10月26日(土)午後より、当院別永代経法要を勤修しました。
今年年忌が当たっているお宅には個別にご案内し、ご参詣いただきました。
一般の方のお参りとあわせ、多数のご門徒様とともに、ご先祖が大切にしてこられた「阿弥陀経」や「正信偈」のお勤めをしたのち、神戸市長田区にある真宗大谷派 玉龍寺から住職の五百井正浩師にお越しいただきご法話を頂戴いたしました。
皆様から賜りました尊いご懇念に心より感謝申し上げます。


10月26日(土)午後より、当院別永代経法要を勤修しました。
今年年忌が当たっているお宅には個別にご案内し、ご参詣いただきました。
一般の方のお参りとあわせ、多数のご門徒様とともに、ご先祖が大切にしてこられた「阿弥陀経」や「正信偈」のお勤めをしたのち、神戸市長田区にある真宗大谷派 玉龍寺から住職の五百井正浩師にお越しいただきご法話を頂戴いたしました。
皆様から賜りました尊いご懇念に心より感謝申し上げます。


10月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。
意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。
10月 拝読 「経釈明文」の御文 (第五帖 第二十一通)
【原 文】
当流の安心(あんじん)というは、なにのようもなく、もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)のこころをすてて、わが身はいかなる罪業(ざいごう)ふかくとも、それをば仏(ぶつ)にまかせまいらせて、ただ一心に、阿弥陀如来を一念にふかくたのみまいらせて、御(おん)たすけそうらえともうさん衆生をば、十人は十人、百人は百人ながら、ことごとくたすけたもうべし。これさらにうたがうこころつゆほどもあるべからず。かように信ずる機を、安心をよく決定(けつじょう)せしめたる人とはいうなり。このこころをこそ、経尺(きょうしゃく)の明文(めいもん)には、「一念発起(いちねんほっき) 住正定聚(じゅしょうじょうじゅ)」とも、「平生業成(へいぜいごうじょう)の行人(ぎょうにん)」ともいうなり。さればただ弥陀仏を一念にふかくたのみたてまつること肝要(かんよう)なりとこころうべし。このほかには、弥陀如来のわれらをやすくたすけまします御恩のふかきことをおもいて、行住座臥(ぎょうじゅざが)につねに念仏をもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
【現代語訳】
当流の安心(あんじん)というのは、何のはからいもなく、さまざまな雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)をたのみとするこころを捨て、我が身はどれほど罪業の深い身であっても、それをすべて仏におまかせし、ただ一心に阿弥陀如来を一念に深くおたのみ申し上げて、おたすけくださいとおたのみするならば、そのような衆生を十人は十人ながら、百人は百人ながら、ことごとくおたすけくださるというものです。このことをほんの少しでも疑ってはなりません。このように信じる衆生を、安心をよく決定(けつじょう)した人というのです。このこころを経釈(きょうしゃく)の文(もん)には、はっきりと「一念発起(いちねんほっき) 住正定聚(じゅしょうじょうじゅ)」 (『浄土論註』意) とも、「平生業成(へいぜいごうじょう)の行人」とも言っております。それゆえ、ただ弥陀仏を一念に深くおたのみ申し上げることこそが肝要なのだと心得てください。このほかには、弥陀如来がわたくしたちをたやすくおたすけくださるその御恩の深いことを思って、日常いかなるときであれ常に念仏申すべきであります。なかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。