明日の己を越えろ!
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人生

人生出遅れ

人生は無課金ゲームだ。
日々の作業の積み重ね。

課金してスピードを上げて成長する事はない
その事を知らない人

歳をとり、自分の人生を振り返って
唖然とする。

大学位まではみんな同じだった
レールがあって
進むスピードも大して差がない

社会にでると
レールはあってない様なもの

仕事にしても
結婚にしても
人生を作る一つのピースだが

作り上げたいと本気を出さないと
作れない。

生きようとしない人は
前に進まない
前に進めない

人を気遣っている暇はない
優しい弱い人ほど人生を作れない
人生を作れない人は淘汰される

生きることに利己的な人が
生き残る

人の社会、動物の社会、植物の社会
様々な社会はやはり弱肉強食

その事を知っている人は強い人
強くなくても、どう生きるかを
知っている人。

人間社会は弱者を助けるような
幻想を作るが、まず、自己の安定があり
その上で余力があれば弱者に手を
差し伸べているだけ。

その余力に期待をする人は
ただ弱者なだけ。
自分が安定する事が出来ないなら
余力も生まれない。

時間と仕事量を自分で
コントロール出来ないなら余力はない

余力ないなら安定しない
安定しないなら
他者にすがる
人生弱者である。

経済的に精神的に自立してる
でも弱者である。

人生を自分で進みたい方向に
進める人が強者。
人生出遅れない利己的な人が強者。

想像力、創造力がある人が強者。

人生出遅れて分かる事。

人間嫌い


昔、自分の周りには自分の尊厳を踏み荒らす人間は少なかった気がする。

自分が気がつかないだけだったのか、良くはわからないけど、夜ムカついて寝れない日は殆どなかった。

安眠出来る生活だっただけかも知れないけどね。

歳を取って、大人になって、働いて。社会に出ると、理不尽に土足で踏み荒らされる尊厳。

理不尽さは自分の想像力のなさから、ターボがかかり、予想をはるかに超えた形、スピードでやってくる。

人間は自分の為に生きている。

そんな当たり前の事実を目の当たりにする。その事実はやはり真実であり、昔の私は言わば、空想世界の住人であったのだろうと、結論づけた。

空想の世界では、人間は自分以外の人間にも手を差し伸べ、冗談は冗談として楽しい会話として話されている。

真実の世界では、人間は自分の利益と、損益を見積もり、冗談は優越感の為に悪口に成り下がる。

仲間内では違うのが、真実の世界。

自分の立場を救う為の助け愛。
助け愛協会の会員は人数構成により、自己主張の強さにより、自らの協会を決め、主体性のない助け愛の見せびらかし大会を行う。

協会に入らない、入れない人間をターゲットに尊厳を踏み荒らす競争を競い合う。

イジメです。

イジメは根深い。

よく言われたら倍言い返せば良いと言う。確かに相手にすると面倒だと思わせるのも一つの対処。

しかし、この協会は根深い。
なぜかと言うと、協会に入っている事も、入らなくてはいけない事も、協会自体も、全てが曖昧な存在であるから。

人間の自尊心を満足する。自分の尊厳を守る。それらを簡単に与える協会は存在を明確にされないまま、しかし、実体は確実にある。

社会にはびこるダニ組織と同じ。

その協会組織に嫌な思いをした人間は協会組織を嫌いになるのではなく、協会の会員を嫌いになる。実体があるもは会員だから。

協会会員は人間。

人間嫌いになる。

みんなと一緒に生活出来ないのでなく、曖昧な存在の協会に違和感を感じ、馴染めない。馴染みたくない。

そんな人間が、イジメられっことしてこの現実の世界で存在する。

そんな当たり前の事をさっき思いました。

対処は色々だけど、影響の輪の大きさが、その人間の強さ。影響力をつけて、見えない協会より現実的に強い力をつける事のみが根本的な解決であると思う。

んな事出来たらやってる。じゃあいつやる?今でしょ。

今からやらないと、ずーっと協会の嫌がらせを受け続ける。終わりは協会に入る以外、ない。

強大な協会の前で、前を向いて一歩進む。その勇気を全ての人間が持つ事が出来たら、協会はなくなる。

人間って弱いから無理かも。

そんな妄想の続きを見ていました。



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