昨日、図書館に借りていたCDや本を返却しに行ってきました。図書館では、芸術関係雑誌をチェックしています。レコード芸術、音楽の友、SWING、芸術新潮、現代ギター等々です。それで(私にとっての)発見をすこし。

●レコード芸術レコ芸10月号
9/17のブログに書いたマイコ・ミュラーのバッハのリュート曲のCDが「特選」になっていた。たしかに、この方のハープシコードは、音が比較的マイルドでいい音を出している。バッハがラウテンベルク(リュート-ハープシコード)で作曲したのを、想像させる良い演奏だ。評者は、濱田滋郎と那須田努。私の素人感覚と評価が一致したのは、うれしい。

●現代ギター9月号「ギター名曲の旅」現代ギ9月号
現代ギターでこのような特集をやっているのは知らなかった。ただ、聞き比べではなく、主なCDの羅列と簡単な解説の寄せ集めでした。記事は見開き2頁で、解説のスペースは少ないのでたいしたことは書いていない。また、CD毎に簡単な評が入っているが、(当然ながら)ネガティブなものはない。ただ、主なCD一覧を見ることが出来るので、これからCDを購入しようという人には役に立つ(と思う)。9月号はBWV998だった(私は、この曲もすこし手を付けています)。挙げられているほとんどは、ギターのCD。あと、リュートが3枚(イエペス、ドンホア、ユングへーネル)、ハープシコードがレオンハルトだったか。

その他、9月号は、現代の一流どころの演奏家バルエコのインタビューがあった。これは、A3でコピーしました。その他楽譜もコピーしたので6~7枚で70円でした。

●音楽という謎/近藤譲/春秋社近藤穣
図書館で、この本と著者のCDを借りた。図書館の利用ですが、著者とCDをセットで借りるのは(しらない)著者を理解するのに良い方法かも知れない。後書きを先に読むと、著者は「美学的音楽学の観点で、論点がお粗末であることを自覚しながら書いた」と、謙虚なことを言っている。内容はすこし難しい印象があるが、チンプンカンプンではない。また、彼のCDをすこし聴いた印象では、シェーンベルグの系列に近い、既に化石となりつつある「現代音楽」派の一人と思われる(彼は、その世界では地位を確立しているようだ)。本を読んだ後で、ブログ書こうかと。

●一言(近藤さんの本を斜めに読んで、理解不十分ながら)
絵画は、"分析→解体→再構築"という作業であり、表現されるのは「現実」ではなく「再構築された現実」らしい。これは遺跡に書かれた壁画の時代から現代まで変わらない。子どもの落書きだって、"分析→解体→再構築"という作業の結果だ。いわずもがなですが、抽象画ですら"分析→解体→再構築"の流れの中にある。翻って「(現代)音楽とはなんだろう」と問うと、それがよく分からない。「現代音楽」を聴くと、ついついそんなことを考えてしまう。たぶん「現代(に生きる西洋音楽を引き継いでいる日本人の)作曲家」は、それゆえに雄弁にならざるを得ないのではないか。で、私は問いたい。「パンドラの箱を開いてしまった後の世界の"希望”」を、あなたはどんな音楽で表現するのか。バッハの曲でも不協和音がごく自然に出てくる、その不協和音は弾いていてとても心地よい。それは、その後、協和音に戻ることを知っているからだろう。

平均律と機能和声は、すばらしい西洋の発明だ。しかしながら、我々は"機能和声"に支配され過ぎている(音楽の本を読むと、みんなそう言っている)。一方、自然が心地よいのは、そこに機能和声に無い(真実の)音や、響きがあるからではないだろうか。そういえば、グールドが好きだったのは都会のノイズだったらしいが・・・。

私の極めて容量の小さい頭は、ここらでオーバーヒートし支離滅裂になってきた。・・・なので、また、次の機会に・・・。

・・・ということで。