●「ギター-ルネサンスから現代まで」ハーヴェィ・ターンブル著/濱田滋朗訳/音楽之友社
この本を図書館で借りて、読んでいます。ざっととばし読みで終わろうと思ったのですが、読み進めるうちに面白くなってきて、きちんと読んだ方がよいと感じました。それで、土日でもう1回多少まじめに読んでみようかと考えています。以下は、ざっと読んだ程度の感想です。


●”訳者あとがき”
訳者の濱田さんが"あとがき"で「訳しがいのあるいい本である」、「ギター及びその音楽の通史として画期的な著作」と言い切っています。私も、濱田さんの意見に同感です。


●簡単な感想
著者のギターに対する学者的な冷静さ、そして膨大な文献に基づくアプローチを見ると、この方は(私と違って)頭がいい人だなと感じました(当たり前ですが)。この本は、著者の学者的姿勢と、ギターに対する思い入れがうまくかみ合っています。ただ、著者の経歴等説明がどこにも書いていない。濱田さんは、著者と少なくとも手紙等のやりとりをしたのだろうか。それがすこし不満です。この本は、ビウエラ→4or5コースギター→6コースギターへの変遷と、当時のギターに対する評価を、冷静な目で(且つ適度な思い入れで)淡々と記載してあるので、興味がある人には面白い本です。ときには、ギターに対する痛烈な批判記事も記載しているので、軸足をギターに置いている私にとってはつらいのですが、自虐的な楽しさも感じます。


●本の構成(とわずかの感想)
○第1章 楽器の発達-ビウエラおよび初期のギター
ルネッサンス時代に用いられたギター属の楽器はビウエラと言われたが、いろいろなものがあったようだ。
・ビウエラ・デ・アルコ(弓で弾くもの)
・ビウエラ・デ・ペニョラ(ピックを使うもの)
・ビウエラ・デ・マノ(手指で弾くもの)
最後の手指で弾くものは、もっとも遅く15世紀末に出てきたらしい。なお、”ビウエラ”という言葉はイタリアの言い方で、スペイン生まれのこの楽器がイタリアでも広まったのは、スペインによるナポリ支配があるようだ。いつか、ボルシア家の本なんかも読んでみようかと(陰謀や毒殺なんかは当たり前のすごい家系らしい<--中国も凄いが、キリスト教の国もものすごく残酷だ。)。
第2章 16世紀-ビウエラと四コース・ギター
第3章 バロック期-五コースギターの時代
第4章 楽器の発達(Ⅱ)六弦ギターへ…現代的楽器の出現
第5章 クラシックとロマンティックの時代-19世紀
第6章二十世紀-ギターの復活
この本は1975年出版(日本語版は1985年)なので、セゴビア、ブリューム、ジョンの時代で終わっている。ファリヤの唯一のギター曲"ドビッシー賛歌”を作曲する経緯が面白かった。その後の、セゴビアの活躍も、記載が冷静に書いてある。著者は、タレガの編曲のほとんどは同時代だったが、セゴビアはより昔のバロックやルネッサンスまで広げて編曲したと評価している。ギターに対しては、下記のような痛烈な批判も記されている。
「短く、表面的で、凡庸で、卑属で・・・・、奏者がいかに技巧にものをいわせようとしても、聴衆をスペイン流の退屈三昧から救うことはできない」、「・・・、たとえ奏者の想像力と悪魔的な技巧の見事さが発揮されるとしても、楽器自体を音楽的に見た場合の不具者的な至らなさを償うことは困難・・」


なお、2章~5章でも、ギターの変遷をその当時の主要な作品と合わせて書いてあり、且つギターの構造や奏法、当時の文献から伺えるギターに対する評価など、どれをとっても参考になるとともに、面白い。この本は、私が持っている「ギターとギター音楽の歴史」/高橋功訳よりいい本と思う。


ということで・・・。後で、その2を書いてみようかと思っています。なお、今週21日は、出張で仕事でした。すこし(いや、とても)つらかった。