「承認欲求の塊のあなたへ」 | フィリピン・アラバンのななつことば

私の父は

「あかんもんはアカンのやー!」

とキレるひとだった。
(小さな私にはそう見えた)

 

 

 

私の母は
「お父さんがアカンって言うからアカンのよ」

と人のせいにするひとだった。
(小さな私にはそう聞こえた)

 

 

 

そして小さな私は

「めんどくさー」
と問題を放置する子どもになった。

 

 

 

小さな私はそうすることに決めたのだ。

 

 


 

理由を説明しない父親には

 

「何故わたしの強い意志に理解示そうとしないのか?」

 

と疑問を、

 

 

娘と夫の間でオロオロする母親へは

 

「結局あなたの意志はどれなのか?」

 

と戸惑いを感じた。

 

 

 

 

 

 

経済力も、

知恵も、

気持ちを説明する能力も

 

まだ持ち得なかった当時の"小さな私たち"は

 

 

「チカラあるものに従うしかない」

 

と諦めることを覚えた。

 

 

 

 

でも本当は

 

父には、私への共感と多少の理解を示してほしかった。

 

 

母には、母自身の明確な考えを説明してもらいたかった。

 

 

父とは意思疎通を図りたかった。

 


母には責任を持ってほしかった。

 

 

父に思いやりを求め、

 

 

母に強さを願った。

 

だから

 

私は父への反発が止まらなかったし、


母への苛立ちが募るばかりだった。
 

 

 

そして

 

 

もうすっかりくたびれてしまって

 

 

 

無力感だけが残って

 

 

 

 

 

小さな私は考えるのを辞めた。

 

 


 

悔しがるだけ、無駄ではないか。
涙を流すだけ、無駄ではないか。
抵抗するだけ、無駄ではないか。

 


 

そう思った"賢いわたしたち"は

 

考えるのを辞めた。

 

 

自分の身を守るために。

 

 

絶対に譲れないものを守るために。

 

 

 

 

毎度の無力感と共に訪れる

 

 

「考えても無駄」

 

という考え。

 

 

だから

 

やめようとしたけれど、


 

何度も辞めようとしたけれど、

 

 

やっぱりまた考えてしまって

 

 

でもやっぱり辞められなくて、

 

 

 

 

 

だから私は考えることにした。

 

 

 

徹底的に考えることにした。

 

 

 

どうして彼らはああなのか。
何が彼らをそうさせるのか。
彼らのロジックは何なのか。

 

 

 

 

 

どうやら

 


向こう側には向こう側の事情あるようだ。


でもそれは私には知る由もない。

 

 

慮ってもいいのかもしれない。
譲歩してもいいのかもしれない。

 

 

 

 

でも

 

 

私には私の事情がある。

 

私にも貴方達と同様に絶対に譲れない事情がある。

 

 

 

 

では

 

 

どうすればいい?

どうやって考えればいい?



 

だから私は

今日も考える。

 

 

 

考えて考えて
聞いて調べて裏をとって、

 

 

 

ついには
考え過ぎて何がなんだかわからなくなったなら

 

 

とりあえず今、できることをやってみる。

 

 

 

その結果から次のステップを決めてみる。

 

 

 

そしてそれを繰り返す。

 

 

 

 

すっかり大人になってしまった私は

 

そうすることを自ら決められるから。

 

 

 

 

 

もう大人の女性になった私たちには

 


手段がある。
知恵もある。
そして戦う勇気もある。

 

 

 

 

自立することができる私は


もう親に認めてもらう必要はない。

 

 

認めてくれる人くらい
自分で見つけられるから。

 

 

 

 

成長し続ける私たちは
いつまでも他人に寄りかからない。

 

 

 

時には悲しい朝もあるけど


自分を律する勇気くらい
あなただってあるでしょう?

 

 

あなたにだってできるでしょう?

 


 

だから手元のカードをフルに使い、
私はこれから戦いに行く。

 

 


 

全ての責任は私にある。

 

 

 

 

 

 


 

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