私は、人と話していても無闇矢鱈と人を傷つけると思っている。
自分の感覚がその理由だと思っている。基本的に人と直接関わることをそこまで重要だと思っていない。具体的に言うと、建前とか、義理や人情を必要としないからだ。
最近困ったことに、就職活動をしていて職種選び間違えだと言われた。
さて、私にできる仕事など有るのだろうか。
義理や人情を一般の人が必要とする気持ちはよく分かる。しかし、ギフテッド同士やアスペ同士で会話しているとそういった必要がなくて楽だ。
しかし、それに慣れてしまうともっと遠慮がなくなって一般の人相手にそれをすると危険だ。
関係を壊しかねない。
だから、笑いとかを学ぶ必要がある。笑いは人と人を結びつけるから。今までそれは必要ないとずっと思ってきていたが、やはりそれだと行きにくい。
それに、寂しい。

私は高校時代ソフトボールに明け暮れていた。
理由は簡単、そこに私の居場所があり、存在意義を確かめられるスポーツだったからだ。
居場所があったのは、同学年の私より上手い子のおかげだ。すごくかっこよかった。普段は無口な癖に。
私はあの子が1番打つのが気に食わなかった。性格も悪い。ある時私は彼女を勝手にライバル視し始めた。理由は多分、彼女だけでは不完全な所を見つけた時だ。
怪我をして悔しそうにベンチに戻る姿。足をざっくり切ってるのに、ピッチャーのマウンドを譲ろうとしない姿。1人の3年生として、気丈に振る舞う姿。寂しそうな背中だった。今でも忘れない。
S先生に素振りを時間を掛けて教えてくれたのは覚えている。この足はこれで良かったかどうか?など、自分で確認するようになった。何故その力が湧いたのかは分からないが、急に打てるようになった。打率はうなぎ登り。
その同学年の子の存在は大きかったと思う。変な話、打線は私が打たなくても他の人が打ってくれるからいいやと思っていた節はある。
守備は、自分がミスしたらチームにその点がのしかかる。その責任を全うするために今思うとずっと真剣に取り組んできたのかもしれない。
ここから、私は一緒に時間を過ごす仲間の存在がいかに大切なものか学んだ。
特に、ライバルの存在は必要だと思う。かっこいいな、位の動機でもいいのかもしれない。そしてその人は頑張ってるなら、私も頑張ろうと思える。そして実行に移し、結果が目に見えるほどのものだった。
努力の結果が目に見えるものと言うのは重要だと思う。
今までの仕事は、尊敬するも何も私の物差しで色々教える訳で、結果は子供達の未来だから勝手にやってくるものだった。
それでは動機づけも、結果も有耶無耶だ。
だから、何となく続かないのではないかと私は思う。

もっとわかりやすい結果と、目標設定をしやすい仕事が向いているのではないかと私は思った。

だから、写真などは答えはないのかもしれないが、自分が進歩している実感が湧き、なおかつそれが途切れないような仕事をしたいと思う。
教育関係の仕事なら動機づけはかなり難しい。
本当に人として尊敬できないと動機にならないからだ。
そんなことを今日は考えさせられた。
次はもっと具体的な所まで絞りたいと思う