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westaml楽観記

友達との楽しい思い出とか自分の暇つぶしとか
歌い手としてどういう活動してるかとか・・・
テキトーに不定期に更新していきます~♪

ちょっとこないだ、いろいろと病んだおっさん(といってもまだ20代後半)と話してだな


自分 が何についてか話し合ったんだ。チャットでな。

んで、気づいたんだ。


過去があって、今があるだろ

でも、今があっても未来があるかどうかはわからないだろ?


だから、過去より確かなことはないわけだ。

そして今っていうのは本当に曖昧で

今ってのは存在する。でも過去でも未来でもない。

そう、不確実な状態が「今」って時。

だからこそ幸せがあって、不幸がある。


ようするに、過去をどれだけ分析して今を良くしようとしても、

「今」はどこまでも不確実で、ねじ曲がりやすい。

自分でコントロールしようとすればするほど

あらぬ方向へ進んでしまう。


それでも「過去」というものはその「今」であったものを永遠に残す。

実際に残っているのかはわからないが、「今」が存在する限り「過去」は残る。

それに比べて、「未来」は「今」がどれだけ存在しても、そこにはないもの。

つまり解り得ない領域。


・・・まぁ何が言いたいのかっていうと

どれだけ過去が重く苦しくても

今も未来も何も分かりはしないわけ。


例えば、交通事故で母が死にました。

って言われたところで、確かに母が死ぬのは辛い。

けどそこから先が暗い人生になるかなんてのはその時点ではわからないだろ?

というか、それが過去になるまで何もわからないんだ。


だから、今で屈していないで、今までの過去を不確実な「今」の中でどう扱うか。

そこを考えたんだ。


本当に抽象的な話だから、細かく具体例を出しても伝わりにくいと思う。

矛盾もあったりすると思う。

それでも俺の小さい頭で考えてみたから、読んでくれる人は読んでください。


例えば、自分が宝くじで1等を当てたとする。

確かに、当てた時は本当に嬉しいだろう。

でも、その嬉しいのも「今」なわけで、当然、不確実なもの。

もしかしたら、そこから先宝くじの券が風に飛ばされて何処かへいってしまうかもしれない。

この「もしかしたら」っていうのが「未来」であって、本当にそうなるとは限らないし、ならないとも限らない。

そんなわからないことを「未来」と呼んで、実在すると信じているが

果たして本当にあるのか?

今まで誰も未来になんて行ったことはないし、過去にも行ったことがない。

もしかしたらこの世には「今」しかなくて「過去」も「未来」もないのかもしれない。


考えてみれば、過去も不確実な部分は多い。

例えば、口頭で約束をして「今週の○曜日、○時に○○に集合ね」

と言ったとする。

でも、それをみんなが忘れて、「□曜日じゃなかったっけ?」「△△に集合だよね?」

となると、これは本当に確定した過去なのかもわからなくなる。


ここでわかるのは、未来も過去も、「生き物無しでは存在しないもの」だとわかる。


そして生き物は全て不正確で確実性に欠けている。


過去に起こった不幸も、未来に起こる幸せも、今のこの現状も

全ては生き物がいなければなかったもの。


そして、自分は生き物。

ようするに、過去も未来も、作るのは自分。

自分で作ったものになぜ涙する必要が?

他人の作ったものになぜ自分が影響されなければいけない?

自分と他人が一緒に作ったものだろうが、なんだろうが、過ぎてしまえば不確実。

そうなると、やはり今が一番確実なのかもしれない。


だったら、自分に残っている悪い「過去」とやらはなかったことにして

何が起こるかわからない「未来」ってやつを漠然と幸せに描いたほうが、

全然楽なんじゃないか?


と、俺は思った。


なかなか長くなってしまったが、あの人とお話するといろいろ考えさせられる。

まぁ結局、嫌な過去は思い出すなってことなんだけどね。

活かすのも忘れるのも難しいから、自分の中で美化しちまえば、こっちのもんさっ。


何かの役に立てたなら、コメントもらえると嬉しいです。

あまりキツイツッコミはやめてね。゚(゚´Д`゚)゚。

ちなみにその人は、歌詞を書くのが趣味だそうです。

その人の歌詞、見てみたいねぇ・・・