バッハのBWV996を聞き比べようと思ったが、気がつくとバッハのリュート曲全般のCDを捜して聴いているのに気がついた。それなら、いっそのことその方向でやってみようかと思っています。その中で、特ににBWV996や私の好きなBWV997を中心に聴いてみようかと・・・。

●エドアルド・エグエス
アルゼンチンのブエノスアイレスで1959年生まれ。アルゼンチンの大学の音楽芸術学部を出た後、スイスのバーゼルで、リュート奏者のホプキンソン・スミスに師事。サヴァールの古楽合奏団のメンバーでもある。なお、ホプキンソン・スミスは、あのドンホアに師事したらしい(ドンホアのCDを捜しているが、まだ手に入らない)。なるほど、(やっと)古楽の世界、リュートの世界の一部がすこし見えてきた(かも)。

●J.S.バッハ作品集No2/エドアルド・エグエスエグエス2
最初に購入したのがこのNo2のCDです。CDのジャケットを見て、また収録曲を見て、さらに試聴して好感を持って購入しました。収録曲は下記のとおり。
●BWV998(プレリュード・フーガ・アレグロ)
●BWV995(いわゆるリュート組曲3番)
●BWV997(いわゆるリュート組曲2番)

エドアルドの2枚のバッハ作品集にはBWV996が入っていない。おそらく意図的に外したと思うが、どういう理由なのだろうか・・・。なお、リュートをこのように流ちょうに弾きこなすのは凄い。ただ、いろいろなバッハのリュート曲演奏を聴き比べているが、(私にとって)彼はどんなポジションに入るのだろう。それが"微妙"なところなのです。同様に"微妙"なのはセルシェルの11弦アルトギターによるリュート曲演奏です。セルシェルは、~節というような"きつい個性"が無く、(さらっとした中に)さすがといえる演奏解釈が感じられるので、良い演奏家なのですが、アルトギターという楽器の音域が全体をつまらなくしている。そう言う意味で"(私にとって)微妙"なのです。エドアルドの演奏も、うまいけれど"微妙"という感じ。それは何かと言われると、「(なんとなく)古楽という感じが少ない」ことに帰着する。もう一つあるとすれば、PCの外付けスピーカで聴いているせいかも。こんどiPodで聴いてみよう。iPodの良さは、「(雑踏のなかでも)一人の世界になれる」ということです。

●J.S.バッハ作品集No1
エグエス1
前記を購入し、いい演奏と思ったので、ときどきCD店をチェックし、見つけたので購入したもの。収録曲は下記のとおり。
●BWV1006a
●BWV1001
●BWV1000
●BWV1007(チェロ組曲1番、エドアルド編曲)
●BWV999

バッハの時代は(現代も同じですが)、レパートリィを増やすためには移調、編曲はあたりまえだったと思います。その観点からはギターの世界と同じくリュートでも編曲物があってもいいと、エドアルドも考えたのだろう。リュート曲でないものBWV1007なども入れている。聴いてみると、(面白いが)なんとなく違和感がある。低音が多すぎる。微妙だが、ピリオド楽器による"現代曲"という感じもした。BWV999も音色はリュートだが、演奏の感じは現代曲か。

全体として、エドアルドのリュート演奏は、流ちょうであるがすこし早い感じ。それがゆえに心地よいところもあるが、(私のイメージとしての)バロック的なリュート演奏とは異なる"微妙"なもの。(私にとって)CDとしては、オリジナルだけを入れているNo.2のほうが印象がよい。

●次回
最近ホプキンソン・スミスのリュート曲集をみつけ、購入した。次のバッハのリュート曲聞き比べは、エドアルドの師匠のホプキンソン・スミスです。なお、いつか、バッハのリュート曲を(ほとんど)聴いた後の総括もやってみたい。

●ついでに
CDショップを見ると、日本人としては宇都宮在住の田部井がリュート作品集を出している。私は大学を出た直ぐに一度彼の演奏会に行っている(私にとって、その後20年弱の期間ギターから遠ざかる前の最後の演奏会になった)。そのプログラムに入っていたガリ版の1枚には、「バッハは研究途中です。あと10年ぐらい研究したらCD(当時はレコードだったと思う)を出したい」云々が書いてあった。演奏会で、こういうメッセージを出す心意気には感心した記憶があります。彼のCDは1枚も持っていないですが、(応援のつもりで)買ってみようかと・・・。

・・・ということで。