学校を卒業して1年が経ち、現代日本の学校教育に対して俯瞰できるようになって、氣づいた事がある。

現代日本の学校教育は、ぞんざいに扱われすぎている。

教職は冷遇され、いつも余計な業務に追われて忙しく、教師自身が学ぶ時間がなく、ものを丁寧に教える余裕がない。

さらにそれが理由で、暗記という形で学習内容を生徒に丸投げし、ものの覚え方も、伝え方も、使い方など根本的なことを教えず、個性をいかさず、その上人間の格付けまでしてしまえば、国の未来を決める教育は、もはや本末転倒だ。


教え、与える者に余裕がなければ、満足に教え、与えられないというのは、学校教育を受けていない者でもわかることだ。


完全に間違ったことは教えてないかもしれないとは言え、肝心なことは教えない。

暗記のように、生徒の個性を無視し無理やり脳にねじ込といった奴隷洗脳に近い方法で、教えられたことを生徒全員が平等に吸収するなどできないだろうというのは、想像に難くない。

生物であり、人間であるなら、それぞれ違いは必ずあり、個性は必ず現れる。


各分野の学習は、確かに重要だが、結局今本人が使いたくなければ使わないのだから、今本人がやりたくて、必要なことを蹴ってまでやる必要はないんだ。

今本人にとってやりたいことは、今本人にとって必要なこと。

腹が減れば食いたい、食わねばならん。そして減るペースは人それぞれ。


やりたいことは必要なことになる得るが、必ずしも、必要なことがやりたいことになるわけではない。

ましてや他人に押し付けられた"必要なこと"だとね。

やりたいことに合わせて、必要なことは好きに変えれる。

何々(本来苦手だしやらなくていいこと)ができなくても、何々(好きだから長けていること)ができる。

それが個性であり多様性であり、強さのはずなんだ。

でもそれも、ただ他から意思を押し付けられ、自分の意思を抑えられた状況下だと、何々(本来好きだから長けているはずのこと)ができなくて、何々(本来苦手だしやらなくていいこと)もできない、という状況が生まれる。

皆の個性をわざわざ消そうとするのにコストをかけるより、個性をいかすのにコストをかけた方が、皆がより快活で、適正職を見つけやすく、その道のプロ、天才が生まれやすい社会になるのも確かなはず。

やりたくないこと(苦手分野)は目的達成に効率が悪い。できず続かずだ。


そもそもやりたくないことは、苦手なり必要のないことなんだから、伸びやすく続きやすい、やりたいこと(得意分野)をそのまま伸ばせば、苦手分野でおうハンデなど簡単に補完できる。

やりたいことを伸ばして自己肯定感や余裕が生まれれば、その分苦手分野に挑戦もしやすくなるだろう。


だから、"やらなければならないこと"に捉われて、好きなことなどできないと思っても、大丈夫。できるから。

その自分の苦手分野じゃなく得意分野(好きなこと)で勝負すればいいだけだから。


やりたいことってのは、その分野をしてる時に、自分はそれに長けているのに気づくと、しばしばそれがやりたいことになる。

まぁ元々長けていなくても、周りが褒めてあげれば長けるようになるし、苦手が理由で苦しむことはなくなる。


生物はみな自分自身の土俵(自分の得意不得意をいかせる場)がある。

その土俵で勝負することで、一番有利になれる。個性をいかすとはそういうこと。


その分野が周りにいかに人気かは気にしなくていい。どれだけマイナーでも、好きなものは好きなんだし。自分の好みにピッタリ当てはまるものが、他人にピッタリ当てはまらないのは当然。自分家の鍵は他人の家には使えない。人それぞれ好きがあるんだし、俺たちはそもそも他人の好きは理解しにくく自分の好きは理解されにくい、というのを踏まえて、他人を尊重、わかりやすく言えば、他人の好きを肯定して伸ばしてあげる、ようにしなければならない。それが、より社会のためになる。だから、好きなことしなよ。自分のためにも、社会のためにも。

若造の自己満足のお節介だったが、読んでくれてありがとう。