3歳児の意見 | フィリピン・アラバンのななつことば
めっちゃ悔しい!
早く大人になりたい。
子ども扱いする大人と同じ土俵に早く立ちたい!

って私は子ども扱いしてくる大人に対して思ってました、3歳児の時から。

私は、3歳のときからエッフェル塔の高さのプライドを持ってたの。

「自分を信じていない、だから相手も信じない」っていう人たちには

「自分を信じてる、だから相手も信じてる」っていう人のことなんてきっと理解できないのでしょうね。

価値観が違うから交わらない、永遠に平行線なんですよ。

こっちがそんなことを言うと、
あっちの俺は言うでしょう。

「でも俺はお前のことを信じてるぜ?」

でもこっちのアタシは

「あんたはアタシのことなんて信じてないじゃない」

って言う。

俺とアタシでは

信じる、の定義が違うんだと思います。同じ言葉ですが違う意味でお互い使ってるんでしょうね。

「その力がない」と思ってるのが俺で、

「その力がある」と思ってるのがアタシ。

前提条件として、
ある、なのか、
ない、なのかで

見える世界が違うんです。

だから二者は噛み合わない。

例えば、

アタシは
「3歳児には大人の言うことを理解できる」と信じているから3歳児も大人扱いしますが、

「3歳児には大人の言うことを理解できない」と信じている俺は
3歳児を子ども扱いするのです。

3歳児はうまく表現できないけど、理解はできる。自分が子供扱いされてることも理解できてる。

幼いからって子ども扱いしてくれるな、という表現がまだあまりうまくないだけ。

ってアタシは「信じてる」んです。

だから世界がそう見えるのです。

どっちがいいとか悪いとか
正しいとか正しくないとかじゃなくって

私は自分を大人扱いしない相手とは関わらないと決めたんです。

それを決めるのは私。

私以外、誰も私をジャッジできないのです。

あなたがジャッジすることもまた、私には止められないけれど。

こんな世界でこんな風に私は考えております。

いやー生きづらいですわ‼︎

そんな風に考えられるアンタがマジで羨ましいわ。

皮肉抜きで、
本当に羨ましく、また愛おしいわ。


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