さんもすごい。プロテスタントだと、カトリック教会をそこまで罵倒できるんだ(言っていることは正しいと思います)。

遅遅として進みませんが、このような時代を経て、現在のキリスト教があるんだ。その改革の過程で、ルター派プロテスタントのJ.S.バッハがいたんだと思います。この本では、ルターの事もいろいろ私の知らないことが書いてあります。
・・・ということで。