開運 スピリチュアル算命学 -68ページ目

わかり急ぐ 意味づける

なんか、わかり急ぐ人多いですよね。

あと、意味づける人。

わかり急ぐ人は、勝手に自分の内的論理で、「こういうことね」と決めてかかる。
一緒に話している人は、「ちょっと待って・・」てな感じ。

「本質的なとこ、まだ話してねーよ。人の話、ちゃんと聴け」みたいな。

意味づける人もたちが悪い。
なんでもない出来事についても、「○○のおつげ」とか平気で言う。
「この出来事には○○な意味がある」とか、すぐに言い出す。
スピの人に多いです。

そんな一つ一つに意味があったら大変だろ、と思う(笑)

そこにあるのは、あくまでも因と果。原因と結果。

その裏にあるのは、神の意志でもなんでもなくて、自分の判断、行動の蓄積。

必要なのは、判断の評価と反省なんです。

意味づけの後に振り返る、というかもしれないけれど、「意味づけ」「ラベル付け」をした時点で、その範囲でしか物を見ることはできないから、もう遅い(笑

だから、真実には行き着けない。そのラベルの中にある概念の外にある因にはもう気づけない。

私がスピを離れたのもそこなんですけどね。

自分の中で、自分に説明がつく状態にしておかないと不安なのも分かるけど、自分の中だけじゃなくて、もう少し広く色々考えようよ。

物事を物事のまま、受け入れる。とらえる。平たく言うと客観性かな。

そういう客観性という思考が日常生活で評価されなくなりましたねー、平成の日本。

矛盾

みんな、幸せになりたいだけなんだよねー??

なのに、幸せとは反対を向いた感情を持つことが多い。

なぜ、愛がほしい人は愛を壊すのだろう?
その愛はほしいのじゃない。だから、要らないという。

でも、失った後に、大事な物だったと気づく。


なぜ、大事にされたい人は、大事にしてくれない相手をえらぶんだろう。
本当に大事にしてくれる人にたどり着くまでの、ひとこらえが本気でつらいから。
その手前で、大事にしてくれそうと感じた人にいってしまう。一時の宿り。

でも、違う。本当じゃない。


そんな事ばかり繰り返している。

欲しい物があるが故に、判断をゆがめて自分の欲しい物とは違う物に手を伸ばし、さらにゆがみを作る。

でも、その欲しいと思っている物は本当に欲しい物でもない事がおおい。

なぜ、人はわかり合えないのだろう。

それがゆがみを放置しているから。

どちらか片方でも自由になっていれば良いけれど、互いに翻弄されている状態では更に翻弄しあうだけ。座標軸もなしに互いに位置関係を把握できずにコミュニケーションをとったところで、わかり合えはしない。

その先に幸せはあるのだろうか。

今夜の雑感でした。

本日は

とても寒いですねぇ。

このところ、ちょっとぶっちゃけ過ぎ。少しおとなしくします。
精神世界と現実世界の思考を分けるのが面倒になってきてました(汗

お友達から結婚が決まったとのお知らせが。

ちょっと、時期的に微妙なので、今月中に同棲しちゃえ、と言ってみました。

来年(っていうか、一般的には今年)はまずいので。

結婚には、
・好適なタイミング
・悪いことはないからとりあえずOK
・やめとけ(離婚前提ならいいけど)
という時期の問題があります。

まぁ、時期の他にそもそもやっていけんのか?という話もあるんですけどね。
それはそれで見る方法がありますよ。