言葉っていうのは、便利なだけじゃない。
捉え方が人それぞれ。
生まれた時から個人差があるように人の考えは十人十色だ。
僕たち太鼓打ちにも色々な意見がある。
「伝統を重んじる」
「新しいエンターテイメントを築く」
「教育の一環として活用する」
「友達、仲間同士でたのしくやる」
これは太鼓に限ったことではない。
どの世界にも、考え方だけは十人十色なのである。
こうした考えが無ければ今ごろ世の中では、対立やいがみ合いなど存在するはずがない。
ある種こうした考えが表に出される様になったことが、対立を生んでいくとも言えるだろう。
しかし、私はそうした対立はむしろ必要だと考える。
意見が反映されていくだけでは、エゴイズムを生むだけだ。
自分が正しいというエゴが他者を縛り苦しめる事になってしまう。
だからといってじぶんの意見を失ってはいけない。
大切なのは、一度自分の中で飲み込む事が必要なのではないだろうか?
私は「謙虚」という言葉をよく使う。
指導したり、されたりする場面ではこれが一番最適だと思う。
意見を推し進めるだけでは結局エゴを進行させてしまう。
そこで、一度じぶんの中で全て飲み込むのである。
まずは聞くことから。
まだ、生まれて20年近くしかたっていない私が言うのもおかしいが、
自分が正しいと思っていた事が間違っていると気付く事が多々ある。
むしろ私はその方が多かった。
その原因はなんだったのかと考えた時、私は人の話を聞かずに自分が正しいと常に考えていたのである。
小学校の時に、気が合わない人には常に警戒体制むき出しだった。
自分の意見が聞けないやつは嫌い。
だからいつも会うたびに喧嘩になる。
そんな相手は憎い、間違っている。
だから、奴は嫌い。
このような経験が誰しもあったのではないだろうか?
言葉というコミュニケーションツールが、一種の狂気と化して人々を傷つけている気がする。
だから、僕はまず受け止めることから始めなければ、相互理解は愚か、会話すら行う事ができないと考える。
何が正しいとか、何が間違ってるとかは僕にとってはどうでもいい。
何事も会話から始まり、会話によって終わる。
一度落ち着いて考えをまとめてからでも遅くはないでしょう。
一度受け止めるという謙虚な気持ち。
忘れないで欲しいですね。
それで、対立が生まれたならその人はそこまでの人物ですよ。
皆さんはどう考えるのでしょうか?
iPhoneからの投稿
捉え方が人それぞれ。
生まれた時から個人差があるように人の考えは十人十色だ。
僕たち太鼓打ちにも色々な意見がある。
「伝統を重んじる」
「新しいエンターテイメントを築く」
「教育の一環として活用する」
「友達、仲間同士でたのしくやる」
これは太鼓に限ったことではない。
どの世界にも、考え方だけは十人十色なのである。
こうした考えが無ければ今ごろ世の中では、対立やいがみ合いなど存在するはずがない。
ある種こうした考えが表に出される様になったことが、対立を生んでいくとも言えるだろう。
しかし、私はそうした対立はむしろ必要だと考える。
意見が反映されていくだけでは、エゴイズムを生むだけだ。
自分が正しいというエゴが他者を縛り苦しめる事になってしまう。
だからといってじぶんの意見を失ってはいけない。
大切なのは、一度自分の中で飲み込む事が必要なのではないだろうか?
私は「謙虚」という言葉をよく使う。
指導したり、されたりする場面ではこれが一番最適だと思う。
意見を推し進めるだけでは結局エゴを進行させてしまう。
そこで、一度じぶんの中で全て飲み込むのである。
まずは聞くことから。
まだ、生まれて20年近くしかたっていない私が言うのもおかしいが、
自分が正しいと思っていた事が間違っていると気付く事が多々ある。
むしろ私はその方が多かった。
その原因はなんだったのかと考えた時、私は人の話を聞かずに自分が正しいと常に考えていたのである。
小学校の時に、気が合わない人には常に警戒体制むき出しだった。
自分の意見が聞けないやつは嫌い。
だからいつも会うたびに喧嘩になる。
そんな相手は憎い、間違っている。
だから、奴は嫌い。
このような経験が誰しもあったのではないだろうか?
言葉というコミュニケーションツールが、一種の狂気と化して人々を傷つけている気がする。
だから、僕はまず受け止めることから始めなければ、相互理解は愚か、会話すら行う事ができないと考える。
何が正しいとか、何が間違ってるとかは僕にとってはどうでもいい。
何事も会話から始まり、会話によって終わる。
一度落ち着いて考えをまとめてからでも遅くはないでしょう。
一度受け止めるという謙虚な気持ち。
忘れないで欲しいですね。
それで、対立が生まれたならその人はそこまでの人物ですよ。
皆さんはどう考えるのでしょうか?
iPhoneからの投稿
