一昨日、
ここ2年ほど疎遠になっていた知人A氏に、会ってきた。
疎遠になった理由は、
私のパートナーがA氏だけは嫌いなので関わらないで欲しいと言われたから。
私は通常このようなリクエストは一切受け付けないが、今自分が1番大切にしたい人は誰なのか考えたときに、それは彼だという判断でしょうがなく受け入れた。
A氏とはそれでまですごく仲良くしてたのに、不義理なことをしたと思い、深く深く反省していた。
A氏は問題のある人ではあるが、私への態度は優しく、良い人だった。
そして、約一年ぶりに会って謝ろうと思い、、
(結局謝れなかったけど)以前のように楽しくランチをしてきた。
A氏は相変わらず温かな態度で迎え入れてくれたものの、氏をとりまく環境は変わっていた。
A氏と二人三脚だった仕事のパートナーは去り、新しい人が入っていた。
新しい人が席を外した時に、
『有能な方が入りましたね』
と言ったら。
『全然有能ではないけどね』
と返すA氏。
A氏は、その場にいない人の悪口を必ず言う人であったと思い出した。
私もきっと言われているんだなーと何故かとても冷静になった。
その後もA氏と過ごすうちに気づいた。
常に誰かを可哀想にしたい人であると。
誰の話をしても、その人が可哀想であるオチに行き着く。
仲良かった頃の私は、まだ駆け出しで可哀想に見えたのだろう。
しかし今の私は大きく自立して、飛躍している。
私が幸せであることが、どうしても気になるようだった。
過去の私への優しさや献身は、幸せになって欲しいから応援したいという姿勢ではなく、可哀想だから応援したいという姿勢。
A氏はマメなタイプで、一度会うとすぐにまたランチ行こうなどというタイプなのだが、
あの日会った時からそういうことはなくなった。
幸せは、盾になる。
自分が幸せであることをアピールする必要はないけれど、心の底から自分に満足するように日々を重ねると、発言や振る舞いに充足感が溢れる。
そしてその幸せのオーラはいつの間にか盾になる、
それは不要な人間関係を爽やかに終わらせる盾でもあるし、そもそも邪な人間関係を寄せ付けない盾にもなる。
そんな諸々に2年前から気づいていたパートナーに改めて凄さを感じると共に、感謝せねばと思うのであった。
たまには人の言うことも聞こうかね

