「学校に(辞めること)言っちゃったの?ちょっと待って❗」
と言われました。
正直、学校を辞めてしまうことは私も嫌でした。
でも、これ以上静岡での独り暮らしは到底無理。心が死んでしまう……。
すると、アニーさんは
「富士においで!家が空いているから‼学校は辞めたらダメ」
と。。。
私が富士へ?引っ越すの?
えー!?!?
でした。
でも、私は興奮していました✨
何とかなるのかもしれない❗
上手く行くかもしれない❗
そう直感で思いました。
それから、親に話をして
トントン拍子に話は進み、
みごと私は富士市の人間になったのでした。
スーツにも、もちろん話をしました。
スーツは富士市よりももう少し奥の富士宮市にアパートを借りていたので、私が静岡にいるときよりも距離的に会いやすくなったことを喜んでました。
アルバイトだけど、夜学に通わせてくれるトリミングの仕事も奇跡的に見つけることができて、私は富士に行ったことで運気がグッッと上がった気が体感でわかった感じでした。
学校もアニーさんが一緒に車で連れていってくれました。
16時まで仕事をして、18時から学校だったのでアニーさんはおむすびを作って待っていてくれました🍙
銀ホイルに包んでくれて、今でもあの味は忘れません。時にはシャケや、ウインナーとか。お弁当みたいでした。その優しさにどっぷり甘えて若さゆえの遠慮知らずで過ごさせて貰いました。
アニーさんは当時、ダックス、オールド、マラミュートを飼っていました。(飼うと言う言葉は嫌いです笑何て言えば良いんだろう……)
だから、動物病院によく行っていました。
私もある日何となく「私も行きたい❗」と、着いていきました。
ここでまた運命的な出会いが待っているなんて、全くこれっぽっちもその時は想像していませんでした。
そうです。ウエンディとの出会いでした。
一歳になる直前のウエンディは
皮膚炎で入院していました。でも、飼い主は現れませんでした。うちの子ではないと言い張ったそうです。ウエンディは動物病院に置き去りにされたんです。
「誰か飼ってくれる人いないかなぁ。」
と獣医さんが言いました。
アニーさんは私を見て
「ここにいます。連れて帰ってみる?」
と。。
えーーー!?
いいんですか!?
私がゴールデンを
飼ってもいいんですかぁー!?
速答だったきがします。
すぐ連れて帰った気がします。
アニーさんはフードとフード皿等々の、必要最低限の準備を直ぐしてくれました。
ウエンディの本名は
みきちゃん
でした。
絶対呼ばないと決めました。
私はメスのゴールデンかラブを飼ったときには名前をウエンディにすると決めていたのでなんの迷いもなくウエンディに即決でした。
それからの生活たるや、
夢のようでしたよ。
憧れのゴールデンがいて、
トリミングの仕事ができて、
友達よりも信頼できる母のようなアニーさんがいて、スーツがいる。
楽しかったです。毎日が楽しかった。
だから、私が静岡で苦しかったときに自分の仕事の大変さと同僚の悪口を言うことでストレスを発散させていたスーツには好きと言う感情は無かったような……あったような……
私は苦しみから解放されて
伸び伸びと生活をしていたので
そのときのスーツとの関係が思い出せません。(あらまぁ。恋ばなはどこに?笑)
スーツはデートに新車で連れていってくれました。
今度は自分の稼いだお金ですよ。
八景島に行ったなぁ。
でも、遠出はウエンディが気にかかって早く帰りたかったのを覚えています。多分そんなのも口にしていたかもしれない。
だから、スーツは私の知らないところで地元の友達と遊んでいたようでした。
私はなーんにも気がついていませんでした。
続く。